何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

西方寺 (横浜)

2017年08月11日 | 寺社巡り-神奈川

【横浜・港北区】平安末期の建久五年(1190)、醍醐三宝院座主・奈良東大寺の別当の勝賢僧正を開山として鎌倉の笹目ヶ谷に「補陀洛山安養院西方寺」として創建された。 その後、武将北条重時が真言律宗の僧忍性(嘉暦三年(1328)忍性菩薩の号を勅許)を鎌倉に招き、鎌倉時代文永四年(1267)に極楽寺を創建するにあたり、極楽寺の一山の中に移された。
極楽寺は広大な大伽藍の寺院だったが戦禍や天災で多くの堂宇を失い、室町時代に入ると大きく縮小され、明応四年(1495)、西方寺はこの新羽の地に移転された。 西方寺がこの地に移って来る前、この地には観音菩薩像が祀られ観音信仰として衆生の崇敬を受けていた。 真言宗で、本尊は阿弥陀如来坐像で平安初期作とされる。

参道入口に3基の石柱が立ち、その先には中央に石畳を敷いた芝生の参道が山門へと伸びている。
奥の石の階の上に茅葺の山門が建ち、深緑を背に本堂の茅葺屋根と重なって見える様は趣があり、古刹を強く感じさせる。 手入れが行き届いた石畳と芝生の参道を歩くのは実に心地よい。
精緻な装飾彫刻が施されている山門....見事な宮彫りに感服しながら山門をくぐると、眼前に緑の絨毯を敷き詰めたような鮮やかな芝生が広がり、静謐な空気が満ちている。 正面には小棟造りの茅葺屋根の本堂が鎮座しているが、均整がとれた格調高い雅びな姿の御堂だ。 前面が全て舞良戸で一見古民家風だが、堂前に立つ回向柱と1基の石燈籠が御堂であることを教えてくれる。
境内右手の一段高い平地に、「大悲閣」の扁額が掲げられた観音堂、石造りの経蔵、朱塗りの鳥居と稲荷大明神の幟が立つ稲荷社、そして茅葺の鐘楼があるが、鐘楼は江戸初期建立でどっしりとした重量感を漂わせている。 深い樹林を背にした茅葺の堂宇がある境内は長閑な佇まいで、山寺の風情を感じさせる。

参道入口に勾欄付石橋らしきものがあり、3基の石柱が立つ
  
「恵比寿大神鎮座」(港北七福人第1番)の標石/天明三年(1783)造立の百番供養塔..阿弥陀三尊の梵字の下に「西國・秩父・坂東為二世安楽也」の刻/文化七年(1810)造立の「秩父・坂東・西國・四国巡拝供養塔」

古色蒼然たる佇まいの参道..芝生の中央に石畳、門近くに石の階が続く
 
茅葺屋根の山門と本堂の茅葺屋根とが重なり、古刹の趣を漂わせている

切妻造茅葺の山門..江戸末期の弘化年間(1844~1848)建立
 
山門の精緻な装飾彫刻に目を奪われる..虹梁上に龍や鳳凰、木鼻の像と獅子、懸魚そして絵様の宮彫り

どっしりした量感を感じさせる山門..本瓦で葺いた木造の袖塀に小さな通用口が設けられている

山門から眺めた本堂は趣があり格調高い..堂前に回向柱と1基の石燈籠が立つ

小棟造りで寄棟造茅葺の本堂..享保六年(1721)建立
 
石燈籠越しに眺めた本堂..簡素な向拝、周囲に切目縁を巡らし、正面八間は全て舞良戸

本堂には平安後期作とされる本尊阿弥陀如来坐像を祀る

本堂後方の庭園..庭園の奥に七重石塔が立つ

本堂前は一面、鮮やかな緑の絨毯を敷いたような美しい芝生だ!
 
境内右手の一段高い平地に観音堂、鐘楼、経蔵そして稲荷神社が鎮座/切妻造銅板葺の手水舎
 
狭い石段の上の境内に建つ観音堂/露盤宝珠を乗せた三間四方で宝形造銅板葺の観音堂..江戸時代に境内の竹藪から現在地に移転され、昭和に再建

観音堂に安置されている十一面観音像は平安末期作で、西方寺が移転してくる前からこの地に祀られていた
  
観音堂に観世音菩薩を安置した仏堂を示す「大悲閣」の扁額が掲げられている/観音堂境内に建つ経蔵(と思う)と稲荷大明神を祀る稲荷神社

入母屋造茅葺の鐘楼..宝永五年(1708)建立とされる
 
昭和五十五年(1975)鋳造の梵鐘..当時の梵鐘は戦争中に供出

入母屋造銅板葺で妻入りの客殿
 
本堂左奥に建つ庫裡..入母屋造桟瓦葺の屋根が縦に連なったような造り/本堂前庭の木立の中に佇む十三重石塔..初層軸部に四方仏が半肉彫り

墓所への参道から眺めた本堂..左の山門横の庭に石造物、右に俳壇の記念碑が立つ
 
「みすま俳壇十周年記念碑」..奥の建物は茅葺の鐘楼/山門横の庭に鎮座する五輪塔と宝篋印塔群..極楽寺時代のものだろうか
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