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ユージン・オーマンディを聴く

2008年07月21日 17時33分01秒 | 「指揮者120人のコレを聴け!」より

 以下は、1998年6月に発売された『名指揮者120人のコレを聴け!』(洋泉社ムック/絶版)の原稿です。同書の独特のフォーマットに合わせて執筆したものです。

「ユージン・オーマンディ」 Eugene Ormandy (1899~1985)

●国籍:ハンガリー~アメリカ
●略歴:ブダペスト生まれ。5歳でブダペスト音楽院に入学。ヴァイオリニストとして活動を始めた20歳の時、アメリカへの演奏旅行に到着した際にキャンセルに会い、やむを得ず生活のために劇場オーケストラの団員になる。急病の指揮者の代役でデビュー、以後31年にミネアポリス響の指揮者。38年にはストコフスキーの後任としてフィラデルフィア管の指揮者に就任。以来40数年もの長期間その地位にいた。
●主要CDレーベル
 RCA CBS/SONY
●キーワード
 指揮者になりたくなかった指揮者
 全員参加、全会一致の音楽
●特記事項
 細部への執着は、楽員に順番に出番を回そうとする気配りから?

(本文)
 オーマンディが長年録音を続けた米コロンビア(現SONY)を離れ、米RCAに移籍した1968年に作られた記念LPというものがある。移籍というのは正しくなくて、RCAへの復帰なのだというが、それによるとオーマンディ/フィラデルフィア管のレコード・デビューは、RCAに36年に録音したパガニーニ『ヴァイオリン協奏曲第1番』の伴奏で、独奏者はクライスラーだった。オーマンディはクライスラーとの録音と同じ36年12月13日と翌年1月9日にチャイコフスキー交響曲第6番《悲愴》を録音。これがオーマンディ/フィラデルフィア管が本格的に世に問うた最初の録音となった。
 どちらも最近CD化されたので手軽に聴くことができるが、パガニーニの伴奏の方が音楽の表情が生き生きとしていて、チャイコフスキーの交響曲は、サウンドのまとまりは良いものの、いったい何を伝えたいのかがわからない。それぞれのパートがどれも等距離に置かれていて、楽員が公平に分担しているといった不思議な風情を持った演奏だ。内声部がよく鳴っている演奏というのとも違う。だれにでも多少はある特定の音への偏愛、こだわりがオーマンディにはないのは、なぜだろうか? オーマンディは、ひたすら黙々と、淡々と、指揮を続けている。
 オーマンディは、それぞれの音楽に固有の温度差とでもいうものに、まったく関心がない人のようだ。もしこれを「職人気質」というのなら、職人とは実につまらない人種だが、職人芸とももちろん違う。
 オーマンディは、最初に就いた職が、無声映画時代の映画館での、ヴァイオリン奏者だった。それが、オーマンデイ自身の回想によれば、就職して5日目には、解任されたために空席になっていたソロ・コンサートマスターに抜擢されたという。その後しばらくして副指揮者に登用されるが、その時も演奏の始まるわずか5分前に指揮者が病気で来られなくなったと連絡が入り、他の3人いた副指揮者も夕方までは誰もこないことになっていたので、「君がやれ」と大急ぎで着替えさせられたのが始まりだ。 この時代の大きな映画館では、映画の合間に、交響曲の一部やバレエの数曲などをオーケストラが聴かせていたが、このときの曲目はチャイコフスキーの第4交響曲と、ドリーブのバレエ曲1曲だったという。演奏の終了後に、第3副指揮者の地位を与えると支配人に言われたが、オーマンディは断った。「私はヴァイオリニストです。きょうは突然のことだったので指揮台に飛び乗って指揮しただけで、指揮したいなどとは一度も思ったことがありません」。だが支配人は説得を続け、25ドルも給料を上げると言い出したので指揮するようになったとオーマンディは語っている。そしてオーマンディは「指揮にはまったく興味がなかった」と改めて強調している。(「チェスターマンとの対話」より) これは、おそらく謙遜でも何でもない。本心なのだろう。こうして、生活のためにヴァイオリンを弾いていた青年がひとり、指揮者になってしまった。それが、指揮者として才能があったからではなく、たまたま空席があったりしたときに、使えそうな奴として(誰でもよかったとまでは言わない)声をかけられた程度のものなのだ、というのは、オーマンディ自身が一生にわたって持ち続けていた思いなのだ。前記の対話を読むと、そのことがよく理解できる。
 オーマンディの演奏の、奇妙な「自意識の欠落」には理由があるのだ。もともと、映画館での場つなぎの音楽屋から出発したとか、誰とでも即交代可能な演奏で毎日同じ曲を演奏させられたとかいうこと以上に、オーマンディの内面に生涯つきまとっていた「自分は指揮者としての才能がない」という思いだ。だが、その思いと同じくらいに、技術的には完璧な指揮者だ、という自負もあったに違いない。そうでなければ続くわけがない。何しろ、フィラデルフィア管という全米でも有数の一流オケのトップに君臨し続けたのだから。
 《新世界交響曲》は、CBSのステレオ録音はオーマンディでは例外的にフィラデルフィア管を離れてロンドン響との録音だが、その後のRCAへの復帰後にフィラデルフィア管と録音している演奏ともども、判で押したように、デビュー録音の頃と同じに、妙にオーケストラの各パートが等価に響く演奏だ。どこのオーケストラを振っても同じというのも凄いが、それ以上に40年間変わらなかったというのが凄い。「指揮棒を持った人」として指揮台に立ってはいても、生涯にただの一度も「指揮者」だという実感を持てなかった人だったのかも知れない。

【オーマンディを聴く3枚】
●チャイコフスキー:交響曲第6番《悲愴》/フィラデルフィアo.
[英BIDDULPH:WHL046]1936年録音
●ドヴォルザーク:交響曲第9番《新世界より》/ロンドンso.
[米SONY:SBK46331]1967年録音
●ドヴォルザーク:交響曲第9番《新世界より》/フィラデルフィアo.
[BV-RCA:BVCC8845~6]1976年録音

 


 

【ブログへの再掲載に際しての追記】

文中「チェスターマンとの対話」よりと略記してあるのは、『マエストロたちとの対話』(ロバート・チェスターマン著・中尾正史訳/洋泉社1995年9月刊)です。

 

 

 

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コメント
 
 
 
たいへん興味深い (クリングゾール)
2017-04-18 21:28:17
たいへん興味深いお話です。

面白いですね。

私は以前は、オーマンデはィにとんと興味のない方でしたが、ここ最近「ある日、突然恋に落ちた」かのように、毎日のようにオーマンディのディスクを聴き、漁っております。

実は、私も僭越ながらオーケストラの指揮の経験があります。
アマチュアの市民団体が相手ですが、トータルで10年余り、いくつかのオケを指揮させてもらいました。
はい、ほとんど成り行きで、偶然に。

その時痛感したのは、

「曲は作曲家が書く。演奏はオーケストラがする。楽器は楽器屋さんが作る。楽譜は楽譜屋が校訂し、印刷する。さて、自分は何をしよう?」

ということでした。

大指揮者と自分の経験を重ね合せるのもおこがましいのですが、オーマンディという人は、まず自分の職務に忠実、というか、いつ食いっぱぐれるかわからないという状況で仕事をしてきた人なのではないか、という気がしています。
おそらく、虚飾にはほとんど興味のない人だったんじゃないでしょうか。

生前から、その腕の割にはなぜか評価されないのは、わかるようでいて、やはり依然として謎です、私には。

オーマンディの詳細な伝記があったら、是非とも読んでみたいです。

今はただ、残された素晴らしい録音(本当にどれも素晴らしい!)を、一つ一つ丹念に聴き、楽しもうと思っております。





 
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