憲法改正反対!国際法違反の現行憲法凍結!大日本帝国憲法再生!

いろいろなブログを貼っていくつもりです。
いわゆる、「他人のふんどしで相撲を取る」他力本願寺ですね。
アニメ、特撮

和夫一家殺害事件

2017-05-03 00:30:01 | 歴史
ねずさんのひとり言さんのブログです


http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3361.html?sp


引用

「和夫一家殺害事件」キム・ソンス君の証言より

日韓併合時代、朝鮮に移り住んだ日本人の中には、明らかに立派な人々も多かった。
普段から人情に厚かった和夫は、小作料を収穫全体の10分の1しかとらず、村人達を家族のように考え、朝鮮総督府の法令で規定された小作料の中から最低限しかとらなかった。

貧しい朝鮮の小作人が食べ物が無いと哀訴すると、喜んで食べ物を分け与え、
村で誰かが亡くなると、家族全員が駆けつけて食事の用意はもちろん、自ら慟哭までして悲しみを分け合った。
和夫は近くに行き場のない孤児がいると、連れ帰って面倒を見ていたがその数は一人、二人と増え、四、五年たつといつのまにか私設孤児院規模にまで増えてしまった。
和夫夫婦はこれら孤児たちを家族のように愛し、自ら喜んで彼らの父、母を称した。
和夫の家族は、ふだん、このように朝鮮人を愛し、日本軍国主義の簒奪に憤慨するような人々だった。

しかし彼らは、日本の天皇が降伏宣言をした1945年8月15日、自分たちが育てた朝鮮人孤児たちにより、凄惨に殺害された。

その日、和夫が実の子のように育て、東京帝国大学まで留学させていた朝鮮人Aを中心に、和夫の家で教育を受け、成人するまで育ててもらった朝鮮人青年達が、カマとツルハシ、シャベルをもって、和夫のもとに押しかけた。
当時、現場にいたキム・ソンス君は、この時の状況をこう語る。

和夫(優しい目で)「何故こんなことを、お前たち。」
朝鮮人A「チョッパリ!日本へ失せろ!失せろってんだ!!」
和夫:(わざと怒り声で)
「私が何かお前たちに間違った事をしたかい? 
 お前たちは、みな私の子供達だし、
 私はこの家の家長でありお前たちの父親だ。
 お前たちの祖国が独立する事は、
 私も日頃から強く望んできた事だ。
 踊りたくなるような嬉しい日に、
 なんだって凶器を持って私のところにつめかけてきたんだ? 
 私はお前たちをこんな風に教育した覚えはない。
 (涙を流して)
 本当に悲しいよ、朝鮮の子供達。
 私は愛情を注いで育ててきたが、
 結局、日本人と朝鮮人は交じり合う事は出来無いということなのかい?
 お前たちが望むんなら、帰ってやろう」
朝鮮人A 意味深長な目配せをBに送る。
(財産を全部処分して帰ったら、俺達はどうやって食ってくんだ?)
朝鮮人B「死ね!チョッパリ!!(日本人への蔑称)この糞野郎!!!」

次々にツルハシが和夫の後頭部に振り下ろされた。
同時にたくさんのシャベルとカマが体をズタズタに引き裂き始めた。

和夫の妻は耐えられずに飛び出してきた。
それまでじっとしていた朝鮮人Cは、和夫の妻を見ると、彼女の髪をつかんで庭の片隅まで引きずっていった。
そして、なんとその和夫の孤児達13人は、一週間前まで「お母さん」と呼んでいた“彼女を強姦し始めた。
彼女はひどい集団強姦の途中で虐殺された。

朝鮮人Dは、普段、お母さんと呼んでいた彼女の「全身をめった刺し」にし、それでも足りずに「内臓をかき出して」撒き散らした。

和夫には「ひみこ」という娘が一人いた。
普段から模範的で良い子だった「ひみこ」は、学校が終わって家に戻り、両親に起きた“惨状を”見ると、気が触れてしまった。
当時、「ひみこ」の慟哭が何日も続き、近所の住民は眠れなかったという。

その後、孤児となった「ひみこ」は、食べ物乞いに村を回ったが、誰一人見向きもせず、知らないふりをした。
結局、「ひみこ」は9日後、村の橋の下でやせ衰えた死体となって発見された。
「ひみこ」は小学六年生だった。

和夫の財産は、和夫が精魂込めて大切に育てた朝鮮人孤児達(この恩知らずの鬼畜ども)の手に丸ごと渡り、この事件は、『村人達の沈黙の中で徐々に忘れ去られていった。

 ***

この本を書いた金完燮(キム・ワンソプ)さんは、来日した折り、西村幸祐さんとの対談で、今後の日韓関係について、次の3つのことが必要であると語っています。

1 日本は韓国政府に対して、反日教育を中断するように強く要求しなければならない。
日本政府は、まるで罪を犯した人のような態度をとって、韓国の反日教育を認めています。
日本政府はもっと強い姿勢を取らなければなりません。
2 日本国民が、昔、日韓は同じ国であったという認識をもっと広く知るべきです。
3 日本人は、一つ、二つ上の世代の日本人が、朝鮮のために注いだ汗と努力、そして奉仕したことを知るべきです。

要するに、日本人は、日本人が明治から終戦時まで、朝鮮半島で何をしたのか、ちゃんとした事実を知るべきだと、キム・ワンソプさんは言うのです。
そして同時に、日本は韓国に対し、韓国の反日教育を止めるように、強く要求すべきだというのです。




引用以上

私は韓国が反日教育を止める事は無いと思います。韓国の憲法が反日を基本としているのですから。
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ナチスはタブーなのか?

2017-03-10 22:02:25 | 歴史
韓国の反応〜さんのブログです。


http://oboega-01.blog.jp/lite/



引用

http://oboega-01.blog.jp/archives/1064669498.html?p=1


*うーん。「無明」さんの紹介記事のなかで過去最大に偏った話だなと思いました。
賞賛と再評価は別モノでしょう。
ヒトラーは世界的に「悪のアイコン」と化してて、客観的評価されてるとは私には思えない。
客観的な再評価に挑もうとする人が、過激なネオナチと混同されて「賞賛している!」と罵倒されている状態が異常だと思うし、歴史学者がそれをしようとしても、学界で埋葬される危険を犯さないといけない。学問の自由がなさすぎる。

社会システムは壁にぶつかるごとに変えてきたのが世界の国々で、今も正解は見つかってないし、おそらく永久に見つからないものだと思う。
経済政策も同じで、統制経済そのものは、ドイツに限らずヨーロッパで広く行われてたことでしょ。イギリスもフランスもアメリカもやったし、日本でもやっていた。戦勝国も敗戦国も経験した。過渡期だったのかもしれない。先進国で統制経済を経験してない国はないのだから。
統制しすぎが成長を鈍化させて破綻を導くのは分かるけど、だからって過渡期における統制経済の全否定もおかしいと思う。なにごとにも道筋と限度がある。問題は、道筋として必要だったかもしれないということを頭に入れずに批判することと、「限度が酷いことによる破綻」と「システムそのものの問題」を混同して語ることだと思う。

あと「無明」さんの論理のおかしなところとしては、再評価と復活させようという議論の混同。この二つはまったく違う議論だよ。
たとえば日本でいうなら、過去にあった御成敗式目とか貞永式目とか十七条の憲法とかを、当時の時代背景と照らし合わせて評価したとしても、それがイコール現代によみがえらせようということには結びつかないのと同じです。もちろん現代の視点でみてもここはスバラシイのでよみがえらせようという自由な議論はあってもいいと思うけど、イコールではないんです。(これがあまりにも酷いのが、明治憲法に対するサヨク学者の接し方。教育勅語なんかもそうで、再評価と復活は、別問題として議論すべきものだと思います。もちろん保守層にもこれを混同して議論してる人が多いというのは感じます。)

最後にこれを書いておかないと勘違いされるので言っておきますが、私はナチスを庇いたいわけじゃまったく、一切、これっぽっちもありません。



http://oboega-01.blog.jp/archives/1064401327.html



*よく「ナチスのハーケンクロイツと日本の旭日旗は違うんだ」という話をされる方がいて、それはそれで本当にものすごーく正しい話だと思うのですが、
そもそも論として、私はハーケンクロイツを使うことも、まったく間違ってると思ってないです。てか、駄目な理屈がさっぱり分からない。論理的に納得できない。
使ったらいけないマークがあるいうことじたい、表現の自由を侵害する行為じゃないのと思う。
過去の歴史を理由にして禁止だというのなら、他にも禁止されないといけないシンボルがいっぱいあるんじゃないのって思う。そんなことやっていったらキリがない。すべての単純なマークはゴミ箱行きだよ。「十字軍で悪辣なことをしたので十字架を使ってはいけない」みたいな主張と何が違うのか、禁止の理由についての論理的整合性というものがさっぱり分からない。記号は記号でしょ。
これに限らず、サヨクが人権を掲げながら主張する表現規制には、一般化するには異常すぎる論理のものが多くて、整合性がなくて、まったくついていけないのが多いです。

これについては、ハーケンクロイツを忌避することを正義だと考えるドイツや欧州ふくめた世界中が間違っていて、私こそが正しいと思ってます。
さらにいうなら、禁止したい国は勝手にその国だけで禁止事項にすればいいけど、他の国にまで自分たちルールを押し付けてくるなと思います。
うん。私こそが正しい。
でもこんな考えの私は、リベラルたちから、「ナチスを肯定する差別主義者で反人倫主義者だ!」みたいなレッテルを貼られて罵られるんでしょうね。そんなこと言ってないのに。
ものすごくガリレオ・ガリレイな気分だわ。
1000年後の世界では、今ハーケンクロイツに異常反応する世界中の人々こそが間違っていて、私のような意見こそが正しいとされる社会になっているに違いないと信じます。

それでも地球は回っている。



*てかさー、
旭日旗については、中二的かっこよさがあるのは否定しようがないんだよね。
米兵だって、このデザインに「男の子の心」が刺激されるんでしょ。笑


http://oboega-01.blog.jp/archives/1064443515.html



>>297. 胡桃沢千手 2017年02月17日 04:16ID:udVztGGV0
なんかさ、みずきさんってこの程度だったの?ガッカリじゃね?屁理屈並べるのにハマってる中学生と一緒じゃん

ナチス禁止を表現の自由で語るか普通?
ポリティカルコレクトネスとか知らないんじゃねぇの?
表現の自由のためならTPOなんかわきまえなくても構わねぇ、俺は私は自由だベイベーなんてrockでファッキンな主義でもないんだろ?

ガリレオが主張したのは地動説という「事実」だ。
ナチス禁止は権利抑制ではなく「ルール」だ。
車の所有者が免許持たずに車に乗ったらキップ切られるのと同じ、できるのとやってよいかは別だ。
街中すれ違う人間全員に中指立てながら相手の足元に唾吐いて回っても許されるのか、これが表現の自由かよって話だろ。

みずきさんが実はそういうルールに縛られたくない、パンクに生きたい人間だってんなら、このコメントも許容できるんだろうよ。

「だから女はダメなんだ、すぐに感情でモノを考える。グチャグチャほざくなら股ぐらにぶちこんで黙らせてやろうかクソビ○チ」


ポリティカルコレクトネス、知ってますよ。
あなたが知るべきなのは、ポリティカルコレクトネスが今欧米でどんな問題を引き起こしているかについてだと思います。
ポリティカルコレクトネスという言葉を言い訳にした「言論弾圧」の問題が、欧米のリベラルメディアで長らく無視されて、鬱屈した人々の「右傾化」を呼んでいるともいえる現状を鑑みるなら、ポリティカルコレクトネスを訴える人々こそ、ここらで一度立ち止まってしっかり考えて自省すべきじゃないですか。ご存知ないようですが、少なくとも欧米のリベラル言論人の一部は今、ちらほら自省の声をあげてポリティカルコレクトネス批判をしはじめてますよ。(もちろんこれは一般的な表現規制についてで、ハーケンクロイツ肯定論には及んでないですが、そこまで言える自由な言論空間はまだまだ存在していないということでしょう)
彼らの言い方を借りるなら、ポリティカルコレクトネス主義者の一部こそがナチスです。
人々の自由を奪い、人々の心を傷つけ、人々を弾圧してるのに、それを正義だと勘違いしている。
まるで宗教裁判、魔女狩りです。中世の人々だって、それを正義だと信じていたわけで。
もちろん私は、ポリティカルコレクトネスを理由にして弾圧にいそしむ人々が悪い心を持っているとは思ってません。中世の人々が必ずしも悪い心で魔女狩りをやってたわけではなかったのと、きっと同じなんでしょうね。
リベラルな人ほど、中世の人々がやっていた魔女狩りを「悪」だと完全に断定してるんだろうなと思いますが、私はそういう単純な善悪判定こそに問題があると思ってます。一方に流れていって一方を弾圧する恐ろしさを語りつつ、リベラルは自分たちがそれをやっていることにあまりにも無自覚すぎる。
面白い想像をするなら、1000年後のリベラリストは、今の時代の「ポリティカルコレクトネス」を魔女狩りと同じように「悪」と断定して語ってる可能性があります。欧米でポリティカルコレクトネスに対する揶揄が公然と語られ始めた現状を見ると、そうなってもおかしくない。ただし1000年後のリベラリストは新たな「悪」を見つけ、それを弾圧し、それを正義だと思いこんでいるのかもしれないですが。もちろん想像でしかないですが。


後半は下品すぎて、品格を疑います。
ポリティカルコレクトネスは大事だ!といってる人とも思えない。
ますますポリティカルコレクトネスに疑問を持たざるをえないですね。
少なくとも私は、そんな下品なことは言いませんし、言えません。
証明はできませんが、たとえ匿名だとしても絶対に言えないマイルールを私は持ってます。
その一点で、「ポリティカルコレクトネスは大事だ!」と主張するあなたよりも、私のほうがマシな人間だと断言できる。

あと私、リアルに人前でナチスの旗を振りかざすようなことはしません。
その理由は、私はガリレオ・ガリレイのような勇気のある素晴らしい人じゃないからです。
ガリレオガリレイが非難されたのは、事実どうのって話じゃなくて、「当時のポリティカルコレクトネス」に反してたからですよ。仮に事実がどうのって話だとしても、マークそのものには差別も弾圧も宿らないのが事実です。歴史の古いマークをナチスが使ったからという理由で禁止することこそ、科学的思考に反しているし、歴史に対するひどい冒涜だと私は思う。
ただ私は弱いので、時代が正義とするポリティカルコレクトネスに正面から逆らえるガリレオ・ガリレイにはなれない。
残念ながら私は、あなたのように正義をふりかざした居丈高で恐ろしい男性に、「股ぐらにぶちこんで黙らせてやろうかクソビ○チ」と脅迫されるのがものすごく怖い、かよわい女なんです。


まじめな話をすると、本当にガッカリです。
ポリティカルコレクトネスは大事だと主張する人のレベルの低さにガッカリです。
もちろんポリティカルコレクトネスは大事だと主張する他の人の大半が、あなたと同類だと思われたくないと言うでしょうけど。
あなたが訴えるべきは、「ポリティカルコレクトネスの有用性や歴史的意義」を、感情論ではなくて、「論理的に語ること」であって、人格攻撃して脅迫の言葉を書くのは間違ってます。本当に心から間違ってると思います。
私はポリティカルコレクトネスの有用性や歴史的意義、論理的に語れますよ。やりたくないのでやりませんが。でも実際のところ、ポリティカルコレクトネスの有用性や歴史的意義もあるとは思ってて、ディベートでそっちの立場に回れと言われればやれます。
なぜそれをやらず、短絡な正義を振りかざし、人格攻撃へと逃げ、「股ぐらにぶちこんで黙らせてやろうかクソビ○チ」と書くのでしょうか。
ぱよぱよ化してひたすら下品になっていくサヨクリベラルの劣化、私はものすごく怖いです。
あなたに限った話じゃないんです。
レイプしてやるぞみたいな脅迫メッセージを送りつけてくるサヨクだか在日コリアンだかが、本当に多いです。他のまとめ系のブロガーさんたちも同じなのかは分かりませんが、少なくともレイプしてやるうんぬんって脅迫は、私が女性ブロガーだからでしょう。

恥を知るべき。






引用以上



私も基本的にみずきさんの意見に賛成します。「ナチスは悪であり、その事を疑う事すら許さない」と言うのはおかしいと思っています。「ナチスはユダヤ人を根絶やしにしようとした」という説を私は疑っています。
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倉山満氏と上念司氏の座談会

2017-02-24 22:56:10 | 歴史
今、両氏の座談会に来ています。


本にお二人がサインをしています。


これから、懇親会があります。
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ソ連の満州侵略

2017-02-12 19:38:12 | 歴史
真実の日本さんのブログです


http://nanyo.club/?p=1062


引用



敦化事件(とんかじけん)

1945年8月27日に満洲国吉林省敦化(現吉林省延辺朝鮮族自治州敦化市)でソ連軍によって連日に渡り集団強姦され続けていた日満パルプ製造(王子製紙子会社)敦化工場の女性社員や家族が集団自決した事件。 日満パルプ事件とも呼称される。

背景

事件の現場となった日満パルプ製造敦化工場は、1934年に王子製紙が敦化県城南門外牡丹江左岸(敦化郊外5キロ)に設立した工場である。工場に隣接して設置された社宅地は、高さ4.5mの煉瓦壁でおおわれた2万坪の敷地内に 壮麗な造りの社宅と福利厚生のためのクラブなどが設けられており、日本人職員とその家族260人が暮らしていた[4]。また、敦化市内には2,000人の関東軍守備隊の駐屯地があり、 終戦当時には敦化北部の山地に築城しソ連軍の侵攻を食い止めようと備えていた。

1945年8月9日未明に突如としてソビエト連邦が満洲国に侵攻し、敦化に近い東部国境付近では関東軍・満洲国軍がソ連軍と交戦していたが、工場や敦化市内では満人や朝鮮人の態度も変わることなく治安が保たれたままであった。 8月15日に敗戦を迎えた後も工場の満人や朝鮮人従業員は変わることはなかったが、敦化市内では満人や朝鮮人の一部による略奪・放火・日本人女性への暴行が行われるようになった。8月17日、敦化郊外で陣地を築いていた敦化守備隊は工場に資材を取りに来て初めて終戦を知った。8月19日、ソ連軍が敦化市内に進駐してきたため、敦化守備隊は降伏し武装解除された。

ソ連軍進駐

8月22日 ソ連軍は日満パルプ製造敦化工場に進駐した。ソ連軍は社宅に侵入すると1時間以内に社宅の一角を引き渡すよう要求した。ソ連兵はすぐにホテル・レストランを兼ねた壮麗な造りのクラブに惹きつけられていった。ソ連兵はクラブ 従業員の女性2人を引きずり出すとジープで社宅から連れ去った。数時間後に拉致された女性がぼろぼろになって社宅に帰ってきたが、もう一人の若い娘は強姦された後に牡丹江に流され行方不明となった。

8月25日 ソビエト軍は男性全員を集合させると10キロほど離れたところにある飛行場の近くの湿地に連行し、婦女子は独身寮に集められた。170人ほどの婦女子は15,6人ずつに分けられ監禁されることとなった。夜になると、ソ連兵300人あまりが独身寮に移ってくるとともに、 短機関銃を乱射する頻度が夜が更けるにつれて増えていった。女性たちは夜が明けることを祈りながら一晩中恐怖と戦っていた。

集団自決

8月26日夜明け、酒に酔ったソ連兵たちは短機関銃を空に乱射しながら女性たちが監禁されている各部屋に乱入すると、女性たちの顎をつかみ顔を確認しながら、気に入った女性たちを連れて行こうとした。 女性たちは金品を渡したり、許しを懇願したが聞き入れられず、次々に引きずり出されていった。各部屋からは女性たちの悲痛な叫びが溢れたが、ソ連兵は構うことなく短機関銃を乱射し続けていた。このため、女性たちは頭を丸坊主にしたり、顔に墨を塗るなどしたが、 ソ連兵による強姦は朝になっても収まることはなく、部屋に乱入すると女性たちの胸部をまさぐるなどして 気に入った女性たちを何度も連行していった。社宅と塀を隔てた工場に残されていた男性社員たちは、社宅の異変を察知するとソ連兵の監視を掻い潜り塀を乗り越え社宅に潜入したが、厳重な警戒が布かれている独身寮には近づくことができなかった。ソ連兵たちは狼藉を続けるうちに女性たちの部屋の廊下に監視兵を置くようになったため、御不浄や食事もままならないようになった。女性たちは自身のおかれている状況や 絶え間ない銃声から、すでに男性社員たちは皆殺しにあったのではないかと考えるようになった。ソ連兵による女性たちへの昼夜に渡る暴行は8月27日の深夜になっても収まることはなかった。このため、28人の婦女子が集められていた部屋では自決をするべきか議論がなされるようになった。議論中にもソ連兵の乱入があり、 隣室からも女性たちの悲鳴や「殺して下さい」などの叫び声が聞こえてきたため、自決することに議論が決した。隠し持っていた青酸カリが配られ全員が自決を図り、23人が死亡、5人が死に切れずに生き残った。他の部屋ではソ連兵に引きずり出されるときに剃刀で自殺を図った女性もいた。

8月27日早朝、ソ連兵が集団自決を発見し、将校に報告されると各部屋にはソ連兵の見張りが付けられ、女性たちは外を見ることを禁じられ、遺体はどこかへ運び去られた。責任を問われることを恐れたソ連軍将校によって、これ以上の暴行は中止されることとなった。

事件後

その日のうちに女性たちは男性社員が野宿させられている飛行場のそばの湿地に連行された。その後、8月末までは湿地や飛行場で待機させられ、シベリアに連行される日本軍部隊から密かに食料や毛布などを分けてもらうなどしていたが、牡丹江対岸の熊本県開拓団の小学校に遷されると、 毎日のようにソ連軍による略奪が行われ、女性を裸にしてまであらゆるものを奪い去っていった。一切のものを奪われたため、男性社員たちは街に出て材木運びなどの労働に出て僅かな賃金を稼ぐことで命をつなぐこととなった。また、ソ連へ戦利品として工場設備から列車の線路にいたる全てのものを持ち去るための解体作業を昼夜に渡って行わされた。その後、敦化市内の旧軍人会館に移転させられたが、冬が訪れると飢えと寒さと発疹チフスのために87人が死亡した。

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若槻泰雄著「戦後引揚の記録」より

昭和20年8月20日頃であったろうと思う。鞍山から新京守備のために北上したので新京の街は北も南もよく解らないが、たしか終戦の日から数えて4,5日たっていたと思われる頃の出来事だった。そんな日、病院の玄関で大声で騒ぐ声にびっくりして、私は板でくくりつけた足をひきずりながら玄関に出て見て驚いた。

12~3の少女から20歳ぐらいの娘が、10名程タンカに乗せられて運ばれていた。それはまともに上から見ることの出来る姿ではなかった。
その全員が裸で、まだ恥毛もそろわない幼い子供の恥部は紫に腫れ上がって、その原形はなかった。大腿部は血がいっぱいついている。顔をゆがめつつ声を出しているようだが聞きとれない。
次の女性はモンペだけをはぎとられて、下の部分は前者と同じだが、下腹部を刺されて腸が切口から血と一緒にはみ出していた。
次の少女は乳房を切られて、片目を開けたままであったから死んでいるのかもしれない。次もその次も、ほとんど同じ姿である。

「ああ女とはこんな姿でいじめられるのか・・・」

次々と病室に運ばれて行く少女を目の当たりに見て、その非情なソ連兵の動物的行動に憤りを感じると同時に、道徳も教養も平和の中にのみあるのであって、ひとつ歯車が狂ってしまったら、そんなものは何の役にもたたないのだ・・・・。
一週間私はこの病院にいて毎日毎日この光景を見て、その無惨、残酷さに敗戦のみじめさを知った。銃で撃たれて死ぬのは、苦痛が一瞬であるが、自分の体重の三倍以上もある毛むくじゃらの男数名になぶられた少女や娘たちは、どんな苦しみであったであろうか。

医師の話では「10名に2~3名は舌を噛んで死んでいるんです」

新京でさえこのような惨状であったわけだが、ソ連軍占領下の治安は、一般的に小都会、田舎にいくほど悪かった。毎夜、婦女子の一定数の割当供出が強要されたところもすくなくない。

条約反故で北方千島、南樺太を不法占拠しているだけではなく、不法占拠する過程において悪逆無道の限りを尽くしたソ連(ロシア)!これをこのまま放置しておいて良いのでしょうか?怒りが込み上げるのは当たり前なのではないのでしょうか?




引用以上



私はこの事件を知りませんでした。ソ連「今のロシア」は日ソ中立条約を一方的に破って日本を侵略してきたのです。この事は知っていましたが具体的な侵略行為は知りませんでした。ソ連だけが特別ではなく日本以外の国の軍隊は非人道的な組織だと思います。
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三角忠て誰?

2017-01-17 20:06:57 | 歴史
東アジア黙示録さんのブログです


http://s.webry.info/sp/dogma.at.webry.info/201612/article_5.html



引用


次の舞台は済州島…吉田清治小説第2弾の原作者が自供を始めた。そして今年もニコニコ現金払いの外務省に代わり、慰安婦ユネスコ登録阻止に向け真実派有志は一点突破でUNの古傷をえぐる。







「次にわれわれがなすべきことは、クマラスワミ報告の見直し、最終的にはこれの破棄ということになります」

先ごろ発刊されたムック『国連発 世界反日時代』のインタビュー記事でも、藤岡教授は、そう力説する。捏造慰安婦のウィークポイントがクマラスワミ報告書にあることは間違いない。

「出版社も吉田も彼の著書が小説であって全く証言と言えるものではなかったと認めました。加えて吉田の息子は、父は行ったことのない場所の地図を見ながら本を書いたと告白しています」



息子の告白とは『新潮45』9月号に掲載された大高未貴さんの衝撃スクープで明らかになったものだ。そこで吉田清治こと吉田雄兎の長男は、捏造派が目を覆いたくなるような事実を語っていた。

「父は済州島に行っていません。それは父から聞いています。それで父は、済州島の地図を見ながら、原稿用紙へ原稿を書いていました」(前掲誌70頁)

俗に言う創作秘話である。また、藤岡教授が指摘した「小説と認めた出版社」とは、デビュー小説を発行した新人物往来社のことだ。20年以上前に秦郁彦氏に対し、フィクションと明言していた。
▽デビュー小説『朝鮮人慰安婦と日本人』(S52年刊)


一方、この期に及んでも吉田清治の小説をノンフィクションと言い張る嘘吐き連中がいる。1人は、旧バウネットで朝日新聞幹部と一緒に共同代表を務めていた捏造派の拡声器・西野瑠美子だ。

そして、もう1人が小説第2作の版元である三一書房の元編集者・三角忠である。ネット上でも全く無名の人物だが、慰安婦捏造の黒いVIPである可能性が高い。

【小説第2弾の原作者が判明した】

「“日本軍による朝鮮人女性の強制連行”という戦後最大のフィクションを、とてもではありませんが父一人で書けるはずがありません。父の本を担当した編集者がなんらかの鍵を握っているはずです」(『国連発 世界反日時代』96頁)

取材に訪れた大高未貴さんに吉田雄兎の長男は、そうアドバイスした。「父の著作の謎」を解く鍵を三一書房の三角忠が持っていると言うのだ。大高さんは続いて三角の直撃にも成功する。

「あれは真実なんです。(略)吉田証言を否定することは朝鮮人慰安婦に対する冒涜だと思います」(前掲書97頁)
▽笑顔でTBS出演の吉田清治


のっけからノンフィクションだと断言する。吉田のデビュー小説には下関で慰安婦をスカウトする逸話が登場。それが何故、小説第2作では済州島での大規模慰安婦狩りに変化したのか?

「私からヒントを出した」(「新潮45』69頁)

三角は自分が勧めたことをアッサリ自供した。三角は当時、済州島蜂起を描いた在日作家・金石範の小説『火山島』に刺激され、吉田にストーリーを解説。すると吉田は、こう反応した。

「あっ、そう言えば」(前掲誌70頁)
▽吉田と朝日新聞関係者の謝罪ショー


突然、思い出したという。「20世紀最大規模の人身売買」と米議会が決め付けた“悲劇”にしては軽いノリである。現実には記憶が蘇ったのではなく、担当編集者が小説の設定を提供しただけである。

出稼ぎの朝鮮男の“強制連行”にすり替えても読者のウケは悪い。そこで三角忠は、デビュー作で地味な扱いだった慰安婦を主役級にし、舞台を済州島に変えて執筆を促した。無茶な注文だ。
▽蜂起に続く済州島大虐殺’48年4月


その為、吉田は地図と睨めっこしながら創作する羽目に陥った。実際、三角も担当作家が済州島に不案内であることを知っていた。「父は行っていない」という長男の言葉を伝えるとイキナリ開き直る。

「“彼が済州島に行ってないだろう、だからこの本はデタラメだ”ではなく、済州島に慰安婦は居たんですよ。吉田清治が慰安婦の問題を提起したことが重要なのです」(『国連発 世界反日時代』97頁)

日本叩きの一環で創作小説を戦中秘話と偽って出版したことは明らかだ。この三角忠は単なる極左出版社の元編集者ではない。よく言えば社会運動家、ストレートに表現すればテロ組織の現役活動家である。

【最重要資料2点の原作者は同一】

「『労組交流センター』代表の三角忠は公安のスパイだ」

そう大きく書かれたアジビラが都内で撒かれた。波状攻撃を実行したのは後期高齢テロ組織の革マル派で、三角忠は中核派の活動家だという。60年代の香り漂う内ゲバである。

噂や憶測ではない。三一書房退職後、三角が代表に就任した「全国労組交流センター」は、中核派の機関紙『前進』に頻繁に登場する。三角が、いわゆる公然活動家であることは確実だ。
▽路上で暴れる三角忠(前進系HP)


三一書房でも労組トップだった三角は、退職後に編プロを立ち上げた模様だが、本職は変わらず反国家活動。2年前にはJR水道橋で駅員を襲撃し、逮捕されている。

“済州島慰安婦狩り”のプロットを提示し、偽の戦記をプロデュースした人物が凶悪な活動家であっても特に驚きはしない。だが、三角が世に送ったのは、吉田清治だけではなかった。
▽安田浩一の同志・三角忠のアジ演説


「慰安婦といえば金一勉さんなんかの本も担当しました」(『国連発 世界反日時代』96頁)

昭和51年に発行された在日朝鮮人・金一勉(キム・イルメン)の『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』も三角が練り上げたものだったのだ。慰安婦の90%近くが朝鮮人で推定20万人など嘘を並べた捏造本である。

金一勉の地味な捏造本は約20年後、香港在住オーストラリア人ジョージ・ヒックスの『The Comfort Women』として華々しく復活。同署の引用は大半が金一勉の著作で、正体は焼き直しだ。
▽三角忠編集の捏造本(三一書房刊)


UN人権委のラディカ・クマラスワミが筆頭に上げた“歴史資料”がヒックスの捏造本で、次が吉田雄兎の小説だった。この2点に中核派・三角忠が深く関わっていたのだ。

ちなみにヒックスの捏造本は、クマラスワミ報告に合わせて和訳版が出ている。金一勉の英訳版を更に和訳するというトリック編集で、これも出版は三一書房。担当者は恐らく三角だろう。
▽金一勉捏造本のヒックス名義“再編集英訳版”


「私たちは新たに特別報告者を日本に派遣し、クマラスワミ報告の信憑性を検証するようUNに対し、強く要求します」





引用以上



三角忠
公安のスパイであることを暴露され、
逃げまわる「労組交流センター」
代表三角忠を追撃せよ
 米・英のタリバンへの空爆テロ弾劾!
 自衛隊派兵・日本の参戦阻止!
 権力のスパイ集団に操られた「11月労働者集会」を許すな!





2001年





2月27日、「2.27ビキニデー50周年東京集会」が、同実行委員会の主催で阿佐ヶ谷の産業商工会館で開かれました。集会では、第5福竜丸元乗組員の大石又七さんとヒロシマの被爆2世の野田次郎さんの「第5福竜丸とヒロシマをつなぐもの」をテーマにした反核対談を中心に、核と戦争の問題を掘り下げました。過去のものとして葬られてきたビキニの被爆の問題が現在につながる課題てあることが明らかにされました。




2004年

​​ビデオプレス  

173-0036 東京都板橋区向原2-22-17-403

現在制作中の「君が代不起立・続編」に対して264名に達するDVD予約・制作カンパが寄せられています。

での署名

2008年





731部隊・細菌戦被害者の証言集会の司会


2010年







2月20日(金)、警視庁・神田警察署は、救援連絡センター運営委員である三角忠さんをJR水道橋駅の職員とのささいなトラブル(全治3日間)を口実にして、傷害容疑で不当にも令状逮捕した。編集者の三角忠さんが、20日に逮捕された。三角さんは、三一書房を退職したあと、編集工房・朔を経営し、精力的に社会問題を世に問う本を出版してきた。

また、救援連絡センター運営委員やユニオン東京合同副委員長などを務め、 秘密保護法に反対する運動にも熱心に取り組んできた。2014年

よこはま夢ファンド50000円寄付

2014年





三角忠(8・6 広島-8・9 長崎反戦反核闘争全国統一実行委員会事務局長)2014年




三里塚芝山連合空港反対同盟
署名2016年


2016年 1月   救援連絡センター運営委員会
代表      足立 昌勝
代表弁護士  葉山 岳夫
事務局長   山中 幸男
運営委員   長谷川英
同      三角  忠

なかなか精力的に活動してますね。
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