対話とモノローグ

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憲法9条

2017-05-03 | ノート
『憲法の無意識』(柄谷行人著、岩波新書、2016)を読む。

戦争の危機が切迫してくると、防衛のための軍事同盟や安全保障が求められる。これは現実的なやり方である。このように考える人が非現実的な「憲法9条」を改訂しなければならないと考えるのである。しかし軍事同盟(集団的自衛権)は平和を保障するものではない。
柄谷によれば、平和への現実的なやり方は、憲法9条を掲げ実行することである。柄谷は憲法9条(戦争の放棄、武力行使の廃棄)を国際社会への「贈与」と考えている。この「贈与」(純粋贈与)は、イエスが「目には目を」(ユダヤ教)を否定して「右の頬を打たれたら、左の頬を出しなさい」と説いたときに開示された理念である。これはこれまでの交換様式(A互酬、B収奪と再分配、C商品交換)を越えた交換様式Dである。柄谷はここに「力」を見ている。そして、「贈与」に単なる観念ではなく「リアルで唯物論的な根拠」を想定している。
(引用はじめ)
このような贈与に対して、国際社会はどうするだろうか。これ幸いと、攻め込んだり領土を奪うことがありうるでしょうか。そんなことをすれば、まさに国際社会から糾弾されるでしょう。したがって、贈与によって無力になるわけではない。その逆に、贈与の力というものを得るのです。それは、具体的には国際世論の圧力という形をとりますが、その圧力は軍事力や経済力とは別のものであり、また、それらを越えたものです。
(引用おわり)
そして、日本が国連で憲法9条の実行を宣言するだけで状況は決定的に変わると考えている。
(引用はじめ)
それに同意する国々が出てくるでしょう。そしてそのような諸国の「連合」が拡大する。それは、旧連合軍が常任理事国として支配してきたような体制を変えることになる。それによってまさにカント的な理念にもとづく国連となります。
(引用おわり)
『憲法の無意識』参照。
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