雑感

たぶん

BLOGについての考察

2004-06-17 19:09:44 | Weblog
最近blogなるものが、はやっているらしい。
私も実は、今年5月はじめに日記のサーバーを変更したときに、blogに手を出そうか出すまいか、正直少し迷った。

blogとは、アメリカ発祥の新語で“Weblog”の略。logとは日誌のこと。
私が書いているような日記に、以下のような機能をプラスしたもの、と言ってしまっては少々強引だが、わかりやすいだろう。
1.各日誌に対して追記する形で、読者が感想などのコメントをつけられる。
2.blog上の記事なら他サイトから自分の日誌に引用が出来、その相手サイトに自分の日誌へのリンクを貼れる(トラックバック)つまり、相互リンクが自動的にかつ簡単に出来てしまう。
3.各日誌を運営者の判断でカテゴリーに分けられる。
4.過去の日誌への見出しリンクがある。
などなど。

興味が湧く点といえば、1.のコメント機能。
一番惹かれるのはこの機能だ。自分の書いた日記に、軽い気持ちでコメントがつけられる機能が付いていれば、もっと気軽に読んでくださっている方とフットワークの軽いやりとりが出来るだろうな、と。

でも、結局、いろいろとblogを見ていくうちに、「まだ早いかな」と思ってしまった。

というのも、まず、見にくいのだ。
ボン、と出てくるページには、山ほどのリンク先の表示。
初めて見る人は、一体どこをどうたどっていけばいいのか、わからないに違いない。
blogに慣れていない人や、たまにネットを覗く程度の人にとっては、何が何やら、きっと嫌になってしまうだろう。
どのリンクが、そのサイト管理者自身の他のページへのリンクなのか、どれが他者のページへのリンクなのか。
こうやってHPを立ち上げている私でも、最初にblogに出会ったときは、とまどったものだ。

その上、たくさんコメントが書かれていたりすると、いったいどれがサイト運営者の意見でどれがそうでないのか、一見わかりづらかったりする。もちろん、美しく整った、見やすいサイトもあるのだが。

私は、こうやって自分でHPを立ち上げてはいるが、html(Web上の言語)に詳しいわけではない。
必要最低限の知識はあるが、あとはHP作成ソフトにお任せである。
だから、ソース(htmlで書かれた、ページの中身というか裏側というか・・)は、はっきり言ってグチャグチャだし、これ以上複雑な動きをさせようとも思わない。
べつに、ウェブに関してプロフェッショナルになろうなんて気はサラサラないので、裏側がどうなっていようと、恥ずかしくも何ともない。(見てくださる方の環境によっては見にくい事もあるかもしれませんが・・。ごめんなさい、そこまで完璧にはチェックしてないのです・・)

サイトのデザインで私が注意しているのは、とにかく、見た目が「わかりやすいかどうか」、その一点だけだ。(もちろん、センスの見せ所・・・と配色などは熟考したけど)
ネットに初めて足を踏み入れた人でも、迷わずに済む、シンプルさだ。とっつきやすさ、だ。
その点、blogには、まだまだ改善の余地があると思う。

もちろん、blogには他にいい点がたくさんある。
最初に、ある程度の形式が決められているため、Webに関する知識がなくても、文章を書き込むだけで簡単に情報が発信できる。
読者や、他のサイトの管理者と、繋がっていける感じ、どんどん無限大に世界が広がっていく感じや、
自分が発信した情報に対してダイレクトに反応があること、
ネット上で意見交換が簡単に出来ること。
きっと、はまると面白いんだろうな、とは思う。
もっと普及すれば、見にくい点も改善されるだろうし、ウェブ上の常識としてblogが成り立つ日も遠くないだろう。

でも、私がウェブの世界に求めているのはなんだ?と考えると、なんか、違うかも。と、思うのだ。

本来、「自分という人間を表現する手段の一つ」という目的で、サイトを開設している私としては、
自分の文章を発信する、という目的さえ果たせば、それで満足するべきなのだと思う。
それでも、読んでくださる方の反応はやっぱり気になるもので、掲示板にたまに書き込まれるコメントに、嬉々としているのではあるが、
多分、その喜びをもっと求める人たちによって、blogはどんどん普及していくのだろう。

実際、興味を持ってblogの世界に足を踏み入れると、きりがない。
おもしろいな、と思った記事から他の記事をたどっていくと、本当に、いろんな意見をもった人がいるのだな、と、驚かされると同時に、こうやって同一テーマの他人の意見をつなげていく、このトラックバックのシステムに感嘆もする。
「こりゃ、はまるわ。何時間でもネットつなげてしまうわ。」と、正直、思う。

でも、重点をおくべきところが、自分の意見を表現する事なのか、それとも、他人との交流なのか、もしくは、一つのテーマについての多角的な視点なのか、そこをよく考えなければ、深みにはまって本来の自分の目的を見失ってしまいそうで恐ろしい。
今の私は、そう思う。

それに、怖い事もあると思う。ネット上で、繋がる事の意味。
トラックバック機能を使って、あるテーマについて討論されたとしよう。「こんな意見もある」と、紹介されたわけではなく、名指しで「この意見はおかしいと思う」という引用の仕方だって、する人はいるのだ。
それが楽しい議論に発展していけば問題はないが、悪い方向に行く事だってあるだろう。
お互いに、ネット上のルールというかエチケットをちゃんとわかっていて、ひどい中傷をしたわけではないとしても、「引き際」をわきまえてないと、その討論が延々と続くこともあり得るのだ。
無記名で書ける掲示板と違って、自分の意見に対して責任を持っている、自分のblog上のことだからこそ、引くに引けなくなる事もあると思う。

今までだって、ネット上の交流において問題点はたくさん挙げられてきた。掲示板にしろ、チャットにしろ。
でも、こうやって、ネット上の他人の文章に対する引用や、コメントが、こんなに簡単に出来てしまうのを目の当たりにしていると、ネット社会がさらにどんどん複雑に、難しくなっていくように感じる。
ネットが、「表現の場」ではなく、「討論の場」に変わっていきそうな予感すらある。

実体のないウェブ上で、こうやって「討論」が主体になっていこうとするのが、はたして良いことなのだろうか。
相手の顔は見えないのだ。
討論、というのは、実際に相手の顔を見て、声を聴いて、話し方に含まれるニュアンス等を感じ取りながらするものだと、私は思っている。そうでないと、どんどん、こじれていく事のほうが多いと思う。「そんなつもりじゃなかったのに」というやつだ。
小さな頃から、人間ってヤツは、喧嘩の後は、当事者同士、じっくり話し合って仲直りすることが多いだろう。
それを、ネット上の文章(しかも不特定多数に見られるもの)で行うのは、とても恐ろしい事のように思う。
しかも、ネット上だから、いつ相手を切り捨ててもいいわけだ。仲直りなんてしようとも思わなくなるのだろう。だって、気に入らなければ無視すればいいのだから。
相手が、見ず知らずの他人であれば、切り捨てるのはとても簡単だ。
自分にとって都合のいいコメントをくれる人だけと交流することが、とても簡単だ。

どこまで、ネット上で他人と交流するのか。
難しいが、自分なりの制限を持っていたほうがいい気がする。
私は、あくまでも、私個人の気持ちとしてだけど、今現在は自分のサイトにある掲示板とメールだけで充分、というスタンスでいたい。
blogを使うとしても、コメント機能どまりにしたい。
私は、まだ、自分の表現だけで精一杯なのだ。他の人の意見にまで手を広げる事は出来なさそうだ。

なぜなら、現実の世界の方が大切だから。当たり前の事だが。
ネットの世界は、現実社会への一つのきっかけにはなるけれど、しょせん虚構であるのだ。
言ってみれば、今までは、見て見ぬ振りができる世界だった。それを前提に、多くのサイト管理者は情報を発信してきたし、読むほうも、読むだけ読んでオイシイとこ取りをしていればよかった。
でも、変わろうとしている。ネット上の交流が活発化すれば、見て見ぬ振りは、いずれ、できなくなっていくだろう。
現実の交流と、どんどん似通っていく。
でも、それでもやっぱり虚構だ、と言いたい。
文章なんて、揚げ足を取ろうと思えばいくらでも取れる。言葉づかいが上手じゃない人は世の中にはたくさんいるし、誤解を生む事だってたくさんある。
それよりも、どんな顔をして、どんな声のトーンで、そのことについて話すか、のほうが、私にとっては興味深い。
どれだけカッコいい意見を書いていても、現実ではポッコリお腹を出して赤ら顔でビールを飲みながら書いているかもしれない。(別にそれが悪いというわけではないけれど・・)
討論するなら、顔を見てしたい。サシで飲みながら、いろんな話に発展するほうが、おもしろい。
ネット上で興味が湧く人とは、出来るだけ、現実世界で会いたいと思う。
討論は、そこですればいいじゃないか。(極論かなぁ・・・)

blogを否定するわけではない。
意見交換は、楽しい事だし、それを公開するのも、面白いと思う。
もしかしたら、私もいつか、はまるのかもしれない。
ここで書いたことも、しばらくすると、「なんて極論だったんだ」と思ったりもするかもしれない。
・・・いや、きっと自分がはまると思うからこそ、こうやって自分への戒めも兼ねて、今、書いているのかも・・・。
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お尻からきた雑感

2004-05-17 23:53:55 | Weblog
私はたぶん、その辺の男の人より「女性の肢体」が好きだ。そのケはないが、アンヴィヴァレンツな何かは持っているかもしれない。 今までで一番「美しい」と思ったのは、若かりし頃の松坂慶子で 映画『火宅の人』の緒方拳との濡れ場。
原田美枝子の若い色香も活き活きとして美しかったが、毒気の無い松坂のきれいな肢体が個人的に好きだった。まあ、キャラとしては、母そして妻としてのいしだあゆみのしっかり母さんぶりが一番好きだが。
 
 ところで、今村昌平は「お尻フェチ」らしい。先日観た『カンゾー先生』でも、ソノ子が「先生に食わせてあげるんじゃ!」と海に飛び込んで鯨を追うのだが(映
像が美しい!)もんぺがスルッと脱げ、お尻が露わになるシーンがあ
る。また、『うなぎ』でも柄本明が清水美沙のスカートをガバッとめくるシーンがあった。ソノ子役の麻生久美子のお尻はたしかに可愛い。

 坂口安吾の『行雲流水』。淫売をやめないソノ子に「もう我慢ならん」と病床から飛び起き、お尻をせっかんしていたら、死んでしまったというソノ子の父親の話、また、お経をあげるのに何時も適当に縮める、そしてどぶろく作りに専念する和尚が、男と心中するつもりで一人だけ逃げ助かった性悪のソノ子に対し、「このお尻か!
このお尻か!」と、死んだ父親の代わりに・・というより本人の根底にある願望と情動から、狂ったようにソノ子のお尻を引っ叩きまくるシーン。

 私はこれをお風呂に入りながら読んでいたのだが(この趣味のせいで私の文庫本はへろへろになっているものが多い)、思わず「ぶっ」と大笑いして浴槽の中に本を落としてしまった。 で、「これからは男を狂わせて痛い目にあうより、ウスノロを徹底的に絞ろう」と心に決めたソノ子を見て、「私もそうしよう」と決めた――――――って冗談ですからね、そんな狂わせたこともないし。
 
 芸能人だって音楽だって、「好きだぁーっ」 と心底ハマるものはそうない。
その時の気分、たまたま琴線に触れて作品に親しんでも、徐々にそこから見える人物像を客観的に考えては冷めて見たりしている。寺山なんて、とことん自作自演人間、物凄くロマンチストな嘘つき(語弊があるかもしれないが)だったんじゃないか、とよく思う。
(だから好きにならずにはいられなかったりもするのだが。)

 そんな私が共感できない部分がたとえあったとしても、心底「人間に惚れた」のが坂口安吾だ。自分自身、人に押し付けられるのが嫌いだから、あまり人に押し付ける
ことはしないようにしているのだが、坂口作品だけは母に「読んでみて!!!」と無理矢理薦めた。何故だろう、三年くらい前に読んだときはそうでもなかったし、たしか前にこのHPでも「なんだかなぁ」と訝しい思いを吐露した筈だ。

 坂口に触れて、最近「淫蕩さ」について考えたりしたのだが、坂口の言う「お尻」とか「お乳」、また今村作品における濡れ場は、卑猥で情欲がそそられるというよりは、
華美でそして少し滑稽だ。 一方で私は渡辺淳一の恋愛ものも嫌いじゃない(勉強になるし。笑)。 しかしああいう、愛だの恋だのネチっこいものより、 きゃーきゃー騒ぐオンナっつー生きものは不可解、けどオンナの体は好き、そんな自分に鬱・・でも俺ってそんなヤツだし・・・みたいな、実際、  「飛騨(面倒臭いから以後平仮名で書きますよ)」(『堕落論』より「飛騨・高山の抹殺」)
この開き直るオヤジ、「無頼派」坂口が大好きでしょうがない。

 しかし何故だろう、お尻・・・。「タモリ倶楽部」で山田五郎が美術学的観点からクソ真面目にお尻を評している時、やっぱどこか滑稽な響き、間抜けなニュアンスが感じ取られる。おもろい部位だ。

 続く(たぶん)
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