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お葬式と ご法事 その2

或る時 二足歩行になった人は考えました。

どうして 太陽は昇ってくるんだろう、沈んでいくんだろう?

どうして 明るい昼と 暗い夜があるんだろう?

どうして 晴れの日があって 曇りの日があって 雨の日があるんだろう?



きっとこれは、目に見えない不思議な力があるに違いない!

その力を神と呼ぼう。



でも、神は 良い事ばかりをしてくれるわけではない。

悪い事をする神は 悪神、悪魔だ。



自然現象を 神のなせる事として 納得します。






あれっ、昨日まで一緒にいた父が、母が、或は仲間が動かない。

様子が変だ。

どうしたんだろう?

死だ。



生き物は死ぬという事を発見します。






どうして死んじゃったんだよぅ という怒り、

寂しいよ・悲しいよ という感情、

この心の動きは なぜ起こるのか?



人が優しい生き物だから起こる感覚です。



ちょっと待てよ、俺もいつか死んじゃうのかなぁ。

いやだよ、怖いよ、という恐怖が、この世に対するあの世

つまり 死後の世界を作り出します。



死んだら 今よりもっと良い世界に生まれたい。

そして 天国が出来ます。



今 生きていても やがて死が来る絶望的生者の世界に対して
死者の世界、あの世、神の世界がある という事は、

最初期の人間にとっては 救いであり 希望の世界だったんです。



えぇ~、
あいつは俺の食べ物を横取りしたから、
あいつが死んだら俺と同じ世界には 生まれて欲しくない。

地獄ができます。



実は、地獄という発想は 天国という発想より 先にできた
という学者もいます。

だから 人間の社会から戦争がなくならないんでしょうか?






じゃあ、どうしたら 死んだら天国、神の国に生まれ変われるんだろう?

あぁ そうか、 
今 こうして生きている時に、いい事をすれば
神様が天国へ連れて行ってくれるはずだね!

こうして 宗教が生まれます。



ただし、ここでいう宗教というのは、
今謂う やれ仏教だ、やれキリスト教だ、やれ神道だ、
やれイスラム教だ、 やれブードゥー教だ、
なんていう ちんまい話ではなくて、

宗っていうのは 「むね」、
物事の核となる部分、本質っていう意味ですから
人が生きているための本質的、基本的教えっていう事です。



明治時代までは 宗教という言葉は そんなふうに解釈されていたんですが、
近代的学問とかが西欧から来て、
言葉の意味が歪められてしまったんですね。

今の人は「俺は無宗教だ」「自分のお葬式は無宗教で」
なんて平気で言いますが、
無宗教人間は 生きている核というか、骨というか、筋というか、根っこというか、
そんな大事なものを持っていない、
何も考えていない、
本能だけで生きている、
既に人と呼べない生き物だ
って事ですよね。

人である限り 無宗教なんてありえない。

無宗教教 という宗教はるかもしれないけど。

閑話休題。





今日は、ここまで!

まだまだ続きます!


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