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バンベルク響17枚組ボックスの稀少録音/ドゥダメルの「ウィーン・フィル・ニューイヤー」/園田高弘とN響/堀米ゆず子とN響

2017年07月28日 16時04分16秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)

半年ごとに、新譜CDの中から書いておきたいと思ったものを自由に採り上げて、詩誌『孔雀船』に掲載して、もう20年以上も経ちました。2011年までの執筆分は、私の第二評論集『クラシック幻盤 偏執譜』(ヤマハミュージックメディア刊)に収めましたが、本日は、最新の執筆分で、今年上半期分です。いつものように、詩誌主宰者のいつもながらのご好意で、このブログも掲載します。なお、当ブログのこのカテゴリー名称「新譜CD雑感」の部分をクリックすると、これまでのこの欄の全ての執筆分が順に読めます。

 

■バンベルク交響楽団の創立70周年記念17枚組CD
 ドイツ・グラモフォンのマークが付いているが、テレフンケン(テルデック)、アマデオ、オイロディスク、オルフェオ、BMG、ソニー、バイエルン放送の音源まで加わったもので、もちろん、このオーケストラの前身である「プラハ・ドイツ・フィルハーモニー」時代からバンベルクでの創設時の指揮者まで務めたヨーゼフ・カイルベルトの指揮も収録されている。このオーケストラは第二次大戦前、当時のチェコ=スロヴァキア共和国の首都プラハで、同地に在住のドイツ人によって結成され、それが戦後になってプラハが共産圏(いわゆる東側)に組み込まれる事態となり、それを嫌って西側に亡命した楽員たちがドイツのバンベルクで創設したオーケストラだ。その重厚で暖かな音色が、大戦後のベルリン・フィルをはじめとする機能美へと傾斜していったオーケストラ文化の転換期にあって、大げさに言えば〈タイム・カプセル〉のような独自の存在感を持っていたことを思い出す。それは、一九八〇年代半ば、ヨッフム指揮の時代くらいまでだろうか。結成後間もない五〇年代のクレメンス・クラウスの「ばらの騎士のワルツ」、スイットナーの「ペール・ギュント組曲」、フリッツ・レーマンの「幻想序曲《ロメオとジュリエット》」、フェルディナント・ライトナーの「ワルツ《春の声》」なども収録されているのがうれしい。常任指揮者就任の決定直後に事故で急逝してしまったケルテスのマーラー「交響曲第四番」や、相性の良かったケンペの「歌劇《売られた花嫁》ハイライト」やシューベルト「未完成」も貴重。今はすっかり失われてしまった〈一筆書きの音楽〉の勢いが、何よりも代え難い魅力となっている。

 

 

■ドゥダメルのウィーン・フィル2017「ニュー・イヤー」
 ウィーン・フィルも半世紀以上もの間に随分と変化して、往年の響きや艶が失われているが、それは〈仕方のない時代の流れ〉として、私は積極的に受け入れてきた。だからこそ、奇妙に前のめりの音楽で煽るカルロス・クライバーよりも、〈意識操作の果ての音楽〉に徹したマゼールのニュー・イヤーを高く評価していた。マゼールのような〈屈折した抒情〉がマゼール自身も晩年に気づいていたように、いつか突き抜ける道が開けることを信じつつ、いったい、それは誰の手で、いつのことだろうと思っていた。それが、ウェルザー=メストでもなかったのには拍子抜けしたわけで、あの借りてきたネコのような初登場はイケナイ。だが、ドゥダメルには目が離せなくなってしまった。じつは、このドゥダメルという指揮者がベネズエラのオーケストラを振った演奏で姿を現した時には、何か違和感を感じたのだが、今にして思えば、それは、オーケストラの側に、どこかしらの無理というか力みというか、自然な音楽の流れとは異質の何かが挟まっていたからだと思う。この若い指揮者の美質は、よく言われるような「ラテンの血がさわぐ」と言った言葉で語れるようなものではない。体全体からほとばしるように生まれ出る音楽の持ち主に〈借り物〉ではない真の音楽家集団が応えたのが、このニュー・イヤー・コンサートだ。かつて一九五〇年代から六〇年代に、ウィーン・フィルはいくつもの奇跡的な名演を残しているが、それは、いずれも一期一会の輝きだった。それと同じことが、ここでも起っている。聴いていて幸福になるCDである。「音楽は、これほどに自由なのだ!」と思わず叫びたくなった。


■園田高弘とサヴァリッシュ/N響のシューマン「協奏曲」
 このところ、ひんぱんにNHK交響楽団の演奏会記録がCD化されている。こうした放送局のアーカイヴ音源が登場するのは、各レコード会社が新譜を作る体力を失っているからに他ならないから、余り喜ばしいことではないし、いつも私が指摘しているように、磨き上げられた正規のスタジオ・セッション録音と異なり、演奏家の解釈の真価を問うものとしては「参考資料」といった受けとめが大切だという私の持論には変わりがないつもりだ。だが、この2枚組アルバムに収められたシューマンは強く印象に残った。園田高弘は、堅固な構築力を持った音楽を聴かせる数少ない日本人ピアニストのひとりだったと思うが、だからこそ、このシューマンの「協奏曲」の音楽の流れに乗せて、独特の夢みるような幻想性を生かすことが出来たのだろう。ずいぶんたくさんの演奏で、この曲を聴いてきたつもりだ。一番初めに聴いたのはリパッティとカラヤン/フィルハーモニア管のEMI盤。自在なピアノをしっかりと支える敏感な反応のオーケストラとの奇跡的な共演が生まれていた。それと音楽の方向は異なるのだが、園田のピアノにも、じつに豊かな夢があり、それがしっかりと微動だにしない土台の上にあることが感じられた。指揮を受けもつサヴァリッシュは、この一九六四年十一月がN響との初顔合わせだったという。力が漲っていながら感興にあふれた自在な伴奏が繰り広がるのは、すべてがうまく合致した瞬間がここに生まれているからだ。N響に対して次第に模範を示す教師然とした音楽が前面に出てくる以前のサヴァリッシュが、ここにいる。これは、セッション録音ではなかなか生まれない演奏の記録だ。

 


■堀米ゆず子とヘルベルト・ケーゲル/N響のシベリウス
 これもNHK交響楽団のアーカイヴからのアルバム。前項よりもずっと後の時期、最も古いものでも一九八〇年九月に行われたもので、曲目はシベリウス「ヴァイオリン協奏曲」。以下、八一年のドヴォルザーク、八七年のモーツァルト「2番」と続き、最後に二〇一〇年のベートーヴェンと、4つの「ヴァイオリン協奏曲」を収めた2枚組。独奏者は堀米ゆず子である。一九八〇年という年が堀米にとってどういう年だったかを、私は今でも鮮明に記憶している。エリザベート王妃コンクールでいきなり優勝し、すぐさま本選の演奏がレコード(まだCDが一般的になる前だ)で発売され、一躍、時の人となったのがこの年、まだ彼女が十八歳だったと思う。その曲目もシベリウスの「協奏曲」。もちろん伴奏は本選会場ベルギーの放送局の交響楽団だった。ヴァイオリン・ケースを抱えた彼女の写真を掲載したジャケットの「ドイツ・グラモフォン盤」が緊急発売されたのは日本だけだったはずだ。もちろん今でも持っているが、タワー・レコードからそのジャケットを復元したCDが発売された時にも、懐かしくて購入してしまった。スターン/オーマンディ盤でほぼ満足していた私が、この曲のたくさんの録音を収集するようになったきっかけがこの堀米盤だ。じつは、それ以来、この曲は女性ヴァイオリニストに合っている、とも思っている。それほどに堀米のインパクトは強かった。その本選から数ヶ月しか経ていない凱旋公演のひとつをこうしてCDで聴けるとは思っていなかった。本選よりも一段と確信を持った骨太の音楽が艶やかに奏でられる。それを受ける指揮者がヘルベルト・ケーゲル。これは凄い!

 

 

 


 

 

 

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