森の時間 SINCE 2002

Le Temps Du Bois

カナダからの悲報ー惜別

2005年11月27日 | 随想・雑文

腕の調子が一向によくならないので、この週末は家の周辺で屯うことにした。

父がまた入院した。病院に行かねばならないのだが、週末は兄が行ってくれるので、月曜日に行くことにした。今週末はやることがあるのだ。それは、将来するかも知れない講演内容とテーマを考えること。「コムねっと」(新現役ネット)と「話力研究所」で学んでいることを話し方に反映させたい。家にいてもなかなか名案が浮かばないので、久しぶりに、荒川土手に行って走ってみることにした。足裏の靭帯損傷はだいぶ良くなった。ジョギングで10分、歩きで30分程経過すると頭がすっきりして回転が良くなるそうだ。有酸素運動で新鮮な酸素が脳に送られるからだろう。土曜日は5.5キロ、日曜日は4.5キロ走ってきた。それで固まったテーマが、「森の文化-日本人の自然感覚を呼び戻そう」。まあまあかな。

まず、3分で話せるように纏め、5分、10分の長さ、更に30分、60分、80分に発展させる。逆に1分で趣旨を簡潔に言い表わせるような練習をする。しかし、この分野のテーマで話を完結したことはまだない。今週の木曜日に、10分のお話し時間があるので、少し気を入れて準備せねばならない。

さて、内容を洗練させようかと思っている矢先に、Tigerさんが亡くなったとの知らせが届いた。講演を準備する思考は完全停止。

1988年夏、南アルバータ草原の町でTigerさんと出合った。Nanton市で、MushRoom農場sign1を経営されていた。 草原の一house軒家。Tigerさんと4人娘、とくに長女N美との出会いは私のカルガリー生活を忘れがたいものにしてくれた。N美は5年ほど私の仕事のアシスタントとして、プロジェクト商談や事業会社設立の大きな助っ人になってくれた。彼女の登場で、6年間のカルガリー生活の後半が、変化に富んで、躍動的で達成感に満ちた日々になった。その後、お互いの環境が変わって遠く離れていても、カナダや日本で旧交を温め、相談相手になっている。

Tigerさんは、自衛隊を除隊して農大で菌糸学を学び、農業移民としてカナダB.C.州に移り住んだ。B.C.でのMushRoom農場では周辺住民やUnionの強い閉鎖的な市場で苦労されたそうで、南アルバータ州のNantonの郊外に移住した。冬は体感温度がマイナス40度になるロッキー山麓の平原で、キノコの室を維持し、菌を定着させる環境を作り上げるのに何度も失敗があった。菌が全滅して、全く収穫のなかったこともあったそうだ。引退したら農大の仲間が大勢移住しているブラジルに行く、と言っておられた。私がサンパウロに居た事を知って、お便りを頂いた。Tigarさんの農場のPrivateな空間には、難しそうな文献や小説本が溢れていた。勉強家でした。

7年前、家族でTiger農場にお邪魔した。Tigerご夫婦が草原の小さな点になるまで見送ってくれた。Tigerさんは石の上に飛び乗り、いつまでも両手で大きく手を振っていた。waveそれが、私にとって最後の姿になってしまった。 togather2

今年の春に、N美から日本にいるので会いたいと突然電話があった。その際、Tigerさんの容態が悪化していることを聞いた。カルガリーに飛んで、是非父に会ってあげて欲しいと言われていた。だが、行かなかった、行けなかった・・・。 この夏、カルガリーに行かなかったことを悔やむ。後悔、惜別・・・。

山麓の町、カルガリーでの日々・・・。私の自然志向の原点は、カナディアンロッキー山麓の厳しい自然と暖かい暮らし。 行きたい・・・。戻りたい・・・。幸せに満ちた風景に包まれて、もう一度思いっきりロッキーの空気を吸いたい・・・。

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食害ーDeer Hunt

2005年11月24日 | 森林・自然・環境教育

キャベツが何者かに食べられている。ブロッコリーも少し食われている。ハクサイは無傷。この食べ痕は何者でしょう? shokugai 洋物が好きらしい。考えられるのは「雉」。でも、そうかなあ・・・・?

broccori  hakusai

日本の里奥や山に鹿が増えて、植林した稚樹や、畑の作物が被害を受けている。

鹿は雪の積もる場所で歩くのが苦手なので、積雪する地域には生息していなかった。温暖化で積雪地域が減ったことで、山の上の方まで生息するようになったり、唯一の天敵「ニホンオオカミ」が消滅してから、生体数をコントロールする機能がなくなったので、広範囲に広がりながら増殖している。更に、ハンター人口が減って、狩猟される数も激減しているのも一つの要素らしい。動物愛護が主流になり、弱い動物を無慈悲にも撃ち殺すハンターは嫌われものになってきた。自然界の生き物の世界を、人間が破壊したり、近づきすぎるから、熊、猪、猿、鹿の被害を受ける、と言う見方もある。それも正しい。鹿の場合は、どうもそういうことだけではなさそうだ。日本中の山が鹿だらけになってしまったのは、天敵のいなくなった鹿を愛護、保護し過ぎたためだと思う。IMG_0205   IMG_0207 

東大秩父演習林の、獣害防除柵と剥皮被害防止の樹皮ガード。プリーツ加工された樹皮ガードは木の成長を阻害しない、コンパクトに運べる、通気性・通水性に優れているが、DuPont製で、たしか一つが6千円相当すると聞いた。通直な杉の一立米の値段は1万4‐5千円?

鹿は、大地や森林の土壌を守る草本、中低木を片っ端から食い尽くす。森林の更新を損ない、生態系を崩す。つぶらな目をしている「バンビ」ちゃんではあるが、過ぎたるは及ばざるが如し、餌が足らなくなっていずれ自滅する。人類が営みを始めて2百万年。生物の歩み30億年で見ると、ほんの新参者。人類の出現で生態系の高次消費者が消滅し、生態系ピラミッドを崩してしまったのだから、人類が鹿などの二次消費者を間引きすることで摂取可能な食料に見合った固体数に抑制するべきではないか。だから、コントロールされた狩猟は賛成。特に鹿退治は大賛成。そんな実情を憂慮して、一念発起して、ハンターになった若い自然保護派の女性がおられます。鹿肉の解体料理を楽しんでいる方もおられます。

捕鯨だって賛成。石油が利用されるまで、欧米人、特にヤンキーは脂だけのために太平洋の鯨を殺戮しまくった。そんなことしていた国が、ヒゲも皮も鯨の全てを資源として利用していた日本人の伝統を止めろなどと、どうして言えるのか。エスキモーは今でも生活のために捕鯨を認められている。大食いの鯨が増えると、人類の食べる資源を枯渇させる問題も出ている。戦後、日本の伝統食は野蛮だ、遅れている、栄養不足だと、アメリカの対日政策に洗脳された日本人が、アメリカ産牛肉、小麦、果物を日本中の老若男女に浸透させてきた。日本の戦後世代は、生まれたときからアメリカ式食事を与えられてきた。日本人の消化器官の遺伝子が受け入れない、多脂肪、栄養過多 さらに化学物質でできた添加物。その結果、子供にも生活習慣病、情緒不安定、キレル若者、アトピー、日本人(20-30代)独特の奇病クローン病。精神や肉体的な欠陥人間がどんどん増殖している。

西テキサスとヴァージニアは、アメリカの2大DeerHuntingのメッカ。ヒューストンに住んでいた頃、冬にテキサス州のInterstate-10 を西に走ると、ボンネットや屋根に獲りたての鹿を載せた車が沢山走っていた。家で解体して、2-3日置いて食べると美味しいそうだ。そんな光景を見、話を聞いて、西洋人はなんて無慈悲、肉の欲望が強いのだろう、「この、野蛮人め!」と思っていた。と思いつつも、簡単に手に入り、料理ができる肉。実は、牛のお尻を見て、お腹が鳴るほどまでに肉食人間化してしまっていた私。あの頃、肉、肉、肉・・・の肉食人類の坩堝にはまり込んでしまい、体重が8-10キロ増えていた。 

牧畜遊牧民とキリスト教徒が地球の自然環境を破壊したと信じるに至り、様々な視点から肉食人類が地球を滅ぼすと思う気持ちは強くなっている。が、天敵のいなくなった動物の個体数を人間がコントロールしてあげるべき、という考えは別の視点だ。だから、どんどん鹿狩りをして、食べたらいい。ハンターになって、更に獲物を解体できる術を知ると、動物たんぱく質も自給自足できる・・・。

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ペンキ塗り

2005年11月23日 | セルフビルド-時休自足

二軒目の小屋の外壁の一度塗りが、ほぼ完成。冬が来る前に、2度塗りする。 一つ目の小屋も既に三年が経過し、塗装2ndcottagepaintedがはげ出しているので、冬が来る前に塗装せねば。

paint エコペイントとかの名前がついていると、値段が倍近くになる。一軒目の小屋はエコペイントだったが、こちらは普通の塗料(サンデーペイント)を使った。

23日「勤労感謝の日」。作業に始めて外部の助っ人が同行してくれた。helperチェーンソウで大木を切っ てもらい、薪割をしてもらったり、ひとりで動かせない重いものの移動に、大変助かった。lumber

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屋根

2005年11月21日 | セルフビルド-時休自足

                    

土曜日は、4月に始まった「埼玉県生態系保護協会」の『最新県民環境カレッジ-実践コース』の最終講座があった。この講座のある週末は他の行事は入れないようにして来たので、一度も休まずにストレートで終了することができた。それで、この日に修了書を頂いた。来年2月までに、指定のレポートを提出すると、『生態系保護指導員(1級)』に認定される。

   あなたは 最新県民カレッジの実践コースを終了しました。

   今後は 埼玉県の自然を守る活動において

                    ご活躍されることを期待します。  

               埼玉県生態系保護協会会長 池谷奉文

ささやかな懇親会に出て、一旦家に帰って夕食をとってから、疲労骨折の治療にW光駅へ。予約していたのに整体院の待合室は人で溢れている。諦めて帰ろうと思い、予約取ってくれた奥様に連絡。すると、こういうことはモノにしなければ気がすまない奥様の「激」を受けてしまい、本屋で本を購入し、待つこと3時間半。おかげで単行本一冊完読。が、治療が終わったら最終電車に間に合わず。夜中でも明るい奥様に車で迎えに来てもらうことになって、とぼとぼと家に向かって歩く。畑の抜け道は犬でも石に躓きそうな真っ暗闇。そこを深夜トラックが行き交う。大型トラックにはねられないように気を使いながら、4km程歩いた辺りでやっと明るい笑顔の迎えの車。眠りについたのは2時過ぎ。だから、翌朝5時起き「森の時間」は計画変更。行くのは止めようかと思ったが、家にいても、足はテーピングでジョギングもできないし、森の時間の野菜畑も気になり、天気も良かったので、昼前の到着を覚悟してゆっくりと出発した。予想外に道路の混雑はなく3時間半程で到着した。

asama2雲ひとつない青空。浅間山 や八ヶ岳がくっきり見える。

ice日向でも温度は9度C。静寂と清涼な空気に、間違いなく冬が来る予感。 池には氷がはり、日陰には10cm程の霜柱。

hakusaibroccoricabbage成長している野菜達を愛でたり、周辺を歩き回って冬支度を始めた木々、生き物達に心を奪われていると、あっという間に1時間が過ぎてしまった。   

気が付けば、初冬の低い太陽が頂点を過ぎて下がり始めていたので、予定していたペイントは次回にして、第二小屋の将来のデッキの上の屋根だけ完成させることにした。波板のサイズ合わせ、カットと結構時間がかかってしまった。右腕の疲労骨折に負担をかけないように、今回から新たな助っ人electを手に入れたので、簡単な材木カットは手軽に出来るようになった。替刃が三種類あって、曲線切りもできる。佐久の超大型ホームセンターで買った。東京周辺のホームセンターよりも千円強安い。

2ndcottageこんな雰囲気の屋根が出来上がった。この下にデッキとテーブル・イスを作る予定。

lumber帰りがけ、もう一仕事と思い、薪を積んでおく場所に屋根をつけた。 完成したときは、既に薄暗く、冬の森が暗く迫ってきたので、FirePitの残り火で暖をとり、早々と引き上げた。

『森の時間』の設備が集中している場所は、馬の背状の土地の平たい尾根の部分なので、風が強くなったり、雨が降りだすと逃げ場がなかった。 3年前、最初の屋根が完成し、雨に打たれる風景を屋根の下から眺めたときの、屋根の有り難さと達成感、感動は、今も鮮明に残る。そして、それがその後の作業の励みになっている。roofだから、屋根を作るのが楽しい。3年経って、屋根らしいものが、これだけできた。

時代が移り行き、社会に混乱があっても、厳しい自然が繰り返されても、「屋根」が暖かく笑いに溢れる幸せな家族の営みを守ってくれる。「屋根の上のバイオリン弾き」は、住み着いたバイオリン弾きが屋根の上から移ろう家族を見守る。

数年前に「富良野塾」の「屋根」を観た。時の流れに逆らわず、家族も川の流れのように流れて変わってゆく。悪い日もあれば、かならず良い日もあるよ。くじけてはいけないよ・・・。最後のシーンが終わる。突然の真暗闇の中、あちこちですすり泣く音。私の頬にも涙が・・・。

「屋根」 《倉本 聰作・演出》

大正12年、北海道富良野の小さな開拓小屋で結ばれた夫婦「根来公平・しの」二人の間には10人の子供が誕生し一家は公平が建てた小さなまさぶきの屋根の下で貧しいながらも歌声の絶えない幸せな暮らしを営んでいた。昭和18年太平洋戦争の荒波は山奥の彼らの家にも押し寄せる。長男、次男、の出兵に続き、翌年には三男にも徴兵命令が下る。「戦争は嫌じゃオラ逃げる」と言い出す三男を説き伏せる公平。しかし、その直後三男は屋根の上で服毒自殺を遂げる。翌昭和二十年、戦争は終結する。時は流れ、世の中は貧しい節約の時代から豊かな消費の時代へと移り変わる。末息子の六男夫婦の元で隠居している公平としの。浪費の時代、借金の時代と叫ばれる世間の流れの背くかのように、老夫婦は子供たちの捨てた古着を裂いて縄を綯い始める。農地改良による自然破壊、炭鉱の閉鎖。ようやく手に入れた「豊か」と言われる時代の中で一家に暗い影が忍び寄る。そんな時、しのは公平に屋根の上で死んだ筈の三男の三平に会ったと告白する。(屋根パンフレットより)

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おなじ釜の飯ー青梅の杜

2005年11月13日 | 森林・自然・環境教育

台風や地震、災害に打ちのめされたときに、生きる希望と夢をもたらし、復興の勇気を与えてくれるのは、「炊き出し」と「握り飯」。それも、大きな釜で焚いたご飯と大きな鍋で煮たミソ味の野菜汁だと思う。それを、みんなでフーフーしながら食べる。すると、心が安らぎ、立ち直る勇気が湧いてくる。『同じ釜の飯を食った仲間』になる。

日本人が災害から立ち直るのが早いのは、稲作民族の精神「環の心」があるから。人々が集い、火を囲んで輪になって、同じものを食べる伝統、それを受け継ぐ体内遺伝子があるからだと思う。熱い火を囲み、そこで煮炊きされた食物を共同飲食することで連帯感が生まれる。家庭でも「囲炉裏」を囲んで家族皆で食事し、家族皆で「話す」【心を放す】ことで、家族の絆が深まる。青少年犯罪を生み出す家庭は、家族一緒に食事をしていない。しても、テレビ見ながらの食事で、家族の会話はなかったのではないかと思う。

家族、親戚、ご近所、同好の仲間が集ったときは、お鍋料理が良い。そして、ご飯は握り飯、「おむすび」が良い。古事記の中の「産巣日(ムスビ)」は、「万物を産み、成長させる、神秘な力」を指す言葉らしい。ムスは「発生する、生える」、ヒは「心、霊」の意味だそうだ。だからか、握り飯を食べると、何だか体の中から力がわいてくるような気がする。それが日本人なのだ。

皆で囲む料理は、一同皆で手分けして準備すると、もっと連帯感が生まれる。「下ごしらえ」をすることで、材料を無駄なく使い、生き物であった食物にたいして、命を「いただきます」という生命を与えてくれたものに感謝する気持ちと、人にたいする慈愛と感謝の気持も湧いてくる。

料理の下ごしらえは、忍耐努力根性という人生の下ごしらえに通じる。自分で下ごしらえせずに簡単に口にできる食事ばかり食べていると、義務を果たさずに権利ばかり主張する自分本位の人間になる。老若を問わず、好き勝手なことをしている刹那的な輩が増えているのは、「下ごしらえ」、『人生の下ごしらえ』をせずに社会に出るようになったからに違いない。ファミレス、コンビ二の食べ物に頼ってはいけない。食べるものを自分で育てて、収穫し、切って、煮て、炊いて、焼いて料理する。命を育ててくれて、与えてくれた自然と自然界の生き物に、自分を取り囲む人々に感謝する気持ちを育むことは大切だと思う。

「森の時間」を、そんなことが体験できる場にしたいと考えている。

奥多摩の「青梅の杜」というところで、『同じ釜の飯』を食べてきた。

といっても、薪を割って、「鍋の汁」okutamajiru と「青竹のバウムクーヘン」作り。 鍋といっても「ダッチオーブン」。和洋折衷の野外料理、というかアウトドアークッキング。(同じことか?) 『秋の一日、大人の時期を過ごしてみませんか-スローライフ入門』 という JEEF (日本環境教育フォーラム)のイベントです。

午後1時集合だったので、午前中は大丹波川沿いを紅葉を求めて歩き、山葵田で山葵を譲ってもらったり、集落の小さな酒屋さんで手に入れた澤の井酒造の新酒を味わったりして、奥多摩の秋を満喫してから参加した。30名ほどのイベント。私は学生時代の知人2名と参加。主催者側の若者達はてきぱきと動き、初めて会う参加者達もすぐに打ち解けて、旧知の仲のような安心できる時間があっという間に過ぎた。我々は2人のお嬢さんと班を組んだ。皆が分担して必ず何らかの作業をするので、自然に助け合う。 だから、自然の中で人々は、皆好い人になる。IMG_0512同好の集まりということもあるのでしょうが、あの安堵感、一体感は、食べる物を一緒に準備し、作り、IMG_0524そして焚き火を囲んで食べる、IMG_0537という共同作業の過程から醸し出されているのだと思う。 

四面を海に囲ま れ、メリハリある四季。この島国は季節の食べ物に恵まれている。縄文の時代から、『火』を中心に人が『環』を作り、季節の恵みを火で料理して食べてきた。容器に入れて煮炊きし、火にかざして焼く。新鮮なものは生で食べる。皆で作業して、分かち合う。私たちの体内には、焚き火を囲み、鍋物を分け合い、『和』を尊ぶ遺伝子があるからだ。

そんなことを感じた、秋の一日でした。

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ありふれた週末

2005年11月06日 | 随想・雑文

体が休養を求めていない週末は、「森の時間」に向かう。

土曜日に出発するときは、行楽の車が動き出す前の朝5時台に家を出るようにしている。だから金曜日はできる限りお酒の席を作らないし、避けるようにしている。

IMG_0485 東松山ICまで一般道で65分。東松山ICから下仁田ICまで45分(スピード違反?)。下仁田ICから内山峠を越えて、佐久平の東の端の旧道を南に向かって走り抜け、佐久穂町畑まで60分。そこから北八ヶ岳方向、西に向かい7-8分の登り。佐口の集落を抜けてから3-4分。家からちょうど3時間ほどで標高千メートルの「森の時間」に到着する。

この週末の作業を振り返ってみると、

  1. 第二小屋の内装-床は二度塗り、壁は一度塗り。温度が下がってきたので乾きが良くない。乾ききらないうちに二度塗りをしたので、もう一度塗らねばならないだろう。
  2. 外装のペイント-着手するも一面すらもも完成できずに断念。(疲労骨折が疼いた。無理すると後遺症残る・・・)IMG_0492
  3. 小屋入り口の雨除けの屋根作り-1人作業なので、頭と体力を使う 。(これも腕を気遣い無理せずに作業。)
  4. 小屋内に窓枠の建具を付け、カーテンレールとカーテンを取り付けた。 IMG_0478
  5. 寝る前、第一小屋内に貯めこんだ食料・調理器具を整理。
  6. 第二農園の収穫が終わったナスを抜き、鋤きこんでタマネギ苗を植える。元気に育っているキャベツが何者かに葉っぱを食いちぎられている。雉?

小屋に泊まる夜はゆっくり食事する。この日の夕食は鍋料理。地元のスーパーマーケットIMG_0473で買った、都会では見慣れないキノコ3種(各80円)、ニラ(50円)、ハクサイ1/4(60円)、豆腐、助宗鱈を材料にする。鰹ダシの薄塩味。

切り落とされた爪のような弧を描く月が森の向こうに消えると、空には満天の星。漆黒の闇の中でしばし見上げる。それから、焚き火の残り火で暖を取り、焼酎で快くなって、10時過ぎには眠りにつく。

朝4時に目覚めるが、まだ真っ暗で寒い。毛布を二枚にして、もうひと寝入り。6時半に自然 起床。朝食には残りの野菜で味噌汁を作り、ご飯を入れて雑炊風にして食べた。IMG_0477その後、ミネラルたっぷりの糞の山を築き、歯磨き、洗顔して作業を開始。作業終了目標は12時。後片付け等で出発できたのは1時過ぎ。後片付けと汚れ落とし、着替え、夏は更に素っ裸の行水等で、出発までに一時間ほどかかる。

帰路、内山峠の群馬側にある野菜屋さんでダンボール一杯の野菜各種を買い(都会で4千5百円相当が3千円)、家に着いたのが5時15分。この日の帰路は4時間かかった。行きは3時間、帰路は3時間半から4時間。だいたいこんな感じ。この日の信越・関越道は渋滞直前でそこそこのペースだったが、東松山ICからの一般道が突然の激雨で混雑していた。でも、「平原綾香」と「徳永英明」の新譜CoverVersionを手に入れたので、お気に入りの歌を口ずさみ、フランスパンやせんべいをかじりながらのドライブ。「いい週末」という感じ。

早速にお風呂に入り、湯上りビールを片手に「笑点」でお笑い、リラックス。

夕食は、買ってきたホウレンソウ、キノコなどの野菜鍋。それに豆腐と油揚げのタンパク質。今日も鍋。新鮮で栄養たっぷり、これこそが本来の野菜の味なのだと、家族に押し付ける。

それから、机に向かって、撮影してきた写真を保存したり、先週の出来事を整理したり、今週の予定などに思いを巡らす。家に居るときは机に向かっている時間が多い。最近テレビは殆ど見なくなった。新聞は隅から隅までよく読む。

10時過ぎには眠くなるも、明日着て行く背広・ネクタイと靴を準備し(まだ一応サラリーマンしている)、更に机に向かって、今週の資産計画を立てる。そして11時頃には早々と横になり、小泉武夫「食の堕落と日本人」を読みながら眠りに落ちる。

こんなカンジが、今年の夏から秋の私の「ありふれた週末」だった。

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Le Beaux Jours d'Autumn

2005年11月06日 | 随想・雑文

Autumn, L'Autumn, L'Outono, L'Otono, 紅葉、真っ盛り。

IMG_0468

IMG_0457 

佐口湖畔の桜の紅葉。IMG_0462

  IMG_0460

IMG_0498トトロのトンネルも秋色。 IMG_0496

  

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Mary Jane

2005年11月01日 | 随想・雑文

秋の日、神社の階段で。mfndvc10086_i.jpg(携帯から投稿)

眼下に江戸川が横たわり、その向こうに都会のシルエットが浮かびあがる。東京の街に太陽が沈む、その瞬間、江戸川の川面が蜜柑色から茜色に変わる。子供の頃から、この場所に犬を連れてよく来た。この季節、この風景が好きだった。

父の愛犬「メリー」。犬の名は、昔から一緒に過ごす時間が長い母が命名している。

元成田空港の麻薬検査犬。引退して訓練所でも仕込まれていたので、マナーは完璧。どうも人の言葉が分かるらしい。父が入院しているときは、死んでしまうのではないかと思わせるほど、呼んでも全く反応せず、定位置で寝たきり。父が歩けなくなってくると、合わせるかのように、足取りがよろめき出し、立ち上がるのがやっとの状態になってきた。飼い主の生き写し。父とメリーは、きっと一緒に逝ってしまうと思う。

足が弱ってきても散歩は大好き。ひとたび外に出ると他の犬には全く関心示さず、常に人の左側にぴったりついて歩く。長い尻尾を左右に振りながら颯爽として歩くメリー。

このメリーとあと何度、あの夕日が見れるだろうか・・・。

Mary Jane on my mind.

I cry my eyes out over you.

Long long and lonely night.

Ever since you're gone ~~~

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