小耳はミーハー

小耳にはさんだことへの印象批評

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

「お久しぶりです」は好き?

2010-05-24 23:10:38 | ドラマ
■舞台「裏切りの街」

パルコ劇場で行われている舞台を見た。
ポツドール主宰の三浦大輔が作・演出をしている。
才気溢れるといった感じではある。
本気で作るの本気ということについて考えるこのごろ、
三浦大輔もまた本気一族の一人である。

ただ、いかんせん居たたまれない話だ。

あんなダメなやついるか?

「いるわよ」

いっしょに見に行った女子はあっけらかんとそう言って、
ハラミを食べていた。

■映画「愛のむきだし」

この映画を見て、本気とはなんだろ、と考えた。
超傑作だと思う。見終わったすぐにはそう思わなかったが、
日に日に傑作だ、ああ傑作だ、もう一度見ようという思いに駆られる。

神イマジネーション。

ちまたに溢れる想像力なんて、鼻くそみたいなもんだと言っている映画だ。

好き嫌いは別れると思うけど、見た人生と見なかった人生でなんか変わる気がする。

■アイドル「AKB48」

もうすごい。
5年ほど前に、このブログでも彼女たちのことを書いたけど、
そのころとはまるで違う。ぜんぶが。

ますます誰が誰だかわからんが、
揃ったときのパワーはまさに旬である。
いいスタッフがどんどん周りに集まってきているのも感じる。

妙に「がんばれ」というキモチにさせるところが肝だ。
彼女たちが歌うのは反発でも、自立でも、生き方でもないから。

「大好きだ 君が大好きだ」

「メイビー メイビー 好きなのかもしれない」

まあ、なんてことない。
頭が悪そうなのだけど、超普遍的・超当たり障りないことしか歌わない。
しかも10代の女の子が歌うのだから嫌われようがないのである。

「世界って、まだキラキラしてるんでしょ、ねえ、そうでしょ」

という彼女たちの問いに対して、

「うん、きっと、そうだよ」

と答えるしかない男たちの負けなのである。勝ち負けじゃないけど。
コメント (3)
この記事をはてなブックマークに追加

「スクリーン」は好き?

2009-12-13 18:50:14 | ドラマ
最近観た映画について。

「泣くもんか」
結果、どんな映画にしたかったのかが見えない映画になってしまっていた。
きっと、いろいろな大人の事情があったのだろうと推察される。
クドカンがやりたいことをやりました、という感じもしない。
残念である。
一瞬、垣間見える、新しい人間像は興味深かった。

「2012」
ローランド・エメリッヒが好きな人には大満足だと思う。
ぼくはもともと好きではないため、
それほど満足度は高くなかったが、
ファンからのニーズに対して十分に答えを出している作品であると思う。
とにかく、話は破綻しまくっている。
これは、物語ではない。

「クリスマスキャロル」
これもまたロバート・ゼメキスが好きな人には堪らないと思う。
こっちに関しては好きなので、ぼくの満足度が高かった。
それにしても、CGがもう、すごい。
決して、子ども向きの映画ではないので、ご注意を。

「パブリック・エネミーズ」
これはマイケル・マン好きというより、
ジョニー・デップ好きには「たまらん」映画だと思う。
ただ、脚本に難アリ。
何が伝えたいのかがはっきりしていない。
事実に基づいているとはいえ、
媒介者である脚本家がそこからどんなメッセージを抽出するかが大切なのに、
この映画にはそれが決定的は欠けていた。
同じジョニー・デップでの史実の映画化という意味では、
実在したドラックディーラーを描いた「ブロウ」の方が、
数倍面白く、感動した。

「映画は映画だ」
韓国映画を久しぶりに見る。
勢いで撮っている感じが相変わらず凄いが、
そのぶん甘いところはあっても、そのぶん強烈な熱気がある。
そーいうものは、
映画にしても、小説にしても、伝わるものである。

コメント (3)
この記事をはてなブックマークに追加

「マイケル」は好き?

2009-11-16 02:06:34 | ドラマ
This is it.をやっと観た。
映画館は品川、しかもレイトショー。
それでもほぼ満席だった。客層も幅広い。
しかし、開演前に場内で流れるマイケルにみな一様に高揚していた。

内容は総じて素晴らしかったと思う。
マイケルのことをよくよく知っている人にしかできない構成で、
中にはベタと言われそうな演出もあるが、それがまたマイケルらしくもあり、
ファンには堪らないものだろう。
これはメイキングであるのだから、
ターゲットはコアなファンであることを考えるとまったく正しい。

最後はメッセージを無理矢理に際立たせるが、
それもまた死した人を扱う中ではリスキーなことは重々承知の上での仕業といった感じだ。
まあ、つまり、「別に気に食わないならいいよ、ファンじゃないんでしょ?」、
と言われれば、それでお終いといった感じなのである。全体として。

だから、ぼくにはあまり細かいことを語る資格はない。
それほど彼のことを知らないし、好きでもないのだから。
ぼくはたまたま、彼のファンクラブの会合にお邪魔したようなものだ。
※とはいえ、そういう観客が大多数だと思うが。

「マイケルってわかるの?」
「うーん、そんなに知らない」
「でしょ?いやあ、俺、泣いちゃうかもな。まず何が違うかっていうと・・・」

と、映画が始まる前に隣の席の男女が話していた。
年は二人ともぼくよりも相当若く、大学生といった様子だった。

きっと。
マイケル全盛の80年代。
同じような会話がこの街で語られていたんだろうと思った。
場所はきっとバブル前夜のプールバー。
話しているのは商社マンと女子大生。

「マイケルの新曲聴いた?」
「ううん」
「いやあ、すげーんだよ、俺もあんな風に踊りてえな、まず何が違うかってというと・・・」

キング オブ ポップ。
そう称される彼の凄みはここにある。
つまり、死してもなお、映画という形ではあるが、
全世界にそして新しい世代に強烈なまでに消費されまくっているのだ。
それも、生前死後に関わらず「かなり」似た形のアプローチのされ方で。

結局、整形・幼児虐待・奇行など疑惑の中で過ごしてきた彼のその実態を
世界は知ることができなかった。
いまこの映画によって、
それまで彼に対して「常温」また「冷やか」だった人たちにとってさえも
彼は再び神になってしまった。
つまり、再びポピュラーな存在になってしまった。
そのことで、彼の実態は永遠に闇に隠されてしまったのである。

アーティストとして、ここまで完成された人生を送れる人はもう出てこないだろう。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「新語」は好き?②

2009-11-06 18:09:40 | ドラマ
新語辞典をつくろう②

チェンジ
・・・①物事を変えること。
「オバマ大統領はアメリカをチェンジできるか」
・・・②人を変えること。
「ポッチャリがいいとは言ったけど、デブとは言ってないぞ!チェンジだ!」

草食系男子
・・・ベジタリアンの意。
「私、宗教上の理由で草食系男子なんです」

This is it.
・・・死してなお、その輝きを保つ人・もの。
「うちの会社には、創業者のThis is itが残っていますから」

ね。
・・・交際を約束せず、事にもちこもうとする言葉。
「ね、ね、ね」

な。
・・・相手が意外と抵抗を見せたときに言う言葉。
「な、な、な」

あ。
・・・無事、事にもちこめたときの言葉。
「あ、あ、あ」

レットカーペット
・・・見世物の意。
「あーあ、みんなの前で怒られちゃって。あれじゃレッドカーペットだな」

滝クリ
・・・変わり身が早いこと。
「立合い後の白鵬の滝クリはすばらしかったですね~」



コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「新語」は好き?

2009-10-05 21:01:42 | ドラマ
【新語辞典】をつくろう。


東京五輪
・・・可能性が低いことの意。
用途:「あいつが彼女と付き合えるなんて東京五輪だ」

テレ東
・・・目立たないが実は変なことを考えている人・もの。
用途「あんな顔してあいつテレ東だぜ」

知事
・・・お山の大将の意。
用途:「あの子は田舎でずっと知事だったから世の中を知らないのよ」

本田
・・・生意気な後輩社員の意。
用途:「仕事ができないくせに、本田ってるよ、あいつは」

ダム
・・・上の人間が変わると評価が変わってしまう人・もの。
用途:「田中部長にはあんなに可愛がられていたのに。いまや、ダムってるな」

NHK
・・・深刻なときだけ頼られる人・もの。
用途:「こういうときは、やっぱNHKでしょ」(そのまま)

今年の漢字
・・・なぜ必要なのかよく分からないこと・もの。
用途:「さっきの発言は今年の漢字だったな」

彼氏・彼女いない暦=年齢
・・・童貞・処女の意。
用途:そのまま。

ドラゴンボール改
・・・なにも変わっていないことに価値があること・もの。
用途:「ほんと京都って、ドラゴンボール改ですね」

コメント (3)
この記事をはてなブックマークに追加

「台詞」は好き?

2009-08-31 23:03:28 | ドラマ


「小さいときから、きっとこの場所の他に、私の居場所があると思っていた」

「お前は、なんか違うぞ。お前は人と違う人生を歩めるかもしれん」

「ずっと、そんなアホなこと、言うとき」

「うちのおとんなんてタバコ買いにいく言うてもう何日も帰ってこん」

「あんたは、私らとは違うと思ってんねやろ」

「絵、うまいねぇ」

「友達、いないでしょ」

「病院のベッドでな、なっちゃん、最高や、言うてな」

「あの人らなんか違う。なんかカッコ悪い」

「ごめん、私、嘘ついてた」




こうして、なんとなく覚えている台詞を書き出して読む。
それだけでいい話だと思える。
「女の子ものがたり」は、やっぱりいい映画だったんだな。




コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「そんな彼」は好き?

2009-08-20 20:40:19 | ドラマ
結局、どんな彼なら捨てちゃえばいいのかは分からなかったが、
「そんな彼なら捨てちゃえば」はいい映画だった。
名作と言ってもいい。

放題がいい、と言われているが、
ぼくはまったくそうは思わない。
むしろ、失敗していると思う。

もっと、正当に評価されるべき映画であるのに、
よからぬイメージをつけてしまっている。
ま、そのおかげで動員数が増えているということも事実だから、
狙ってやっているのだとは思うけど。
ま、代わりにタイトルつけてみて、と言われても困るのだけれど。

これは、
サンシャイン・クリーニングとかレスラーを見ても思ったことだが、
アメリカの映画なのに、
人物の心理描写が非常に根暗である。

「そんな~」に出てくる登場人物は、
だれ一人としてかっこよくないのだ。
あといちおうにみんな自信なさげである。
そんなチマチマした自分を自覚しながらも、
誘惑に負けたりする。

映画における主人公像が、変わり始めているのだろうか。
いままでもマイナーな映画には当然いた彼らが、
いま「そんな~」のようなメジャータイトルにも顔を出してきている。

アメリカって、ほんとうに自信がなくなってきているんだなと感じる。
でも、それは別に悪いことじゃない。
「そんな~」はあれだけの登場人物がいながら、
それぞれの心の機微(古い)がしっかりと描けていて、
しかも共感できることも多かった。

観た人それぞれの「個人的」な部分に深く刺さる映画になっていた。

それは自信がないが故にできた寄り添い方である。

押し付けではなく、寄り添うこと。

自信があると、
分かりやすい敵を作って、
国だって、人だって、価値観を押し付けるものだ。

反対に、「ディア・ドクター」とか邦画が、
けっこう自信ありげに見えてしまうほどだ。
「ディア・ドクター」もほんといい映画だったけど、
みんなにいちおう正義がある。

「そんな~」には、ほんと正義もないんだもの。
だから、この映画には、敵も出てこない。

まさに、「敵は我にアリ」である。

でも、いい台詞はたくさんあった。
ぼくとしては、
ある人の「もう好きにして」という台詞がいちばんよかった。
言われたら、逆にいちばん傷つくなあと。

ただ、
ぼくが観た回!
ほんとうに男子がぼくひとりだった!!

ハーレム映画館。




コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「なんとか系」は好き?

2009-08-19 15:59:56 | ドラマ
女子会というものは、
ほんとうに行われているらしい。
昨日知り合った女子たちは、
知り合いの知り合いたち30人で伊豆白浜に行ったり、
知り合いの知り合いたち15人でサイパンに行ったりしているという。

「それ、なんかのテレビ番組ですか?」

と言いたくなる、というか、言った。

即座にそこにいた先輩とともに、
MCとして帯同したいと願い出たが、
それはもうリアル「おねだりマスカット」である。

そして、
彼女たちは口をそろえて
「最近の若い男子は・・・」と言う。

その場にいた男子は、
アラサーのぼくが最年少で、
あとの三人はみなアラフォーであったため、
ただただ「そうだよね」と同調するしかなかったが、
いちおうに彼女たちは、
なかなか手を出してこないいわゆる「草食系男子」たちを糾弾していた。

でも。

バス貸し切って30人で海に行ったりしている水着女子たちにも、
その原因はあるんじゃないのと言いたくなる、が、言わなかった。
だって、怖いもの、そんな集団。なつかしのアマゾネスじゃないか。

ところがお酒が回ってきたころ、
その中の女子のひとりが、
あっけらかんと最近遭ったストーカー被害について語りはじめた。
まあ、それはなかなかに猟奇的で陰湿で、
「ほんとうにあるんだー」などと明るく返さなければやりきれない話ではあったが、
ここで、ひとつ、疑問。

ストーカーは、「草食系」か?
という疑問がその場に生まれたのである。

「ストーカー」というニート同様に何故か横文字で呼ばれる彼らは、
ある意味では異常なまでに積極的である。
相手が嫌がっているのに、猪突猛進である。

この場合の相手の嫌がり方たるや、
セクハラの比ではないだろうに。

行動だけを見れば肉食系。
しかし、心根は草食系。

つまり、雑食系か!
などと酒の席にありがちな言葉遊びで結論も出せずに、
話題は今週末の麻布十番祭りへと遷っていってしまった。

純愛とストーカーの違いは、
両思いか片思いかの違いだけであるという人もいるが、
ぼくは少し違うと思う。

「思いの蓄積」は、
必ずしも「思いの純度」とは比例しないと思うからだ。

などと帰りのタクシーの中で、
「あれ、そういえばちゃんと連絡先聞かなかったな」と後悔しながら、
うだうだと会ったこともないストーカーさんに思いを馳せていたが、
メーターが2000円を越えるころ、
なんで俺がそんなどうでもいい暗い事実について考えねばならぬのだ、と
突然に憤って止めた。

そんな気分が手伝って、
家に帰って久しぶりに棚から「10日間で男を上手にふる方法」のDVDを手に取る。

ケイト・ハドソンはとてつもなくかわいいというのは置いておいて、
劇中ではある事情で、
マシュー・マコノヒー演じるスーパー女好きと
どちらが恋のイニシアチブをとるかでぶつかりまくる。

「肉食系VS肉食系 in N.Y.」である。

それは、
まるでスポーツのようで見ていて爽快である。

と、ここで酒の席では至らなかったひとつの結論らしきものが見つかった。

客観的に人から聞いたり、観たりする分には、
肉食系の恋の方が面白いわけである。

この映画の中でも、
ケイト・ハドソンの上司が
自分のかわいい部下の恋のあらゆる局面で、
「Drama~ drama~」と歌うようにつぶやく。
※字幕では「人生はドラマね」となっている。

つまり、
ドラマのように人生を楽しみたいなら、
恋には積極的に!ってことで。
って、ものすごく安直で使い古された雑誌のコピーみたいな結論が、
いちばん腑に落ちたのである。


コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「慰め」は好き?

2009-08-17 20:15:28 | ドラマ

よく映画を見ている。
自分でも褒めてあげたいくらい、というより、
日常を断ち切りたい衝動に映画という文化はこれ以上ない。
上映開始時間より、少しはやめに入り、
映画館独特の味のコーラと、たっぷり塩を振ってもらったポップコーンを片手に、
まずはロビーで今後の上映予定作品のパンフレットを物色してまわる。
上映までの時間から逆算して、楽しめるだけの枚数を選び、
いよいよ薄暗い世界へと入っていく。

座席は、少し後ろ目がいい。
両隣がいないのが理想的だが、そこまではこだわらない。
最近のよくできたゆったりとしたシートに、
これまたゆったりと座り込む。

そしてまだ明るいうちにと、
さきほど拝借したパンフレットを読む。
ここで迂闊にのめりこむと、これから上映される作品に対しての
興味が薄れるのでご注意を。

そして、携帯電話の電源を切る(これは周りへの配慮というよりも、上映中に気が散らぬようにするための自分への配慮)。

少し混んできたようだ。

ぼくの前を「すみません」と言ったり言わなかったりして、
通っていく人たち。
この人たちと、ぼくはこれから二時間ほど似た喜怒哀楽を共有する。
だから、できるだけ良好な関係でありたいと思う。

さあ、いよいよ開始を知らせるブザーが鳴った。
こっちの準備はOKだ。
どんなアクションでも、ラブストーリーでも、サスペンスでも、
受け止める準備はできている。

さあ、こい。
と思うと、まずは予告編である。
ここで、私の気持ちはいつも、すこし、萎える。

しかし、それでも待つ。
むしろ余計に気持ち膨らませて待つ。

なかなか本題に入らない。
映画に限らず、人生にはよくあることだ。

その本題が魅力的であればあるほど、
その本題が厄介であればあるほど、
回り道をさせられても、人は待つのである。

まるで、目の前の叱責する人はいつか慰めてくれることを知っていて、
それを待っているかのように。

ところで、
映画をよく見る最近ではあるが、
ロードショーではなかなかいいものには当たらない。

「女の子ものがたり」に期待である。
とにかく主題歌とキャストは、すばらしい。

※ずいぶん前の話になるが、
テレビ朝日のシナリオコンクールの受賞作「ゴーストタウンの花」
というドラマは素晴らしかった。

「もう頑張らなくてもいいんだよ」という慰めは、
「所詮きみのことなんて誰も見てないし、覚えてない」という
強烈な脱・自意識の裏返しであるという真実を描いたドラマだった。


コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「破」は好き?

2009-07-13 22:03:50 | ドラマ

ヱヴァンゲリオン。
リアルタイムでO.A.されていた当時、ぼくは高校生だった。
つまり、シンジやレイなどの登場人物たちよりも、年上だったのである。
だから、ぼくにとってのヱヴァはある種の下の世代への嫉妬の象徴だった。
高校生にして、もう世間の注目は自分より下の世代へと移ってしまったのか、と。
大人たちのように純粋に作品として楽しむとか、
昔を思い出して郷愁のようなものを感じるとかいうこともまたできない高校生だった。

とはいえ、
全部見ていたし、
全部好きだった。
でも、
当時のぼくの中ではシンジがレイがアスカがカヲルが、
なにを求めているのか、なにから逃げているのか、
分かってはいなかった。
ただただ、強烈なシンパシー。
ロジカルな理解などない。
細胞と細胞が反応しあうようなシンパシーがあったのである。

だからこそ、それを同世代として感じられない歯がゆさがあった。
リアルタイムに14歳で見ていたら・・・と思った。

そして、「新劇場版 破」が公開された。
10年以上が経ったのである。
ぼくは、シンジたちの年齢の倍になった。
というか、ミサトやリツコ加持と同じ歳になっている。

今回の「破」の中で、ミサトやリツコや加持は、
盛んに14歳のパイロットたちに対して、
「この世界は素晴らしいところなんだ」と言う。
「君たちには、世界をもっと知ってほしいんだ」と言う。
そこにあるのは、大人の責任だ。

しかし、そこには、
責任は持ちながらも14歳の子どもたちに未来を任せるしかないという
どうしようもない苛立ちがあり、
「子どもには重過ぎる」と言いながらも、ヱヴァに乗せつづける残酷さがある。

いまのぼくは、そこにこそシンパシーを感じる。

絶対にヱヴァに乗ることができない大人として。
乗ろうとしてダミーシステムを作っても、ただただ残忍になる大人として。

ぼくだって、「ぽかぽか」したいのに。

それでも、世界を救いたいのに。


コメント
この記事をはてなブックマークに追加