染織工房きはだや 「店主の独り言」

きはだや店主が今日の出来事を語る。喚く。話す。切る。
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宮本茂十郎と明石ちぢみ

2017年05月06日 | 店主の一日
先日、行われた宮本茂十郎祭の続きです。
毎年、5月3日の「十日町きものまつり」に先立って、お詣りがあります。

この宮本茂十郎に関しては同じ様な事を毎年、書いている気がしますが、毎年読んでいる人も少なかろうと、また書きます。

この人実はあまり素性がはっきりしません。

小千谷縮の祖「堀次郎将俊」は生年、没年ともにわかっている様で、小千谷市のホームページにも載っていいます。
1620年の生まれなので随分と昔の人です。

宮本茂十郎の碑の裏には「文政年間之人國産絹縮之元祖」「大正十二季九月 有志建之」「石工 新潟 倉田六治謹刻」とあります。

文政なので江戸時代も後半。生没ともにあまりはっきりしないようです。
「もじゅう」と云う名のようです。
十日町流に言えば「もじゅうさ」とか「もじゅうどん」とか呼ばれていたのでしょう。
明石からの苗字もない流れ者でちょうど神社の下あたりに住んだので、のちに「宮本」の姓がついたようです。
さらに「宮本茂十」では収まりが悪いので「茂十郎」になったと聞きました。


「透綾織」の技術を十日町に伝えて、いつの間にか、またいなくなってしまっています。
江戸時代なので、十日町で織られていたのは麻織物であったと思われますが、その後明治以降にになってその技術を使って絹による縮が織られるようになり、全国的なヒットと共に十日町を代表する織物になったと思われます。
僕が子供の頃は、「明石茂十郎」と言われていた気もしますが、元々、苗字がなくて神社の下に住んだので「宮本」と呼ばれる様になった程度なので「宮本」でも「明石」でもどっちでもいいのかも知れません。

茂十郎出身の明石に因んで「明石ちぢみ」と呼ばれるのですが、どこで教わったのか「兵庫県明石市で織られている」と認識しているお客様に遭う事もあり、ちょっと困惑したります。


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