― 歌・種・記・文 ― (うたたね きぶん)

日々の中で感じたことを書き留めた自分のための雑記帳。
記憶を鮮明にさせてくれる画像や思いが大事な宝物になっています。

これってどうなの話 & 嬉 しいお話  ― この街で ―

2011-04-30 | ちょっと考えさせられたお話
今度こそ!
地震前に途中まで書いていたものを完成させて投稿を しよう と思っていたのに、
またまた違う方向に曲がってしまいました!
いつになったら 通常に戻るのかな~!
   曲げたのは自分だから、人のせいに有らず!  次回 こそ きっと!


いまだに引きずる 地震災害!
原発に まったく収束の見通 しが立っていないことから
被害は広がっているとも云えます。
   風評被害によって 人の心まで被害に合うケースが増えているようです!

何かで力になりたいと考えている方達は たくさんいると思われます。
外国の、日本の、有名人たちが ポンと大金を寄付 してくださったり、
とにかく動こうと ボランティアに参加する人が増えたり、
品物を送ったり、被災地の物を買ったり …
それらに感動するのは 人に言われた訳でもなく、自主的に行っているからでしょう。
善意の思いを大きさの問題で比較することは出来ない!
きっと、それらのすべてが役立っているに違いない! そう思いたいですね。

被災者の方々も、いろいろな思いを胸に 動き出 しています。
少しでも早く 住んでいた街が復興し、みなさんが安心して暮らせる生活が戻りますように …!
私達もまた そのお役に立てるよう、長期にわたって 出来ることを していきたいものです。

若者から年配者まで、さまざまな職業や ただただ力になりたいとの思いから
被災地へ乗り込んだ支援者の方々の力強さに
一般ボランティアの かっこよさ を 見た気が して
日本人はやっぱり <人情に厚い国民>だったんだな~! と 温かな気分になりました。



 そんな中、 それって どうなの!? と思うような 嫌な話を耳にしてしまいました

先日のこと、
原宿で行われる展示即売会に 被災 した仲間の作品を持ってやってきた ドワーフ君!
   まだお会い したことはないけれど、人情のわかる 頑張り屋さん!  歌仲間が こよなく愛す息子です。
目立つ格好に目立つ車で
 <頑張ろう いわき!> を 目標 に 勇んでやってきたところが …
車を止めた場所の 前のアパートの住人の女性から
 「放射能がうつるから 今すぐ車を移動 して!」 などと きつい口調で言われ、心が折れたといいます。
息子を愛する<父>が 早速 私に どう思うかと聞いてきました!

ちらちらと入って来る報道の中で 多少オーバー表現になっている話もあるのかと思っていたんですが、
面と向かってこんなことを言う人って いるんですね~!
人と話を したり、ニュースを聞いたりしていれば
<放射能がうつる> なんて無知なことは言わないと思いますし、
ましてや 少なからず傷つき、それでも頑張ろうとしている人に
自分本位なことは言えないと思うんです。
それに、例え そう思ってしまったとしても、
2~3日 窓を開けないようにするとか、外に出ないようにするとか、逆に出かけてしまうとか …
自分の中で解決 しようとする優 しさはないのだろうかと 失望感を覚えます。
ただ自分に被害が及ばないようにとだけ考える人は どうやって生きてきたんだろう!?
人との付き合いは…、絆は…、しっかり出来ているのだろうか!?
情けないな と思うと同時に、ドワーフ息子より、その人のほうが大丈夫なのかと
そんな風に思えてきてしまいました。

前回のブログにも書いたように、
考えかたは人によって違いますから
被災地の物を買う人、避ける人、さまざまいると思います。
それを <良い><悪い> だけでは云えない事情も さまざまあるのだろうと思います。
でも こんなお話は ちょっと 酷い!
原発事故を修復 しようとして 今も直接働いてくださっている方々がいらっしゃいます。
その方達が 動いてくださらなかったら、  (東電の話は置いておきましょう!)
停電や節電 くらいでは済まないことになる!
私達は そんな恵まれた生活を しているわけです。
その方達は ドワーフ君なんか問題にもならないほど大変な状況にあると思われます。
そんな方達に対 してでも そういったことが 言えるので しょうか!?
   … って、 まぁ どんなことでも 言える人は言えるんでしょうけれどね!  哀 しいな~!
自分本位の要求だけ していて いいので しょうか!?
自分が逆の立場に立った時、傷つくことはないと思いますか!?

考え方は 人それぞれ! さまざまですからね~!
話 してみても そう思い込んでいる人を 短時間で理解させるのは 難 しい!
物凄いパワーも必要となることでしょう。
みんなが同 じ考えをもつということ自体が 不可能とも思えます。
それでも こんな場合、
害が無いことは多くの人がわかっていることと思います し、
応援 してくれている人のほうが 比較にならないほど多いはずですから、
ドワーフ君は、めげずに頑張ってください!
そして、
腹が立ったり 悲 しかったり …
その時点で思ったことを堂々と陳べてみるのも ひとつの勉強なのではないかと思います。
人の意見は さまざま!
それに対する返答がどんなものなのかを知った上で、また考えることが出来たら
きっと もっと成長できるんじゃないのでしょうか!?
若いんだから マイナスもプラスに変えて …、 頑張れ~!
   そのドワーフ君が書いているブログがあります。 よかったら覗いてみてあげてください! (こちら

大人でも 心ない中傷に傷つくというのに
被災者が転校 してきて いじめ に合う という話もあるようですね!
心に傷を受けた小さい子が さらに傷ついてしまうなんて あまりにも可哀想です。
子どもは親の話をそのまま理解 してしまうことがあります。
そういう時、子どものほうが残酷かも しれません。
親は 子どもを正しく導いてやらなければいけない!
2次被ばく なんて ありえないと云えるほどのことなんです!
根拠のない軽率な考えで 人を傷つけることのないよう、言動には気をつけなくてはいけません。

そんなお話、どこかで聞いたことがあるように思っていましたが …
間違った知識で 人を差別 し、傷つけてしまうのは 恐ろしいことです。
エイズ問題>にも 同じようなことがありました!
ひとつの単純な頭で考えるのではなく、もう少 し視野を広げて 多くの意見を聞いて、
優しい心をもって接するように していかないと 心が育たなくて寂 しいです。
これから先 まだまだ何が起きるか わからない日本、世界、地球!
同 じ日本人、同 じ人間、同 じ地球に生まれた生き物 として
力を合わせ、仲良く手を繋いでいきましょうよ!



 こんな問題に比べたら 小さなことですが、私もちょっとがっかりしたことがありました。

いい歳を した大の大人(男)が、
 「地震が怖くて 何も出来ない!」 を連発するって どうなの!?
いざという時、必死で守ってくれるような男性なら 頼り甲斐を感 じるけれど、
きっと自分だけで手一杯で、人のことを守るどころか 考える余裕もないんだろうな~!
こういう人は 一緒にいる時に絡まれたりしたら、自分だけ逃げてしまうんだろうな~!
勝手な想像ながら そんな風に思えてしまう!
20(歳)も30(歳)も離れた 70~80歳代の方々からも
 「いまだにそんなこと言っているの! ちょっと情けなくない!?」 の声!
ホントに 自分でも情けないとは思わないのかな~?
人との絆は 大丈夫?
そんなに軟弱だと 誰も本気で付き合おうとは思わなくなっちゃうんじゃない?
肉食系(肉好き) の 草食風(柔な)中年 って どうなの!?
人ごとながら、
せめて 年配者から笑われない程度 には 強くなろうよ!
そんな風に感 じてしまった出来事でした。



 ついでに というわけではありませんが、少 しは良いお話も書きたくなってきました。

息子の代になっている茨城の工場が被災された というメンバーも いら したため
しばらく延期となっていたS会 で したが、
今週 久々に復活 し、元気な顔の皆さんとお会いすることが出来ました。
   病気のある方や高齢者もいらっしゃるため、「元気でよかった~!」   お会い出来てホッとしました。
その際、その被災された息子さんをもつ方の奥様のほうから、
 「お返 しよ!」 と さりげなく渡されたのが ホワイトデーのプレゼント!
   そんなことまったく忘れていましたし、期待するなんてこともなかった!
   それより こんな大変な時に!? と、嬉 しいけれど 申 し訳ない思いでいっぱいになりました!

 「パパはこういうの自分から渡 したがらないから …!」
<家には塵ひとつない>と言われるほど きれい好きのご主人に対 して 大らかな奥様!
だけど こういった細やかな気遣いは すべて奥様がなさる!  本当に素晴ら しいと思います!
 「パパ ありがとうね!」 というと、
 「いや~ そういうのは全部 家内がやってくれるんだよ!」 って ちょっと照れ笑い!
そんなのわかってますって!
パパは ママがご自慢 で しょうがない! 本当に素敵なご夫婦です!
   言い易いので 最近では私も お呼びする時は すっかり 「パパ!」 になっちゃってるんです!
   知らない人が聞いたら なんか妖 しい雰囲気かしら!?  … な~んて誰も思わないか!
   奥様からは 「いつでも貸すわよ!」 と言われているし、危険度 0%は 嬉 しいのか 哀 しいのか!

また、 怖い系の幹部のような顔立ちの 本当は心優 しいメンバーから いただいた物は   
なんと 私のために買いに行った帰りに地震に直面 し、家に着くまで4時間もかかったという いわく付き!
 「あなたのために大変だったみたいよ~!」  奥様が大笑い しながら 先に ネタばらし!
 「今 言おうとしてたのに …!  だけどホントにそ~だったんだよ!  …(解説話は略)…」 と ご主人!
 「すみません! 噛み締めて、よ~く味わっていただきます!」 というと
 「じゃ~ 次回 その味の感想を聞くからね!」
奥様はコロコロとよく笑う方で、こちらはご主人のほうが気遣いをなさる!  ここも良いコンビです。

すべてを書くことは出来ませんが
他にも、他でも 思いがけないお気遣いで いただいてしまった品々がありました!
まとめてになってしまいますが、本当にありがとうございました。
大事に食べ、大事に使わせていただきます。

   今回は私が渡せなかった方も いらっしゃいました。
   その方たちには ごめんなさい!  また次回を、期待せずにお待ちください!



                      誰だって 悪い話より 良い話のほうが いいもんネ!
              少しでも早く、そんな話がたくさん聞けて いっぱい話せるように なると いいわね~!


‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥    ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥    ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

被災された方々の、大事な 自分達の街 の復興を願って … ということで
2008(平成20)年 2月13日発売、
    城之内早苗 with 布施明 の  『この街で』
         (作詞 = 新井 満 さん/作曲 = 新井 満 さん & 三宮麻由子 さん)

「この街で 生まれ この街で 育ち   この街で 出会いました あなたと この街で」
   「あなたの すぐそばに いつも わたし   わたしの すぐそばに いつも あなた」
「この街で いつか おばあちゃんに なりたい   おじいちゃんに なったあなたと 歩いて ゆきたい」

   生まれたまち、 育ったまち、 あなたと出会ったまち、 今 住んでいるまち!
     好きな人と、いつまでも歩いてゆきたいまち!
     大事なものがたくさん詰まった まち は、 やっぱり住みたい まち!
                                       (※ 詞の内容から、その時感じたままを 書いています。)

この曲は、2005(平成17)年3月に松山市で開催された 新井満氏が常務理事を務める
「日本ペンクラブ」 主催による 「平和の日・松山の集い」 の舞台で 誕生しました。
2001(平成13)年度 「だから、ことば大募集」 で 松山市長賞を受賞 した桂綾子さんの作品
「恋 し、結婚 し、母になったこの街で、おばあちゃんになりたい!」。
これに感動 した新井氏が、それをコンセプトに作られたそうで、
当日は 三宮さんのピアノ伴奏で、新井氏が歌唱 し、
それを聴かれた方々が涙 し、口コミで広がり、再演を求める声が殺到!
その要望に答えて 新井氏がレコーディング し、同年8月、松山市に原盤の使用権を寄贈。
当初、松山市が 限定2000枚を発売 しましたが 完売!
それを受けて 翌年5月 ポニーキャニオンから 全国発売!
今では <末永く> という意味を込め、結婚式のお祝いソングとしても歌われるようになっています。

城之内さんがこの曲と出会ったのは
友人から勧められ絵本詩集 「この街で」 の 詩が持つ温かみ溢れる内容に感銘を受けたのがきっかけで、
その時知った同タイトルCDを聴いて、ぜひ歌ってみたいと思ったのだそうです。
その想いが実現する運びとなった際には 同所属事務所の大先輩である布施明さんがコーラスとして参加!
     新井氏より2年ほど後の発売となっています。

これを聴いた時には 本当にびっくりしました!
布施さんといえば 歌唱力の素晴らしさで知られる方 です。
それが さりげないほど バックに徹 していらっしゃる!
なぜ 布施さんだったのかが 不思議なほどです!
城之内さんは きっと、本当は強靭な力を持つ布施さんに、優 しくそ~っと守られているような
そんな安心感の中で 歌えているんでしょうね。 贅沢だな~!
   自分を強調 したがり 主張 しすぎるより、相手のことを考え 調和を考え、控えめであるほうが
   よっぽど素敵に映ることがある という 一例のようです!

やっぱり 頼れるというのは大きい です。
「そこにいてくれるだけでいい」 ってくらい さり気なくカバーしてくれる人がいたら いいでしょうね~!
   マーブルに匹敵するくらいの人 ってことだから、なかなかいないでしょうね~!
   マーブルが さり気ないカバーを してくれているのか!? と言われると … 怪 しいですけどネ!


                 軟弱で なく、強さは秘めて、 優 しく接することの出来る人と
                             ずっと一緒に いられたら … いいよね~!



被災地が 早く こんな まちに、村に、 戻りますように …!





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コメント (2)
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地震、私 周辺の出来事  ― I LOVE YOUからはじめよう ―

2011-04-23 | ちょっと考えさせられたお話
 
東北地方太平洋沖地震 が 起きた 3月11日 14時46分。
我が家には ちょうどマー君が到着 して、彼だけが靴を脱いで家に上がった状態でした。
地震に驚いて2階から逃げ降りてきたマーブルは
マー君がいたことにさらに驚いて、下のどこかに潜んでしまって 探 しても 呼んでも 出て来ない!
とりあえず ママ(長女)がマー君を抱いて外に非難 し、
私も戸を開けたまま 玄関ポーチの鉄の柱に掴まりましたが、
揺れは かなり長いこと(2分ほど)続いて
その間 じゅう クラクラと めまいに襲われているような感覚でした。
気づくと 玄関の めだかを入れてあった容器の水が 半分以下になっていて
揺れの長さと大きさの度合いが うかがえるようでした。
   酔ったかも しれないけれど、めだかさん達は下のほうに潜んでいて 全員無事! 良かったね~!
   だけど、もっと酷かったら マーブル共々 守れなかったかも しれない と思ったら けっこうショックでした!


しばらく様子をみてから中に入ってテレビを付けると、
地震の震度や津波情報などの緊急速報が流れていました。
慌てて 仕事に出ていた次女、そして両親に電話をかけましたが、もうすでに まったく通 じない状態 !
メールを送ろうとしても 送信されない !
落ち着いたかと思えば また起きる揺れは
度重なるほどに、かつて感 じたことのない不安を湧き上がらせます。
テレビは次第に大変な状況であることを伝え始めていました。
   緊急地震速報は東北地方にのみ出されたようですが、NHKは全国的に流 したようでした。
   気象庁が出 した津波の高さにはズレがあったようですが、一刻を争う場合はたとえ10秒でも
   生死を分けてしまうことになりかねません。 速報が出される速さも、アナウンサーの落ち着きぶりも、
   CMがないことも、大津波警報が 他国の方々のために副音声で流された(英語、中国語、韓国語、
   ポルトガル語)ことも、信頼に値する!  緊急速報は、やっぱりNHKが1番だと思いました。


3時半、次女(チッチ)から やっと メールが届きました。
 「大丈夫? 家は潰れてない?」
   私と共に家の心配?  築年数と立地条件の悪さからいえば きっと私でも心配 したと思います。
 「大丈夫よ! そっちは? 帰って来られるの?」
返信するのも ひと苦労! 返事は来ませんでしたが それでも娘に関 しては ひとまず安心できました!

夕方、長女が帰る際に
 「うちに避難すれば!?」 と言ってくれましたが
まだマーブルが見つからないことや
両親の安否確認が出来ず、見にいかなくてはいけない可能性もあったので 断って、
間隔を置きつつ 電話とメールを し続けました。
   大丈夫だとは思いながらも、高齢者だから気になります。
   やっと見つけたマーブルも やたらと動き回っては変な声で鳴くので、また何か起きるのかと嫌な気分!



そんな中、
都会 は、地震直後から交通機関が止まってしまって どこも 大混乱!


帰宅時間や帰宅方法が知りたいのに、その後も 次女とは まったく連絡がとれず、
 「今どこ? どうなってるの? おばあちゃん家にも連絡がとれない!」
 「歩いて帰ることになった時には 途中で寄って様子を見て来てくれないかしら!?」
やっと送信されても やはり返事が来ない!
次女からは夜になって、
 「駅が凄いことになっているから 歩いて帰る しかない!」 と返信がありました。
   たったこれだけの連絡に どれだけの時間が かかったことでしょう!
結局、実家は停電中!
外に出ていた者たちは 歩いて帰ってきて 全員無事!
けれども それがわかったのは 夜も遅くなってからのことでした!

後で聞いた話ですが、
次女がいた地下では ゴーッという凄い地鳴りと共に地震が来たそうです。
また 停電して真っ暗になった国道 には、
黙々と歩いて帰る 人の群れ車の列 が延々と続き、
とても異様な光景だったようでした。

 
だけど、
即 頭が回り、行動に移せる人というのはいるものなんですね~!
感心 したのは
ホテルの予約自転車の購入

   電車が動くのを待っている人! 
   バスを乗り継いで帰ろうとする人!
   タクシー乗り場に並ぶ人!
  帰れないと踏んで 泊まる作戦に出る人!
   居酒屋や カラオケボックスなど 一晩中やっていそうな場所に陣取る人!
   自転車を 購入して 帰ろうとする人! 
  諦めて 歩いて帰る人!

ホテル予約や 一晩中やっていそうな場所に陣取ることの早い人は
きっと 経験があって慣れている人なのでしょうね。
でも 自転車を購入するなんて発想には 感服!
   これも きっと 普段利用 していらっしゃる方なのでしょうね~!
確かに、
来ないタクシーを待って並ぶことや タクシー代を考えたら きっと 安いに違いないのでしょうし、
ストレスを感 じることが少なくて済むのは 何にも変えがたい!
頭は 柔らかいほうがいいな~!
なんか ひとつ学んだ気がしました。


その後も
福島沖、栃木、長野、神奈川、新潟、茨城沖、山梨、千葉、宮城沖、千葉東方沖 …
あらゆる場所で 頻繁に起こる余震!
政府からのお願いを含めて 緊急を知らせるエリアメールは 嫌な音を立てて 何度も鳴り、
マーブルを抱えること、玄関に置いたリュックの前に立つこと、数知れず、
通常生活に戻ることも出来ずに
<カラスの行水のようなお風呂>、<服を着たままの就寝> という日々が続きました。
   震度5強以上の余震が発生する確率は、3日以内で70%、2週間で20%、3週間で10%だと
   いわれていたようですが、体感的に大きく感 じられる揺れや緊急速報が数多ければ落ち着かない!
   特に4日後(15日夜)に起きた地震の震源地が 静岡 と知った時は いよいよかと思いました。



今回の地震では 震災の恐ろしさを まざまざと見せ付けられ、
きっと みんなが今までにない危機感を感 じたのでしょう。
被災地だけでなく、東日本全体が戸惑いと焦りの渦に巻き込まれ、
 「今のうちに備えておかなければ …!」 と動いて、
その結果、次の日から あらゆるものが無くなっていきました。
買いあさり> といわれる現象です!
お米、パン、お餅、ご飯のパック、カップラーメン、インスタントラーメン …
ウインナー、ハム、ベーコン、肉類、牛乳、ヨーグルト、納豆、卵、缶詰め、野菜 …
トイレットペーパー、マスク、携帯用カイロ、ティッシュ、ラップ、紙皿、紙コップ、ガムテープ、ローソク …
紙おむつ、お尻拭き、粉ミルク …  餌などのペット用品 …
   キリが無い!  なぜかカレーのルーを 20個くらい買い占めている男性までいました!
   電気やガスがなければ役に立たない物もあるのに、あらゆる場合を想定 してか、
   多種多様のものが 陳列棚から マジックのように … 消えた!

懐中電灯、電池、ラジオ、ランプ に至っては お店で聞いても 「あるわけないでしょう!」 という感 じ!
携帯の充電器 も ガスボンベ も … あっという間に 消えていました!
   人が頑張っている姿を見て涙を流 していた人たちも、スーパーなどへ行くと 行列奪い合い
   棚がどれも空っぽになっていれば誰だって多少なりとも焦る気持ちは起きてしまうのでしょうが、
   あれば欲 しいという思いはあっても そこまでする気にはならない私は、「随時生産 している!」 という
   企業の言葉を信 じると共に、こちらは 出来るだけ我慢 しながら待つ という努力も必要だなと感 じて、
   動くのをやめました。

こんな現象は西日本にまで広がったようで、一時は名古屋でもパニックのようになったそうです!

今ではもう こちらでも ほとんどの物が店頭に並ぶようになっていて、
買い過ぎ>を 後悔 している方も多いと聞いています。
   <迅速に動くこと> と <焦って動くこと> には 大きな違いがあります。

大変な時こそ冷静さが必要 である
少々痛いけれど、学んだと思えば メ リット にはなりますよね!

ところが、
次に出てきたのが 風評被害 による <買い控え
人間というのは勝手なものです。
そして それに振り回されるのは いつも 弱者!
今回は 手塩にかけて育てた物が 出荷の段階で <積み出 し停止>だと言われてしまった生産者でした!
   まるで 娘が結婚間近で一方的に破談 にされたような状況に、前途を悲観 して命を絶つ方まで
   出てしまう悲劇!  しかも きちんと測定 したら 基準に達 していなかった所も多かったなんて …
   被災 した上に 濡れ衣 という悲惨さを知って、思わず泣いてしまったのは私だけではないと思いますが、
   消費者もまた 数値にあたふたさせられ、不安から買い控えをさせられた被害者でもあったのでしょう。

 
そんな現象も
今では <積極的に買って支援 しよう!> という動きに変わり、広がりを見せ、
販売側も 安全確認がとれた被災地商品を置いて宣伝する などの動きが見られるようになりました。
   私も産地を見て買うよう心がけています。

今、何をすればいいのか! 何が出来るのか!
これも、学んだことになりますね!


それ以外で 私達がすぐに、そして長期間 協力できることといえば <節電> になるのでしょう。
我が家も 問題が取り上げられた直後から 何が出来るだろうかと見回 してみました。
 ・日当たりが悪いため、昼間でも照明を点けていた1階部分を 夕方6時頃まで消灯としました。
   初めの頃は6時になると もうまっ暗になってしまうため テレビの明かりを利用!
   今は日も長くなり、電力も足りているようですが、普段は出来るだけ 照明を消すように しています。

 ・エアコンは 我慢できるギリギリまで付けずに たくさん着込むことで対応!
   3月はまだ寒い日が多かったので、極力 ホカロンを貼ったり 電気ミニマットと毛布で過ごしました。
 ・コンセントは抜き、給湯器の電気も 使う時以外は OFFに しました。
 ・玄関の電気も 娘から連絡をもらい 帰宅直前に点灯するようにしました。
ほんの小さなことですが、
たとえ1円でも 国中から集めたら大きな金額になるように、
少 しづつでも 気にして 気をつけることが協力であり、大きな節電に繋がるのだろう思います。
   これは 節約 にもなることだと思ったら、改めて考えさせられる部分がたくさんあるように思われました。
   ただ、頑張り過ぎて 一時期 少々風邪を ひいてしまい、自分の柔さも 実感!  鍛えなきゃね~!



私のブログの中に何度か登場 している<マメ なN氏>も 被災者となっていました!
彼の現在の住まいは茨城県の東海村。
地震前日にお嬢さんが二人目を出産(女の子)し、当日も会いに行っていて帰れなくなったようです。
   当日じゃなくて良かったですね~!
お嬢さんの嫁ぎ先は 同 じ茨城県(土浦市)ながら、わりと被害は少なかったようですが、
5日後、自宅に戻ってみたら 家の中は かなり悲惨な状態で、
電気、プロパンガス、水道のすべてが止まり、屋根瓦は落ち … ビニールシートで応急処置を したそうです!
それでも があるというだけで、「良かったね~!」 が合言葉のようでした。
電気、ガスと復旧されていく中で、水道だけがなかなか復旧には至らず、川に水を汲みに行く毎日!
「お風呂に入れないから オヤジ臭くなりそうで困っている」 というメールに
私は 「くさやの干物 が 出来そうですね」 と返信!
マメなN氏からは毎日のように近況メール送信があり、
<上質なくさや>を目指 して頑張っている内容が伺えましたが、
嬉 しかったのは、
ご自分が被災されているのに、当日の夜、こちらに 「大丈夫?」 とメールを くださったことでした。
   愛媛のU女史、名古屋の君、幼なじみ、旧友、病気で自分の命も危ういのではないかと思われる方達
   からも メールが届き、気にかけてくださる気持ち、繋がっていられる幸せに感謝 したくなりました。

いわき市から非難 していら したN氏の息子さんは、ガソリンスタンドで給油の際、
いわきナンバーを見た店員さんから 給油制限より少 し多めに入れてもらえたと <人情> に涙 し、
後日、自分だけ楽を していては申し訳ないと いわきにボランティアにも出かけたそうです。
   辛い状況で 触れて生まれる こういう気持ちが 素敵ですよね!

この<がんばり息子>の応援、何か出来ないかと考えましたが、
力無い私には ここに載せることくらいしか出来ません!
 今日、明日、原宿で開催される 『HEART for Japan』 というイベントで
 いわきで被災された仲間達の作品も含めて販売するそうです。
 ちなみに、彼は <リメイク靴屋さん>です。
また、
私の旧友の 真面目で誠実な <クリーニング屋さん> も 頑張っていて、
 「被災地に洋服を送ろう」 という取り組みを始めたそうです。


まだまだ 地震が起きる前のようには戻れていないところもありますが、
日は伸び、暖かくなり、花が咲き出すと 人は 少 しずつでも 動き出そうと し始めるようです。



春の力 で しょう か!?
                    いいえ 誰でも!   …  

               いろいろ 学ぶことも多かったから これを生かしていかないとね~!
                                      頑張らニャ~!


‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥    ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥    ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

愛をもって人と接 し、繋がりを大切に … ということで
1988(昭和63)年 6月21日発売、
        安全地帯 の  『I LOVE YOUからはじめよう』
                 (作詞 = 松井五郎 さん/作曲 = 玉置浩二 さん)

    「なくさないで 夢を 忘れないで 愛を  心をひらいて I Love You I Love You I Love You More」
  「ほんとうの 自分なら こわくない  もう一度はじめられる 明日がある
             涙のむこうに 輝く瞳に  答えを探 して I Love You I Love You I Love You More」
「悲 しいときでも くじけそうなときでも  あきらめないから I Love You I Love You I Love You More」

   こんなにたくさんの I Love You を貰えたら、頑張れちゃうでしょう!
     小さな応援、大きな応援!  どんなものでも どんな形でも、心に届けば 力になります。
                                       (※ 詞の内容から、その時感じたままを 書いています。)

安全地帯として 18枚目のシングル曲です。
前年発売された 『じれったい』(15枚目) に続き、
太陽誘電 「That's」(この音が僕らです篇)のコマーシャルソングに起用され、
テレビと映画、「氷点」 の主題歌にも使われていたそうです。

「愛 してるよ!」
日本人には なかなか言えない言葉です。
だけど、
誰か特定の人でなくても、
生きている多くの命に向けての
「愛 している!」 が あっても いいですよね。
家族、尊敬 している方、お世話になっている方、友人、ペット(我が家の場合は家族に入ります) …
動物・植物など 生命をもつもの …
そして 被災者のみなさん!
何でもいいから、みんな一緒に頑張ろう!  さあ やろう!

歌唱力、声質に加えて、切れ長の鋭い目、眉間のシワ、シャープさ なども魅力の玉置さん!
この歌で言えば、全力を込めた歌い方、かかげたこぶしの力強さ …
熱きオーラが伝わってくる演奏と歌に 心身共に反応 して、力が湧き、勇気づけられる!
ソフトな歌の魅力も充分に感 じますが、前に進みたい時は こんな歌がいいのではないでしょうか!?

             勇気と笑顔が 貰える、発信できる  「 I love you !」
                         被災地に届け!  宇宙にまでも届け!





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津波が奪ったもの、残 したもの   ― 生きてりゃいいさ ―

2011-04-15 | 自然・環境 に関するお話
 
  大変遅 くなってしまって 今さら!? のようですが、

地震による被害に遭われて しまわれた皆さまに
心より お見舞い申し上げます。

今回の地震、そしてパソコンが壊れてしまった影響で 私も 自分の中では 大打撃を受けてしまいました。
書きたいと思っていたことが書けなくなってしまった苦痛に加えて 細かい情報が入ってこない不安感!
被災された方々のご苦労やご心労を思えば 贅沢かな とも思えることではありますが、
テレビでは知り得ない情報が けっこうあるのだということを 改めて知ることとなりました。

前回の記載からも 地震からも、もうすでに 1ヶ月以上が経過 してしまいましたが、
東京ディズニーランド再開と同日の今日、やっと ……… という想い の 投稿 となりました。
久しぶりの送稿が 良いお話であったなら … どんなにか 良かったことでしょう!!!


3月11日 14時46分 宮城県冲 で マグニチュード 9 という
世界最大級地震 が 起きてしまいました。

                               そ して、
 想像を絶する 大津波 が 押 し寄せて
一瞬にして 村や町を飲み込み、火災を引き起こし、 甚大な被害を出 してしまいました。


                      ところが、 被害は これに留まらず …
福島第一原子力発電所事故 が発生 し、
これが大問題へと発展 して、未だに 収束には至って いません


東北地方太平洋沖地震 (地震名 と して気象庁が正式命名)
日本に とてつもない試練を与えることとなってしまいました。
   災害名 としては、政府により 「東日本大震災」 と命名 されました。)


地震後、テレビはすべて 地震関連のニュースとなり、その惨状は 驚きの連続でした。
   地震が起きてから 第1波が到達するまでの時間 が わずか数分ほどだったという地域 !
   波の高さ が 37メートル近くも あったであろうと思われる地域 !(岩手県宮古市の田老地区)
   波の到達距離 が 海岸から10キロ近くにも及んだ地域 !(仙台市)

寄せ波、引き波、 その 速度破壊力 は 私の想像範囲を はるかに越えていて、
大きな船が何隻も 高い堤防を乗り越えて町に流れ込み、大破!
家は 呆気なく壊されて 軽々と流され行き、車なんて まるで おもちゃのようでした!
あれでは 人が立ち向かえるはずも ありません!

大切な 多くの<>が 奪われ、<生活>が 奪われて、
やっと助かった方々も <心に深い傷>を負って しまわれました。


津波による被害のあまりの激 しさを見れば、復興の難 しさは想像がつきました。
でも 原発事故は 発表当初より 日を追うごとに 深刻さを増 してゆき、
毎日毎日 思うように修復が進まないというニュースが流れて、
ついには 放射能漏れ による 風評被害 という問題にまで発展!
被災地の方々に 更なる打撃を与えることになってしまいました。

現場で懸命に修復作業を してくださっている方々のことを思うと、胸が痛みます!
決死のお仕事が、<自ら志願 したものではない!> などと聞いてしまうと なおさら 胸が詰まります。
心から 感謝すると共に、一刻も早い作業完了を 祈るばかりです。

それでも、世界で一番安全だといわれていた日本の原発が 今 一番危険な状態にあり、
いざという時に 思うように行かないことばかりが続くなんて、
<予期せぬ出来事が幾重にも重なった運の悪い状況> では済ませられないものがあります。
こんな危機が訪れないよう、
何かが起きたら大変なことになる と思われるものについては、
   想定外なことも 起こりうる のだ! ということを予測 し、
   想定外なんて あってはいけない のだ! と いましめ、
もっともっと考えておかなければいけなかった のではないでしょうか!?
ましてや 地震国 である 日本 です!
まして まして、事故など絶対に起きてはいけない 原発 です!
 ※ <想定外>なんて言葉を使ってはいけないのではないかと思える事柄は、後半に記載 しています。

今回のことでは
ライフライン(電気・ガス・水道・通信・輸送など) の大切さ有難さ を 再認識できたといえます。
特に 電気 は 1都 8県 (東京/千葉/埼玉/神奈川/栃木/群馬/茨城/静岡/山梨) にも及ぶ
計画停電 の実施で、節電 に協力 しようという人が増え、普段の生活を見直すよい機会にもなりました。
けれども 放射能など、人体に悪影響を及ぼすものについては、
人の命を左右する、ある意味 <命を預かっている> ともいえるような大きな問題になります。
   一度に多くの人の命に関わることの 安全性 !
それを 今までは大丈夫だったから … と、マンネリ的に考え過ぎてしまっていたのではないか!?
いずれにしても、東京電力 の責任は大き過ぎました!

起きてしまったことを 元に戻すことは出来ません!
それなら せめて 一刻も早い 対応対策 を …!
誰もが そう 考えます。
ところが、
補償問題、生活費の問題 … 仮払い金額支払い時期 についての回答が、
1ヶ月経った今、「これから検討するところです!」 って 有り得ますか!?
当座の資金は 今すぐにも 必要なものですよ!  東電の誠意、早く見せてください!
   今日、金額の提示だけは されたようです!


> で考えて 迅速に行動 しているのは 一般企業 や 市民 ばかり !?
そう思いたくなってしまうほどに、政府の対応も 遅い!
国と東電の間で せめぎ合い も 起きているようです!
   自衛隊など、実際に動いて 町の復興に努めてくださっている多くの方々がいらっしゃいます。
   その間に、政府は 何を しなければいけないのでしょうか!?
   被災された方々が何を待っているのか、何を必要としているのか!?
   1ヶ月も経てば もう被災当時とは異なってきていることも多いと わかるはずです。
     長引いて疲れが出ているであろう方々に 仮設住宅 を …
     補償金? 生活費? 何でもいいから、生活を取り戻すためのお金 を …
   阪神・淡路大震災で得た教訓を生かし、今求められていること、その時に見合った対処法を、
   早急に行ってあげなくてはいけないのではないのか!? 公共のお仕事には それなりの大変さが
   あるのでしょうが、被災された方々のことを第一に考えて動かなければ、 一刻も早く助けたいと思った
   多くの方々の善意も、いつまでも ただ山積みにされ 放置されるだけになってしまいます!


少 しでも協力 し努力 して みんなが繋がろうと している時に、
国の<トップ階級>間では こんな非常時でさえ 協力 し合えない動きがあります!
早急な決断が出来ない! 答弁が分かり難い! 東電共々、出てくる情報 に 釈然としないものを感 じる!
これでは あまりに情けない!

原発から 20キロ圏内の避難指示に続いて、20~30キロ圏内の 屋内退避自主避難 !?
なんだか曖昧で 被災された方々も迷われることでしょう。
さらに今回、30キロ以上離れた一部地域 にも 1ヶ月以内の 計画的避難指示 が出されたようです!
   <計画的> の 計画性が 見えてこない 不明瞭さ!
   早急にやってほしいことは進まず、唐突に告げられる 計画的 という名の 無計画!?
   国民が家族で 国を導く立場にいるのがなら、が どうしたらいいのかと不安や不信を抱くことの
   ないよう、もっと しっかりとした <ケア付きの計画> を提示すべきではないのでしょうか!?


食品に含まれる放射性物質の 暫定基準値 !?
全部ひとまとめにしちゃったような 十把一絡げ的 <出荷制限> や <摂取制限>!
その曖昧さに、生産者も消費者も 振り回されています!
   ある地域の野菜の一部から 国の暫定基準値を超える放射性物質が検出されて以来、
   同県や出荷停止対象外の品目にまで風評被害が広がって、被災地域の商品の売れ行き急激現象が
   起きてしまいました。 安全と認められた農家への支援は 今は少 しずつ広がって来ているようですが、
   さらなる安全を考えて買わない方達のためにも、明確な表示を していただいた上で、
   <遠回りにならない産地との繋がりである こういった支援の輪>に、消費者が両手を広げてゆけたら
   いいなと思います。

買うことでお役に立てるなら 嬉 しいことです!


<地球上に人類が誕生してから どれくらい経つのか> という説も いくつかあるようですが、
知恵を付け 強くもなって生き残ってきたはずの人間が
今は どんどん柔(やわ)になってきているのを 感 じます。
特に 現代日本の若者たち軟弱 だといわれている!
 今こそ <強くならなければいけない時> なのではないか!?
 草食系の優 しさ肉食系の強さ は、
 本来 人間が 両方 持っていなければいけないものなのではないか!?
苦境に立てばスイッチが入って たくましさが目覚める!
現に、若者たちも 今 復興に向けて 一生懸命動いてくれています。 嬉 しいことです!

これは 軟弱 になりつつある日本人たくましく生まれ変わるため試練!?
そんな想いが 頭を過ぎります。
 若いみなさん、どうか お年寄り達の手を取って、 「負けるもんか!」 と 頑張ってください!
    涙を堪え、先を見つめて、 もうすでに歩き出 してた方々も いらっしゃいます!
          「凄いな~!」  「人間は 弱いけど 強いんだな~!」
    だけど …、 どんなに強い人間にだって あんがい弱いところはあるものです。
          だから、繋がっていなきゃいけないんだよね!  
    そのための 努力 と 協力!  自分の出来る範囲で ずっと持続させていきたいものですね!
    だって、負けずに頑張っていらっしゃる方の顔は素敵です! こちらが元気をもらえてしまうほどに …!


災害に対する 支援の手 は 世界各国から集まり、その暖かさには本当に 感謝 しかありません。
しかし その反面、世界の注目は原発にも集まり、
伝達の不正確さによって 酷い誤解が生 じている国まで出てきて、
株価は下がり、<日本のもの> というだけで、まったく関係ないものにまで被害が及んで、
日本そのもの敬遠 されてきているという危機的な状況に陥り始めているようです。
それは同時に、被災企業、日本製品が抜けた穴を狙う諸外国企業にとっては 格好で好都合なことです。
企業復旧 のための資金援助は 早急さが要求されます。
<日本全体に襲いかかる大津波> に 迅速な対処を …!

こんな時には 間違った伝えかたをされないよう、当事国である 日本政府が
世界に向けて しっかりと 正確な情報を発信 しなくてはいけない はずです。
 <支援のお礼> や <協力のお願い> は 心を込めて …
 <現在の状況> の伝達は しっかりと 誤解なく伝わるように …
よく <ピンチ と チャンス は 紙一重!> だと いわれれますが
まさに今が、<頼りない というイメージの強い日本> を 一掃するチャンス にも なり得る時!
もう 被災地の方たちの死活問題だけでは 済まない状況になっているんですから、
若者達のように、迅速且つ積極的に動くことが1番でしょう!

これは 頼りない日本政府たくましく生まれ変わらせるため試練!?
誰もが納得できる きちんとした考えや言葉を持ち、
自他から 指導力、統率力を認められる国になれるよう、
ピンチ を チャンス に 変えなくては …!
     自分の主張だけ通そうとする!  人の話を聞かない!  野次る!
     いざ政権を握った与党は しっかり統率できず、野党は協力できない!
     それでは いい国なんて出来るはずがありません!
     ひとつの良い作品を作り出すには 協力 しあうこと!  学校で習ったことを思い出 しましょうよ!



あらゆる資料から推測すれば、
大地震、そして 大津波が来るかも しれないことは
まったく予想できなかった! とは言えないのではないかと思えます。
現に、1896(明治29)年 と 1933(昭和 8)年 に 大津波は観測されていました。
   特に 明治29年に三陸海岸を襲った津波は、岩手県大船渡市で38メートルを記録 し、
   2万人もの死者を出 したそうです。 (今回は23メートル)
   それから 37年後の昭和 8年には、岩手県宮古市の田老地区で 29メートルを観測!
   だけど その後 78年間も大丈夫だったから ………
        まったく経験のない世代!  すっかり忘れてしまった年代!
   時代の波津波 の記憶 を 薄らげで しまったというのは なんとも皮肉なことです。

波が陸地に到着した時の高さは 初めから38メートルもあったわけではなく、
地形 や 繰り返す波によっても変わっていたようです。
それでも、世界有数の規模を誇る三陸海岸の防波堤でさえ、
10メートル程度の高さでは まったく太刀打ち出来なかった!
そうかといって その倍近い高さの波に対応できる防波堤なんて 作れるんでしょうか!?
かつて この地で 地震を経験 した方々が
「ここより下に家を建てるな!」 と たくさんの 石碑 を残 してくださっていたようです。
被害を受けた当初は みんなが関心を寄せ、警戒も していたのでしょうけれど、
何も起こらない時間の経過と共に 関心も 記憶も 薄れゆき、
やがて 「自分が生きている間には起きないだろう!」 などと 楽観視 するようになり、
「昔 そんなことが起きたら しい!」 などという 知識 で しかなくなって
いつしか <危うさ> を忘れ、<便利さ> を優先させ、
だんだんと海の近くに家を建てるようになっていってしまった といわれています。
   確かに この1ヶ月の間でさえ 緊急メールや速報、地震に、毎回 ドキッと しながらも
   「きっと大丈夫だろう!」 なんて 根拠のない慣れ が出てきてしまっている時があるんですから
   長い年月 何も起きなければ 慢心 してしまう気持ちも わからないではない!
   しかし、ちょっとの揺れでも気づいたり、いつも揺れているように感 じてしまったり …
   <いつまでも抜けない不安感> が嫌だなと思う半面で、矛盾するような <慣れ> が出てくる状況!
   その怖さを、忘れてはいけないのでしょう!

今回のことが教訓となり、今後の復興の際には 高い建物が多くなるのだろうと思いますが、
たとえ 高い建物を建てたとしても、4階より下の階は 浸水したり 壊れたりしてしまう確立が高く、
またしても 想定外のことが起こりうる可能性も否定できない!
災害を二度と繰り返さない街づくり> を 考えていかなければいけないのではないでしょうか!?
   先住者からの警告を守って高台に家を建て、被害を免れた地区も あると聞いています。
   緊急時には 遠くへ逃げるより 高い建物 や 少 しでも高い場所に上ること!
   たとえ 家族が気になっても それぞれが一刻も早く逃げること!
   けっきょくは それが被害を最も少なくすることだと言われても いるそうです。
   頭ではわかっているつもりでも、いざという時に そう出来るのかどうか!? … わかりません!




多くの国の方々から 「日本人は素晴ら しい!」 とお褒めの言葉を いただいていたのに、
人の弱みに付け込んで 空き巣窃盗震災寄付の詐欺 など
人と して有るまじき、最低の人間 が出てきている ということに 憤りを覚えます。
どうか 人の心復興できますように …!





まだまだ 毎日のように 大き目の地震が 何度も起きていて、
まったく安心することが出来ないまま 月日だけが過ぎて行っています。
そんな中、桜が咲いて 「春は巡ってくるよ!」 と 教えてくれている!


被災された方々 には
簡単に 「頑張れ!」 なんて 言えない気が しています。
どうか
生かされた命
大切に してください!


だけど、
復興に向けて動き出 した方々 には
どうか
頑張ってください!
言いたくなります!



                    生きたかったのに 失われてしまった 命が あるんです。
               生き残った命は、その分も受け継いで 一生懸命 生きてあげなきゃいけないという
                                使命 を 背負ったことに なるのよね!


‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥    ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥    ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

生きていたことに感謝 … ということで
1974(昭和49)年 4月発売、
       加藤登紀子 さん の  『生きてりゃいいさ』
                     (作詞/作曲 = 河島英五 さん)

  「生きてりゃいいさ 生きてりゃいいさ そうさ 生きてりゃいいさ
              喜びも悲 しみも 立ちどまりは しない めぐりめぐって行くのさ」
    「手の掌を合わせよう ほら温りが 君の胸に届くだろう」
「きみにありがとう とてもありがとう  もう会えない あの人にありがとう
              まだ見ぬ人に ありがとう  今日まで私(僕)を 支えた情熱にありがとう」

   まずは 生かされた命が 元気になることが 大切です!
     どんな時でも 感謝の気持ちを忘れず、人との触れ合いを大切に …    
                                       (※ 詞の内容から、その時感じたままを 書いています。)
身内を亡くされた方!
ご遺体さえ見つからず、わずかな希望を胸に、今も探し続けていらっしゃる方!
大きな余震がいまだに続く中で 不自由な生活を送っていらっしゃる方!
親類を頼るなど、どこか 安全と思われる地方に移られた方!
まだまだ いろんな方がいらっしゃるのだろうと思います。

気持ちに余裕が出るほどには至っていないかも しれませんが、
もうすでに動き出 した方々も いらっしゃいます。

どんなに嘆いても、もう 震災前には戻れない!
生きていたら その場に留まるか 歩き出す しかない!
いつかは歩き出さなければならないなら …
気持ちの切り替えが必要なんだろうな!
そんな風に考えていた時 頭に浮かんだのが この歌でした!

この曲は 河島英五さんが加藤登紀子さんに書き下ろした楽曲で、
1974(昭和49)年に加藤さんがシングルリリースし、1980(昭和55)年には英五さん自身もシングル発売。
以後、それぞれのスタンダード・ナンバーになっています。

1995(平成7)年 1月17日(火)(16年前) に発生 した <阪神・淡路大震災>!
そこから立ち上がった人々を題材にした 『ありがとう』 という映画の
イメージソング&エンディング曲にもなっていたようですが、
勇気づけられ、前向きになれる歌だと思うので 納得!
(加藤登紀子さん:イメージソング 河島英五さん:エンディング曲)

私が初めに聴いて覚えたのは 加藤さんのほうでしたが、のちに英五さんの歌を聴き、
まったく違う味があることを知りました。

  ♪ 「きみが悲 しみに 心を閉ざ したとき 思い出 してほしい歌がある」
今 この時に聴き返すと 身につまされて 最後には涙が溢れてきてしまいます。
  頑張らなくちゃね~!
どうか 聞いて歌って 前に進まれますように …!
そして私達も 悲 しみや辛さに出会った時、
生きて行くことの手引きとして 心に残 しておきたい歌になればいいなと思います。

        まずは歩き出すこと、出せるようにすること!そして 私達も、ずっと手を差し伸べていること!





イラスト素材の一部は、下記を利用させていただいています。
   「イラスト工房」 「イラスト市場」


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