歴声庵

ツイッター纏め投稿では歴史関連(幕末維新史)、ブログの通常投稿では声優さんのラジオ感想がメインのブログです。

8月1日(木)のつぶやき

2013年08月02日 00時59分34秒 | twitterまとめ

米沢藩の大隊長に柿崎家教と言う人物が居ます。名前を見れば判るとおり柿崎景家の子孫に当たる人物です(血筋的に繋がっているかは調べていませんが)。この家教が北越戦争八丁沖の戦いでは、東部戦線の指揮を執っています。

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史料にそんな事は一言も書いていないのに、ついつい「猛将柿崎」と書いてしまいそうになるのは、上杉ファンとしての性だと思う(^^;)。尚、この戊辰版柿崎隊と交戦したのが、大垣藩兵と松代藩兵、つまり真田隊なんですよね。

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川中島の合戦から三百年も経って、柿崎隊と真田隊が再び激突しているのを読んでいると、歴史って面白いなとつくづく思ってしまう今日この頃です。ただこの柿崎家教って維新後どうしてたかがよく判らないのですよね。甘粕・色部・中条・斉藤・千坂達は維新後どうしてたか何となく判るのですが...。

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『天色アイルノーツ』シャーリールート終了~。普通に良い話なので良かった良かった。北見さんの演技も楽しかったですし(^^;)。


然るに今、捕虜の言によりて、家兄の城中に在る事を知つて、骨肉同胞相別れて敵對してゐるを覺り、感慨無量である。しかし丈吉、今更薩軍を?して城に入る者でない。
『川上操六 05』 amba.to/13xTZd5

大塚さんがリツイート | 2 RT

@ritsu918 情報ありがとうございます。確か柿崎家は一旦断絶していたのを復活させた家なので、血筋的にはどうだったかが気になっています。


昨日の柿崎家教に続いて、今日は斉藤篤信について簡単に書かせて頂きます。こちらも「越後の鍾馗」と呼ばれた斉藤朝信の子孫です。米沢藩内でも主戦派で、甘粕継成と共に新政府軍との開戦をリードしました。


斉藤篤信について② 開戦後も部隊指揮官として活躍し、開戦時は小隊長だったのが、小隊長→仮大隊長→大隊長と戦いを重ねる毎に権限を得て、第二次長岡城攻防戦時は仮参謀として栃尾口を指揮、謙信公初陣の地である栃尾に本陣を置いていました。


斉藤篤信について③ 最終的には、新政府軍に降伏後の、会津藩討伐軍の参謀に就任するなど、米沢藩の軍事を代表する人間でした。しかし維新後は一転して教育畑を進み、米沢ではむしろ教育者としての知名度の方が高いみたいです。



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