何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

椿八幡神社 (国東)

2016年09月19日 | 寺社巡り-大分

【大分・国東市】社伝によると、奈良時代の天平神護元年(765)、ご神託により御在所山に宇佐神宮の分祠を鎮座した。 約260年の間に数度の野火に遭い、平安時代治安三年(1023)の火災を機に現在地に社殿を造営し、ご神体を安置した。 それ以来、宇佐神宮の末社の行幸会が六年に一度執行されたが、江戸時代元和二年(1616)頃に途絶えた。
鎌倉時代以降、領主の嵩敬が厚く、特に今市城主の武蔵田原氏は社殿の造営に意を注いだ。 御祭神は八幡大神(応神天皇)、比売大神、神功皇后の3神。

重厚な鳥居をくぐると直ぐ先に擬宝珠高欄を設けた古い石橋がある。 石橋を渡った直ぐ右手にご神木のクスノキが聳えるが、その幹の巨大な太さに吃驚した。 樹齢約990年と伝わる大分県指定の特別保護樹木だ。
その先に重厚な屋根に鯱を乗せた四脚門の神門が建ち、左右に白壁の低い築地塀が続く。 静謐な空気が漂う門前は、まるで寺院のようで趣があるが、神門を通して奥に社殿が見える。
神門をくぐって社殿境内に入ると、参道の脇や社殿の周りに苔生した笠が乗った多くの石燈籠が佇んでいる。 殆どの石燈籠は江戸時代造立のようだが、一部の火袋部には造立年を記した木札が目立たぬように取り付けられていて、椿八幡神社を守護する氏子たちの気配りを感じさせる。
神門の直ぐ右手に小さな朱塗りの神馬舎があり、社殿を向いて白い神馬像が鎮座....格子を通して見える神馬像に一礼して神門を出た。

道路から眺めた神社正面の全景

江戸時代宝永二年(1705)造立の石造り台輪鳥居..「八幡○○宮」の額が掛る

石橋の直ぐ右手に太い幹のクスノキが聳える..樹齢約990年と伝わる(大分県指定特別保護樹木)
 
門前を流れる小川に架かる擬宝珠高欄付の石造り太鼓橋/切妻造桟瓦葺で柱・貫が朱塗りの手水舎

入母屋造本瓦葺の神門(四脚門)..本柱は丸で控柱は角、棟に鯱を乗せている

境内には享保など江戸時代造立の多くの苔生した石燈籠が佇む

入母屋造桟瓦葺の拝殿..左右の部分は「楽の間」か

獅子口が乗る大きな千鳥破風の拝殿向拝
 
拝殿前に江戸時代前期の貞享元年(1682)造立の石燈籠..蕨手がない笠、請花が彫刻された中台、太い竿、反花座と2段基礎
 
向拝の梁上に2頭の龍の見事な彫刻..木鼻は獏のようだ

拝殿から眺めた擬宝珠高欄を設けた弊殿、奥に本殿..拝殿に「八幡宮」の額と額絵馬が掛る
 
入母屋造銅板葺の弊殿と向唐破風を設けた流造銅板葺の本殿/本殿大棟に男神を表す外削ぎの千木と5本の堅魚木を乗せている

社殿左手に立つ元文二年(1737)造立の台輪鳥居越しに眺めた境内

入母屋造桟瓦葺の神楽殿
 
神楽殿傍に佇む石燈籠..両側の大きな2基は享保十年(1725)造立/神楽殿傍に佇む石造祠

境内の左手に整然と立ち並ぶ石燈籠..元文造立が多く、左端の石燈籠は元文二年(1737)造立
 
社殿左手で四脚を設けた石燈籠を従えて鎮座する境内社
  
江戸時代初期寛永八年(1631)造立の石燈籠群/寛延三年(1750)造立の石燈籠/切妻造桟瓦葺の屋根で覆われた古井戸

自然石を利用した手水鉢..手前の擬宝珠石柱に宝暦七年(1757)の刻銘
 
手水鉢越しに見た神輿庫..手水鉢には元禄七年の刻(1694年造立)/神門右手の神馬舎..白い神馬像を安置

神門前の右奥に建つ裳腰をつけた建物は社務所と思う
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