何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

開光院 (あきる野)

2017年06月02日 | 寺社巡り-東京

【東京都・あきる野市】室町時代の文安五年(1448)、嶽珊禅師を開山として創建された古刹。 創建間もないころ、室町中期の武将で江戸城を築城した太田道灌がこの地域に出陣した際にこの寺に滞在し、寺領を寄進した。 中興の開基として太田道灌の位牌が祀られ、また、江戸幕府から寺領16石の御朱印状を拝領した際の朱印駕籠が保存されている。 臨済宗建長寺派で本尊は文殊菩薩像。

玉林寺から北方の高台に建つ開光院を目指して進む。 参道の途中にある小さな石橋を渡ると、路傍に「天台橋供養塔」と刻まれた江戸末期造立の石標が立つ。 石橋は歩いていて見逃しそうなほど小さいが、これが天台橋だと思う。
石橋から緩い登り坂の参道を進むと、「幽遠山」の額が掛かる山門と左右に鐘楼と長屋門が見えてくる。 門前の広場に3基の石碑が佇むが、その中の1基は「翁塚」で松尾芭蕉供養の碑だ。
山門を通して境内を眺めると、緑の木立に隠れるかように赤い屋根の本堂と庫裡とが見える。 小棟造りの本堂は江戸初期建立の建物であきる野市で最も古い遺構らしいが、仏堂というより古民家のようだ。
墓所に向かう石段の上に六地蔵像などの石仏が鎮座....興味深いのは江戸中期造立の馬頭観音像で、五日市で最も古いものらしい。
山門を出て長屋門近くにある狭い参道を上っていくと、緑の木々が生い茂る高台に前堂と称される大聖殿とその後方に一間四方の不動堂がひっそりと鎮座している。
 
参道脇に立つ石標の「天台橋供養塔」..天保十三年(1842)造立/石標傍の参道を横切る小川に架かる石橋..これが天台橋と思う

参道から眺めた門前の全景..中央の山門の右に長屋門、左に鐘楼が建つ

切妻造茅葺風銅板葺の山門は四脚門
 
山門両側に花頭窓を設けた袖塀がある/山門に「幽遠山」の額が掛かる

入母屋造銅板葺の長屋門
 
門前の広場に立つ「翁塚」..松尾芭蕉供養の碑で、明治初期から昭和初期までの俳句ブームを示す遺構/乱石積基壇上に建つ寄棟造銅板葺の鐘楼

山門を通して眺めた境内

境内の奥に建つ赤い屋根の本堂と妻入りの庫裡

寄棟造鉄板葺で小棟造りの本堂..寺伝で寛文十二年(1672)建立、高欄の墨書に宝永五年(1708)の銘
 
本堂はあきる野市内の建築物では最も古い方らしい/本堂周囲に簡素な切目縁を廻らす

正面は全面ガラス戸で古民家風の本堂

入母屋造鉄板葺で妻入りの庫裡..安政五年(1858)再建

墓所の入口に鎮座する六地蔵尊像などの石仏群
 
墓所入口の石垣下に鎮座する石仏群..上に変わった層塔が立つ/5基の宝篋印塔の笠を積み重ねたとみられる五重層塔
 
蓮華座に鎮座する宝暦十四年(1764)造立の馬頭観音像..五日市で最古のもの/安政五年(1858)銘がある大きな頭光(輪光)を背負った石仏(地蔵尊像か)
  
合掌する面長の石仏は地蔵尊像か(造立年不詳)/馬頭観音像(造立年不詳)/不自然な形の五輪塔..大きな風輪空輪は後補で、地輪は宝篋印塔の基礎を用いていると思う

境内左の緑の木々が生い繁る高台に建つ御堂..前は大聖殿で後方に不動堂がある

入母屋造銅板葺の前堂(大聖殿)..周囲に切目縁を廻らしている
 
宝形造銅板葺で一軒四方の不動堂..前堂と同じく切目縁を廻らす/手水鉢越しに眺めた大聖殿

不動堂の長押と頭貫の間に霊獣の獅子の彫刻、四隅の柱に木鼻のような獅子像が設けられている
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