5月14日(木)
13時半 秦野のアンチャン(実兄)が午前中の講義を終えやって来た。
ネットで大学受験を教える「センター試験国語満点作戦」作成のためだ。
かなり、PC操作は慣れたがまだまだ、誤操作がある。
70歳の手習いであるから仕方ない。
16時 弟が桜上水からやって来た。
兄弟が一緒に会するのは、3年前、お袋が介護病院に入って以来だ。
横浜の実家にお袋がいた頃は、年に2回は
実家で会っていた。
男兄弟3人。
アンチャンは71才現役の予備校講師。
次男が私68歳。
弟は66歳 絶縁材料の会社を経営している。
予備校講師も予備校との契約による自営業。
こんな年まで働きたくはないが、各人の生活状況があって
働かねばならない。
サラリーマンではないのは、組織に馴染めず
要領悪く、生き方が下手だからだ。
お人よしで騙され易いので苦労した。
馬鹿も一心兄弟である。
事務所で、アンチャンが買ってきた日本酒、ビール、つまみを事務所テーブルに並べ
話した。
お袋の介護では、弟夫婦に面倒かけている。
互いの商売の行く末も話した。
幼い頃は貧しく小さなアパートに一家5人暮らし。
3人共学業は優秀ではなかったが、真面目だった。
私はとりわけ半端者で親父、お袋、兄、弟には迷惑をかけた。
苦労の末 息子達が社会人になり、余生を安穏と送れるはずだったが
昭和61年に親父が客死してから
寂しい生活をお袋は過ごしてきた。
お袋の自慢は、「息子3人の嫁さんが優しい」?ことだと
知り合いに話すことだ。
親父は末っ子の結婚を見ることなく亡くなったのが
無念でならない。
近将来は弟夫婦に子供がいないので
会社経営を引き継ぐことも考えなくてはならない。
企業経営は社会的責任があり、やーめたとか
九段スズキ本店 長野利男のように
会社をホッポリ出し夜逃げするわけにはいかない。
20時 お開きとしてアンチャンは小田急電鉄で秦野へ
弟は横須賀総武線に乗って横浜へ
私は総武横須賀線で船橋へ帰った。