私はたぶん、その辺の男の人より「女性の肢体」が好きだ。そのケはないが、アンヴィヴァレンツな何かは持っているかもしれない。 今までで一番「美しい」と思ったのは、若かりし頃の松坂慶子で 映画『火宅の人』の緒方拳との濡れ場。
原田美枝子の若い色香も活き活きとして美しかったが、毒気の無い松坂のきれいな肢体が個人的に好きだった。まあ、キャラとしては、母そして妻としてのいしだあゆみのしっかり母さんぶりが一番好きだが。
ところで、今村昌平は「お尻フェチ」らしい。先日観た『カンゾー先生』でも、ソノ子が「先生に食わせてあげるんじゃ!」と海に飛び込んで鯨を追うのだが(映
像が美しい!)もんぺがスルッと脱げ、お尻が露わになるシーンがあ
る。また、『うなぎ』でも柄本明が清水美沙のスカートをガバッとめくるシーンがあった。ソノ子役の麻生久美子のお尻はたしかに可愛い。
坂口安吾の『行雲流水』。淫売をやめないソノ子に「もう我慢ならん」と病床から飛び起き、お尻をせっかんしていたら、死んでしまったというソノ子の父親の話、また、お経をあげるのに何時も適当に縮める、そしてどぶろく作りに専念する和尚が、男と心中するつもりで一人だけ逃げ助かった性悪のソノ子に対し、「このお尻か!
このお尻か!」と、死んだ父親の代わりに・・というより本人の根底にある願望と情動から、狂ったようにソノ子のお尻を引っ叩きまくるシーン。
私はこれをお風呂に入りながら読んでいたのだが(この趣味のせいで私の文庫本はへろへろになっているものが多い)、思わず「ぶっ」と大笑いして浴槽の中に本を落としてしまった。 で、「これからは男を狂わせて痛い目にあうより、ウスノロを徹底的に絞ろう」と心に決めたソノ子を見て、「私もそうしよう」と決めた――――――って冗談ですからね、そんな狂わせたこともないし。
芸能人だって音楽だって、「好きだぁーっ」 と心底ハマるものはそうない。
その時の気分、たまたま琴線に触れて作品に親しんでも、徐々にそこから見える人物像を客観的に考えては冷めて見たりしている。寺山なんて、とことん自作自演人間、物凄くロマンチストな嘘つき(語弊があるかもしれないが)だったんじゃないか、とよく思う。
(だから好きにならずにはいられなかったりもするのだが。)
そんな私が共感できない部分がたとえあったとしても、心底「人間に惚れた」のが坂口安吾だ。自分自身、人に押し付けられるのが嫌いだから、あまり人に押し付ける
ことはしないようにしているのだが、坂口作品だけは母に「読んでみて!!!」と無理矢理薦めた。何故だろう、三年くらい前に読んだときはそうでもなかったし、たしか前にこのHPでも「なんだかなぁ」と訝しい思いを吐露した筈だ。
坂口に触れて、最近「淫蕩さ」について考えたりしたのだが、坂口の言う「お尻」とか「お乳」、また今村作品における濡れ場は、卑猥で情欲がそそられるというよりは、
華美でそして少し滑稽だ。 一方で私は渡辺淳一の恋愛ものも嫌いじゃない(勉強になるし。笑)。 しかしああいう、愛だの恋だのネチっこいものより、 きゃーきゃー騒ぐオンナっつー生きものは不可解、けどオンナの体は好き、そんな自分に鬱・・でも俺ってそんなヤツだし・・・みたいな、実際、 「飛騨(面倒臭いから以後平仮名で書きますよ)」(『堕落論』より「飛騨・高山の抹殺」)
この開き直るオヤジ、「無頼派」坂口が大好きでしょうがない。
しかし何故だろう、お尻・・・。「タモリ倶楽部」で山田五郎が美術学的観点からクソ真面目にお尻を評している時、やっぱどこか滑稽な響き、間抜けなニュアンスが感じ取られる。おもろい部位だ。
続く(たぶん)
原田美枝子の若い色香も活き活きとして美しかったが、毒気の無い松坂のきれいな肢体が個人的に好きだった。まあ、キャラとしては、母そして妻としてのいしだあゆみのしっかり母さんぶりが一番好きだが。
ところで、今村昌平は「お尻フェチ」らしい。先日観た『カンゾー先生』でも、ソノ子が「先生に食わせてあげるんじゃ!」と海に飛び込んで鯨を追うのだが(映
像が美しい!)もんぺがスルッと脱げ、お尻が露わになるシーンがあ
る。また、『うなぎ』でも柄本明が清水美沙のスカートをガバッとめくるシーンがあった。ソノ子役の麻生久美子のお尻はたしかに可愛い。
坂口安吾の『行雲流水』。淫売をやめないソノ子に「もう我慢ならん」と病床から飛び起き、お尻をせっかんしていたら、死んでしまったというソノ子の父親の話、また、お経をあげるのに何時も適当に縮める、そしてどぶろく作りに専念する和尚が、男と心中するつもりで一人だけ逃げ助かった性悪のソノ子に対し、「このお尻か!
このお尻か!」と、死んだ父親の代わりに・・というより本人の根底にある願望と情動から、狂ったようにソノ子のお尻を引っ叩きまくるシーン。
私はこれをお風呂に入りながら読んでいたのだが(この趣味のせいで私の文庫本はへろへろになっているものが多い)、思わず「ぶっ」と大笑いして浴槽の中に本を落としてしまった。 で、「これからは男を狂わせて痛い目にあうより、ウスノロを徹底的に絞ろう」と心に決めたソノ子を見て、「私もそうしよう」と決めた――――――って冗談ですからね、そんな狂わせたこともないし。
芸能人だって音楽だって、「好きだぁーっ」 と心底ハマるものはそうない。
その時の気分、たまたま琴線に触れて作品に親しんでも、徐々にそこから見える人物像を客観的に考えては冷めて見たりしている。寺山なんて、とことん自作自演人間、物凄くロマンチストな嘘つき(語弊があるかもしれないが)だったんじゃないか、とよく思う。
(だから好きにならずにはいられなかったりもするのだが。)
そんな私が共感できない部分がたとえあったとしても、心底「人間に惚れた」のが坂口安吾だ。自分自身、人に押し付けられるのが嫌いだから、あまり人に押し付ける
ことはしないようにしているのだが、坂口作品だけは母に「読んでみて!!!」と無理矢理薦めた。何故だろう、三年くらい前に読んだときはそうでもなかったし、たしか前にこのHPでも「なんだかなぁ」と訝しい思いを吐露した筈だ。
坂口に触れて、最近「淫蕩さ」について考えたりしたのだが、坂口の言う「お尻」とか「お乳」、また今村作品における濡れ場は、卑猥で情欲がそそられるというよりは、
華美でそして少し滑稽だ。 一方で私は渡辺淳一の恋愛ものも嫌いじゃない(勉強になるし。笑)。 しかしああいう、愛だの恋だのネチっこいものより、 きゃーきゃー騒ぐオンナっつー生きものは不可解、けどオンナの体は好き、そんな自分に鬱・・でも俺ってそんなヤツだし・・・みたいな、実際、 「飛騨(面倒臭いから以後平仮名で書きますよ)」(『堕落論』より「飛騨・高山の抹殺」)
この開き直るオヤジ、「無頼派」坂口が大好きでしょうがない。
しかし何故だろう、お尻・・・。「タモリ倶楽部」で山田五郎が美術学的観点からクソ真面目にお尻を評している時、やっぱどこか滑稽な響き、間抜けなニュアンスが感じ取られる。おもろい部位だ。
続く(たぶん)
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