腕の調子が一向によくならないので、この週末は家の周辺で屯うことにした。
父がまた入院した。病院に行かねばならないのだが、週末は兄が行ってくれるので、月曜日に行くことにした。今週末はやることがあるのだ。それは、将来するかも知れない講演内容とテーマを考えること。「コムねっと」(新現役ネット)と「話力研究所」で学んでいることを話し方に反映させたい。家にいてもなかなか名案が浮かばないので、久しぶりに、荒川土手に行って走ってみることにした。足裏の靭帯損傷はだいぶ良くなった。ジョギングで10分、歩きで30分程経過すると頭がすっきりして回転が良くなるそうだ。有酸素運動で新鮮な酸素が脳に送られるからだろう。土曜日は5.5キロ、日曜日は4.5キロ走ってきた。それで固まったテーマが、「森の文化-日本人の自然感覚を呼び戻そう」。まあまあかな。
まず、3分で話せるように纏め、5分、10分の長さ、更に30分、60分、80分に発展させる。逆に1分で趣旨を簡潔に言い表わせるような練習をする。しかし、この分野のテーマで話を完結したことはまだない。今週の木曜日に、10分のお話し時間があるので、少し気を入れて準備せねばならない。
さて、内容を洗練させようかと思っている矢先に、Tigerさんが亡くなったとの知らせが届いた。講演を準備する思考は完全停止。
1988年夏、南アルバータ草原の町でTigerさんと出合った。Nanton市で、MushRoom農場を経営されていた。 草原の一軒家。Tigerさんと4人娘、とくに長女N美との出会いは私のカルガリー生活を忘れがたいものにしてくれた。N美は5年ほど私の仕事のアシスタントとして、プロジェクト商談や事業会社設立の大きな助っ人になってくれた。彼女の登場で、6年間のカルガリー生活の後半が、変化に富んで、躍動的で達成感に満ちた日々になった。その後、お互いの環境が変わって遠く離れていても、カナダや日本で旧交を温め、相談相手になっている。
Tigerさんは、自衛隊を除隊して農大で菌糸学を学び、農業移民としてカナダB.C.州に移り住んだ。B.C.でのMushRoom農場では周辺住民やUnionの強い閉鎖的な市場で苦労されたそうで、南アルバータ州のNantonの郊外に移住した。冬は体感温度がマイナス40度になるロッキー山麓の平原で、キノコの室を維持し、菌を定着させる環境を作り上げるのに何度も失敗があった。菌が全滅して、全く収穫のなかったこともあったそうだ。引退したら農大の仲間が大勢移住しているブラジルに行く、と言っておられた。私がサンパウロに居た事を知って、お便りを頂いた。Tigarさんの農場のPrivateな空間には、難しそうな文献や小説本が溢れていた。勉強家でした。
7年前、家族でTiger農場にお邪魔した。Tigerご夫婦が草原の小さな点になるまで見送ってくれた。Tigerさんは石の上に飛び乗り、いつまでも両手で大きく手を振っていた。それが、私にとって最後の姿になってしまった。
今年の春に、N美から日本にいるので会いたいと突然電話があった。その際、Tigerさんの容態が悪化していることを聞いた。カルガリーに飛んで、是非父に会ってあげて欲しいと言われていた。だが、行かなかった、行けなかった・・・。 この夏、カルガリーに行かなかったことを悔やむ。後悔、惜別・・・。
山麓の町、カルガリーでの日々・・・。私の自然志向の原点は、カナディアンロッキー山麓の厳しい自然と暖かい暮らし。 行きたい・・・。戻りたい・・・。幸せに満ちた風景に包まれて、もう一度思いっきりロッキーの空気を吸いたい・・・。