― 歌・種・記・文 ― (うたたね きぶん)

日々の中で感じたことを書き留めた自分のための雑記帳です。
その時思い出した歌があればそれもひとつの思いとしてご紹介!

駄菓子屋さん話  ― バス通り裏 ―

2010-04-25 | 懐かしいお話
映画 「三丁目の夕日」 でお馴染みの 1958(昭和33)年頃には
どこの町内にも <駄菓子屋>さん と呼ばれるお店の存在がありました。
販売対象者は 小学生くらいまでの子供たち。
そんな子供たちは、幼稚園や学校が終わると カバンを家に置き 小銭を握り締め、
自分たちが欲 しい物を求めて 駄菓子屋さんへと急ぐ … というのが
日課のようになっていたのではないかと思います。

                        

いつ頃出来たものなのか ということについては、 はっきりとは わからないそうですが、
江戸時代、飴を売り歩いていた商人が かざぐるまのような ちょっとしたおもちゃを扱ったり、
客引きのために 芸を見せることも あった ということから、 これが <駄菓子屋>さんの、
そして <チンドン屋>さんの 原型 ではないかとも いわれているようです。
明治・大正時代に入ると、日本の工業化が進み、
それに連れて タバコ屋さんや、文房具屋さんなどの 店舗のかたわらで、
駄菓子を販売するお店も 多くなっていったと いわれています。

私が知っている頃は もう駄菓子屋さんは 単独商売のお店 でしたが、
営業時間は 日の出から日没まで の <子供たちが外で遊ぶ時間> というのが 通常だったようで、
改めて、「そ~だったのね~!」 と感心 し、「そ~だったのか~!」 と納得!

お店を開いていたのは 何故か おばあちゃん ないしは おじいちゃん という場合が多く、
こういったお店の ほとんどは 自宅と繋がっていて、
お店の奥には 障子で区切られ ちょっと高くなっている居間が ありました。
おばあちゃんやおじいちゃんは、普段は そこにいて
子ども達が来ると お店に下りて来て 応対を してくれたものでした。

私が高校生の頃には
規則を破って 授業の合い間や 昼食時間に 菓子パンやお菓子を買いに 抜け出す生徒が続出 し、
問題になったことがあるくらい 高学年にも人気がありましたから、
子ども達の目につきやすい学校の近くなどに存在して 幅広い年齢に愛されていたのではないかと思います。
   私も お昼休みに 友人と一緒に パンを買いに走ったことがありましたが、学校を抜け出すというのは
   内心 かなりの勇気が必要で、今 思い返 してみても、 「この度胸無しの私がよくやれたな~!」、
   「まるで <度胸試し>みたいだったんだろうな~!」 と 苦笑 してしまいます。
   これも友人がいてくれたから できたこと! そんな彼女とは、今も 3代続くお付き合いを しています。


娘たちが まだほんの小さかった頃にも 駄菓子屋さんが一軒と、
パン屋さんを しながら 駄菓子も売っているようなお店が 二軒ほどありました。
けれども 娘たちの成長と共に、
パン屋さんの横で売られているのは きちんと包装されたお菓子ばかりになってゆき、
純粋に 駄菓子だけを売る というお店は 無くなっていって、
そのうちに、
もっと大きい子たちがタムロする、<ゲーセン>を兼ねたようなお店になってしまったところも出てきたりして、
小さい子は入り難く、大人から見ても あまり良い環境には思えなくて、敬遠するようになりました。

早いもので、<三丁目の夕日の頃>から 半世紀が経過 してしまいましたから、
日本全国 どこを探 しても もう あの頃のような駄菓子屋さんは 残っていないことでしょう!

今でも ショッピングモールや 駅ビルや 商店街のアーケードの中などに
<駄菓子屋> と書かれ チェーン店化 しているお店などが あったりは します。
けれども さすがは現代。
衛生面に気を配らないと売れないので 一つ一つ きちんと包装されていて きれいです。
華やかな彩りの品物が た~くさん。 陳列もきれいで、つい寄って見たい気持ちにはなるんですが、
昔の、あの雰囲気 が忘れられないから、<何か違う!>と感 じてしまいます。
   懐かしさはあるんですが、どこか違うと感 じるのは、 <商売>と<人情>の違いで しょうか!?
   それでも 今の子供たちにとっては これが駄菓子屋さんであり、
   ちいさな子どもたちには、やっぱりここが ワクワクする楽 しさを くれるお店なんでしょうね。


昔は 毎日もらう お小遣いや、一回のお手伝いで得たお駄賃で 何かしら買えたくらいの値段でした。
駄菓子だけでなく、おもちゃ や くじなどもあったので、それらを見に行くことも、貯めて買いに行く ことも、
おばあちゃんや おじいちゃんと お話することも 楽 しみのひとつでした。
友達も 誰かしら来ていたりして、あれやこれやと いじりまくっていた子も いたな~ と 思い返せば懐かしい!
   当時は、少ないお小遣いを体温が移るほど握り締めながら 何を買おうかと 迷って触りまくる子供たちを
   嫌な顔もせず 目を細めながら見守ってくれている 暖かさがありましたし、
   むき出しのお菓子の衛生面の問題も、砂埃にまみれになって遊んでいた当時の子どもたちからしたら、
   「そんなことで 病気になるほど 弱っちくないぞ~!」ってところだったことでしょう。
   活気があって セコセコ したところのない、あったかい時代だったな~! などと思い返すと、
   過保護は 弱い人間を作るもと なんじゃないかと思えてきます。




もう駄菓子屋さんから 遠退いてしまっていた頃、
「ビックリマンチョコ」 の話題が ニュースで流れて びっくりしたことがありました。
   「これぞ <ビックリウーマン>だ~!」 って …、つまらないシャレ!
シールが欲 しいために チョコを買いあさり、中味のお菓子は 食べずに 捨ててしまう!?
爆発的な人気となっていたため 売り切れも続出し、そのために お店のハシゴまでする!?
10円持って買いに行くことが嬉しかった 私の<幼かりし頃>とは大違い!
自分の大事なお金の中でやりくりするということが自然と出来ていた時代に育った人間から見たら
「なんて勿体ないことをするんだろう!」 と憤りを覚えるような信じられないお話でした。
   シリーズもの にすると 俄然 集めようとする人が増えるので 人気沸騰となります。
   販売側には嬉しい悲鳴でしょうが、子供たちの お金の使い方や 考え方の変化への影響を
   考えさせられました。

 ※ <ビックリマンチョコ>は、1977年、ロッテから 「どっきりシール」 入り 一個30円 で 発売され、
   1985年発売の 10代目 「悪魔VS天使シール」 から 特に全国的に大流行となりました。
    ・シリーズが進むにつれてキャラクターがパワーアップするというストーリー性とゲーム感満載の魅力。
    ・2ヶ月ごとに変わる <天使><悪魔><お守り> が 組となった 各12種ずつのカードのうち、
     悪魔の4分の1の割合でしか入っていなかったという キラキラ光る天使シールの魅力。
    ・更に 40個入り1箱に 1~2枚しか入っていない レアな <ヘッド> シールの希少価値。
   コレクションしたくなるような魅力は 十分にあったものと思われます。
   その後 50円、80円と値上げされ、現在でも 31代目?くらいになって発売されているようです!



お店の中は コマゴマとした商品で溢れ、
天井から吊り下げられていたり、アルミ蓋の丸いガラス瓶、紙の箱、ガラス板がハマった木の陳列箱 など 
いろいろな物に入れられていて 見て回るだけでも楽 しかったものでした。

  

駄菓子屋さんには どんな物が あったんだろう!?
考えてみたけれど、いざ書こうと思うと 正式名称が わからない物 だらけ!
特に お菓子類などは ???
年代的にも ゴチャマゼになっている気もしますし、
よく考えると 駄菓子屋さんに置いてあったものだったのかがよくわからなくなってしまった物もあります。
それでも 懐かしいので わかる物だけでも 挙げてみたくなりました。

                               
おはじき ・ お手玉 ・ 時計 ・ 糸電話 ・ ちえの輪 ・ 指輪 ・あやとりの紐 ・ ゴム飛びのゴム ・ 縄跳びの縄 ・
金魚すくいセット ・ 万華鏡 ・ キューピー人形 ・ 人形 ・ 空気を入れるビニール人形 ・ 羽子板と羽根 ・ お面 ・
ぬりえ ・ 折り紙 ・ モール ・ おもちゃのお金セット ・ おままごと道具 ・ お財布 ・ 紙せっけん ・ 水中花 ・
リリアン ・ チェーンリング ・ シャボン玉 ・ ロウ石 ・ 犬棒かるた ・ かるた ・ トランプ ・ スライド数字パズル ・
ビー玉 ・ メンコ ・ ベーゴマ ・ コマ ・鉄砲 ・ 銀玉鉄砲 ・ 水鉄砲 ・ 竹筒水鉄砲 ・ パチンコ ・ グライダー ・
しょうのう船 ・ ぽんぽん船 ・ ゴム巻きで飛ばす飛行機 ・ ブーメラン ・ 竹とんぼ ・ ヨーヨー ・ スプリング ・
でんでん太鼓 ・ はしごダルマ ・ マユ玉コロコロ ・ カタカタ ・ ダルマ落し ・ 輪投げ ・ かざぐるま ・ モーラ ・
吹き上げパイプ ・ マジックハンド ・ パンチングピストル ・ けん玉 ・ 南京玉すだれ ・ ぴょんぴょんカエル ・
カラーボール ・ スーパーボール ・ パンチボール ・ ポリバルーン ・ ブーブークッション ・ 吹き上げパイプ ・
ブリキのおもちゃ(金魚ジョーロ・バケツ・アヒル・カエル・車・電車・船・飛行機・ロボットなど) ・ 笑い袋 ・
ぜんまいおもちゃ(車・電車・船・飛行機・ロボットなど) ・ 紙風船 ・ ゴム風船 ・ 水風船 ・ ロケット風船 ・ 
笛 ・ 小鳥の水笛 ・ 巻き鳥笛[吹くと前方が伸びる] ・ ようかいけむり[親指と人差し指で触ると煙が出る] ・
ヘリコプター[竹とんぼのように羽根を飛ばす] ・ カチカチクラッカー[糸で結んだふたつの玉をぶつけ合う] ・
カメレオン棒[振ると伸びてまた戻るカラーテープを巻いたような棒] ・

花火
    ・線香花火 ・ ロケット花火 ・ へび花火 ・ カンシャク玉 ・ スモーク ・ 連発花火 ・ ドラゴン噴出花火
     絵柄がクルクルと回転する花火 など 1個売りからセットまで
く じ
    ・紙の箱に入っている三角くじの ミシン目を開けると、台紙に貼り付けられていたおもちゃが 当たる。
    ・30~40個に区切られた箱の好きなミシン目を押し開けると、中に入っている指輪などが 当たる。
    ・台紙に たくさん貼られている 紙を丸めて作った ちっちゃなクロワッサンのようなくじを引くと、
     別の台紙に貼り付けられていた お人形の付属品や おもちゃなどが 当たる。
おたのしみ袋
    ・天井から吊り下げられた 中身のわからない いくつかの紙の束。
     中には アイドル・野球選手・キャラクターなどのブロマイドやカード、刺青などの移し絵シール、
     ようかいけむり などが入っていて、それぞれの束は選べるが 買って開けないと中身は わからない。
紐くじ
    ・紐を引いて 水槽のようなカラスケースの中に入っているおもちゃを 引き当てる。
      ちょっと ウサンクサク見えてしまうのは 私だけ!?

  

                               
真っ赤な麩菓子 ・ 黒糖麩菓子 ・ うまい棒 ・ 飴(イチゴ飴・水飴・あわ玉・ペロペロキャンディーなど) ・
ビンのラムネ ・ ラムネ ・ 笛ラムネ ・ 金貨チョコ ・ 粉末ジュース ・ ソースせんべい ・ 梅ジャム ・ あんず棒 ・
1個ずつ箱に入った大きな玉ガム ・ 綿ガム ・ 酢イカ ・ 都こんぶ ・ さくら大根 ・ スモモ ・ よっちゃんいか ・
棒きな粉 ・ 串カステラ ・ 型抜き ・ ココアシガレット ・ 棒ゼリー ・ コーラゼリー ・ ムギムギ ・ カルミン ・
アイスキャンディー ・ ホームランバー[棒のヒットの刻印4本、ホームランの刻印1本で もう1本もらえる]

糸引き
    ・束ねられた糸を選んで引くと 大小差のあるイチゴ飴や、お菓子が当たるというものもあった。
きな粉まぶしのあんこ玉
    ・中に ピーナツだか 玉だかが入っていたら もう一回 選べ、当たれば何個でも もらえた。
    ・当たると 大きな物が もらえたものも あったような??
型抜き
    ・小さなピンク色の四角い板状菓子の表面に描かれた 動物などの<型>の周囲を、針など を使って
     割らずに抜き取 れば景品などがもらえるというもの。
     澱粉と砂糖で作られているので食べられはするが、本来 食べるために作られたのではなく、
     作り手には高度な職人技が、遊ぶ側にも高度なテクニックが求められた不思議なお菓子でした。

浅草に住んでいた旧友などは、
お店の一角に もんじゃ焼きを作れるコーナーがあって人気だったと言っていました。
一時期、 お店の端っこに 綿菓子機 が 置いてあったことも ありました。


そんな駄菓子屋さんも、 1980(昭和55)年以降、減少 していってしまいました。
  ・少子化の影響。
  ・子供たちの 遊びや嗜好の変化。
  ・子供自信が 経済的に豊かになった。
  ・コンビニエンスストアの増加と共に、スナック菓子など衛生的な商品が豊富に販売されるようになった。
  ・駄菓子やおもちゃが <程度の低いもの> として 保護者らに嫌われていった。
  ・住居兼用で営む おじいちゃん、おばあちゃんが減少し、後継者不足となった。
原因 には いろいろあったようです。

     ※ 子供時代に慣れ親しみ、残 したいものの代表のように思える 駄菓子屋さん。
       無くなってしまったのは残念だな~というお話でしたが、
       書いていたら ずいぶん時間がかかったわりには まとまらないものになってしまいました!
       なお、写真は 伊香保の 『おもちゃ博物館』 で撮ったものを使用 しています。


                     今はもう <昔のまんま>というのは 無理な時代です!
                 で も、いろいろ眺めて選ぶ楽しさは残してお いてあげた いですね!



      ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥    ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥    ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

3丁目の夕日 … の年には こんな歌が流れていたんですね~!
1958(昭和33)年、
     中原美紗緒、ダーク・ダックス 『バス通り裏』
                   (作詞 = 筒井敬介 さん/作曲 = 服部 正 さん)

「小さな花を まんなかに  おとなりの窓 うちの窓
                     いっしょにひらく 窓ならば  ヤー こんにちはと 手を振って」
    「こんなせまい バス通り裏にも  ぼくらの心が かよいあう」
「小さな花を まんなかに  おとなりの窓 うちの窓
                     むこうがとじた 窓ならば  なぜだろうかと ふりかえる」

   まったくの日常生活を描いたホームドラマ。
     当時は 朝の挨拶から始まって、ご近所を気にかけることが 普通に出来ていた時代でしたが
     今では プライバシーなどの問題もあって こんな<心の交流>が出来ていないことが多くなり、
     そういう心を取り戻すのも難しい時代になってしまいました!
                                       (※ 詞の内容から、その時感じたままを 書いています。)
                               
第1回 <日劇ウエスタンカーニバル>が開催され、<ミスター>が巨人軍に入団 し、
人気少年漫画のドラマ化 「月光仮面」や、2週完結のドラマ 「事件記者」 が放送開始となり、
<スーパーカブ> <スバル360>、<チキンラーメン> <プラッシ->、<フラフープ> などが発売され、
世界初の海底<関門トンネル>が開通 し、東京-大阪間で<特急こだま>が運転を開始。
浅間山が大爆発 し、 現天皇・皇后両陛下のご婚約が発表されて <ミッチーブーム>となり、
一万円札が発行され、 そして、東京タワーが完成 した この年。
NHK総合テレビで4月から生放送が開始された 全1395回(5年間)にも及ぶ ホームドラマがありました。
   ※ 初めは 月曜日から金曜日までの平日 19:15~19:30 に放送されていましたが、
     1960(昭和35)年からは土曜日の同時刻にも放送されるようになったようです。

様々な人が集う場所ということで、美容院の家族を設定した制作側には 道徳的教育番組としての意図が
あったそうですが、視聴者側はホームドラマとして観ていたようでした。
十朱幸代さん、岩下志麻さん、田中邦衛さん、米倉斉加年さん、常田富士男さん、荒木一郎さん、
佐藤英夫さん、宗方勝巳さんといった早々たる面々が出演されていますが、当時はまだ無名に近く、
連日拘束しなくてはならないことから、掛け持ちもさせないよう 有名でない人として選ばれていたそうです。
主題歌は、隔週で脚本を書いていた 筒井啓介氏が作詞を手がけていらっしゃいます。
ドラマは覚えていない私も、歌だけは覚えています。
なお、主題歌を歌っていらっしゃる中原さんはシャンソン歌手で、
人気少女漫画をドラマ化した 『あんみつ姫』で主演を演じている方です。
                (1958.12~1960.10)
            『あんみつ姫』 には憧れました ~! 好きだったものは ちゃんと覚えてるんですね!





イラスト素材の一部は、下記を利用させていただいています。
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ボケ … 考えさせられます!  ― 教会へ行く ―

2010-04-18 | 想い・思い・体験 話
今月6日、母から 「昨日、栄子おばちゃんが亡くなったよ!」 と電話がありました。  
<栄子おばちゃん>は 母の <いとこ> にあたる方です。
ずいぶんご無沙汰 してしまっていましたが、昔は とっても陽気で元気な方でした。
   もう とっくに亡くなられてしまわれた 祖母の妹を 我が家では <横浜のおばあちゃん>と呼んでいて、
   その娘が<栄子おばちゃん>。 親戚の中でも 私は この二人が大好きでした。


以前、法事で集まった時に、
ボケがきてしまって 寝ていることが多くなってね~ …!」 と ご主人から伺って
  動かなくなると よけいにボケてしまって良くないのに …!
  早く知っていれば、〈趣味を持ったほうがいいよ!〉 って言えたのに …!
と心配は していたんです。
近ければ …、 もっと早く知っていれば …、 
カラオケにでも 誘えたのにと思ったら 残念でなりませんでした。
   あんなに元気だった方でも そんな風になってしまう!  ボケって怖いですね!

葬儀に伺って、何十年ぶりかで 娘と息子、 他の <はとこ> たちにも会いました。
私の祖母と横浜のおばあちゃんの 姉妹仲が とても良かったおかげで、
小さい頃には その孫達が集まって よく遊んだもので したが、
今は こんな時でもないと会わなくなって しまいました!

ふくよかな姿しか知らない 栄子おばちゃんは、痩せていて 一瞬 別人のように見えました。
知っている頃の、笑顔の遺影を見たら 泣けてきました。
別れは、悲 しいものですね。
痴呆症のお母さんを、娘のHちゃんが 最後まで 自宅で 見ていました! 
自宅介護 というのは とても大変だというお話はよく耳にしますが、
今回 弟のSちゃんが言っていた言葉に とてもリアルな 重さ を感 じました。
「姉は本当に大変だったと思うけど、よくやってくれました。 だけど 自宅介護って難しい!
 自宅で亡くなった場合、救急車が来て 病院に搬送 し、延命処置をするんですよ。
 もう駄目だなとなって息をひきとるまでの時間、家族は十分過ぎるほど 辛い思いを しているんです。
 そして ある意味 <亡くなったんだ!>と区切りをつけた。 それなのに … 延命治療!?
 見ていたら、「もういいです。母を痛めつけないで下さい!」 って そう言いたくなりました。
 いや~、あれは辛いですよ!」
   延命処置は、病院に入っていれば 今は 危なくなった時点で 必ず行われるものなのだと思います。
   だけど、もう明らかに亡くなられているとわかっても、決まり みたいに 一応するものなんですね~!
   家族の気持ちを確かめることなく …!
   本当に 大変でしたね! お疲れさまでした!


 ※ 告別式は日曜日、火葬場が混んでいて6日間も待たされたということに まず びっくりしました!
   「納めの式」の僧侶の読経が、心に響くだろうかと目を閉じて聞いていたら、何だか詩吟のような
   節を付けて、自分の美声に酔っているような雰囲気に聞こえてきたので、目を開けて見てみると、
   マイクの前で ずっと教本を読んでいた上に 最後には 「♪いろはに~」 と歌いだしたので もうびっくり!
   お焼香が 2回 繰り返し行われたのも 不思議でした。
   火葬炉では たくさんに区切られた両隣りから 声や お骨を骨壷に流し入れる音が聞こえてきて、
   混んでいるのは手前のほうだけだったのが どうにも受け入れられなくて、
   せめて 少し間隔をおいてくれればいいのに … と思わずにはいられませんでした。
   「骨上げ」の際には、係りの人の骨の拾い方が雑で、まだ残っているのに拾うのを止めてしまったのに、
   骨壷の中に納めた最後には、<こんなにしています> というのを強調するかのように
   テーブルの上の灰を 隅から隅まで きれいに集め、その布を こちらに見せてから入れるという演出!
   まったく違う意味で、<凄い>なと思いました!


結婚式のような華やかな場なら ショータイムも良いでしょうし、
故人を 楽しく送ってあげたいという意味でいったら 良いことなのかも しれませんが、
今や こんな所でも <親身 より パフォーマンス>なの!
私には 何だか寂 しく見えてしまいました。
お別れの時に 触れた頬や額は とても冷たかったけれど、    
きれいにお化粧 してもらった栄子おばちゃんは、
6日も経っているのに 今にも起き上がってきそうなほど生き生きと見えました。
けれども …、焼いたら、小さくなってしまいました。
骨壷に入れる際に立ち昇る灰が、天国に昇って行くように見えました。
   栄子おばちゃん! いろいろありがとう! 
   あっちに行ったら 私のおじいちゃんとおばあちゃんに よろしく伝えてね!
   ラビや モグや モモや モンスケや ボビーや ニックや …… みんなにもよろしくね!



                心より ご冥福をお祈り申し上げます。

                         




                                           
最近、                                    
<母が ボケてきているのを感 じる> と、父や妹が言ってきています。
私も、電話で何度も同 じことを言う母にボケを感 じることがあります。
自分にも 天然ボケ以外に ボケてきたなと感 じる点があるくらいなので
私より当たり前に年上の母なら 仕方がないのかも しれませんが、
栄子おばちゃんのことがあったばかりなので いっそう
注意 していかなくてはいけないなと感 じます。

父や妹が心配して 母の通う町医者に相談 したら、
先生は ちょっと母と話を しただけで、「心配いりませんよ!」 とおっしゃったのだそうで、
母が私に、「大丈夫だって言ってるのに 無理やり連れていったのよ!」 と不満を言っていました。
ですが、大病院でさえ 誤診や検査不足 というお話も 山ほど聞いていますから、
先生の診断の100%は信 じず、 安心せずに、疑い深 くも なり過ぎず、
今は大丈夫でも 進行するということも考慮 して
注意だけは していくことが必要なのではないかと思っています。

                                
表面的に見ると、私の両親は 今も 元気印!  
母は ヨガ! 父は ゴルフ
長年に渡って、毎週通い続けています。
                                             
父などは 毎週 早朝 3時半に起きて 茨城のゴルフ場へ …!      
行けば そこで知り合った いつもの仲間 がいるそうですから、
みなさんで集まって一緒に楽 しめること。 それが 健康のもと なのだと思っています。
それにしても毎週、往復5時間以上もかけて通うんですから、そのパワーには驚きます!

そんな父が2ヶ月ほど前、
買物に行こうとしてバイクを外に出す際 転んで あばらの辺りを打ったのだそうで、
それ以後 「痛みが取れない!」 といって 気力を失くしかけたことがあって
「このままだと急にボケるかも しれない!」 と かなり心配 していたんです。
病院では何でもないと言われましたし、時間はかかったものの その後 どうにか復活できたので ひと安心!
ただし 「運転 していて転んだりしたら危ないんだから …!」 と、妹と孫から厳重注意を受けたら しく、
乗らないことにはなっているそうです。
   歳をとると治りが悪いんだから、<骨折>なんてことにならなくてよかったね~! 
… ってこんなことを書いていたら、            
運動のために歩いていた土手で転んで       
右足の小指の下の骨にヒビが入り、松葉杖生活に …!
   せっかく 元気が出て来たところだったのに また逆戻り!
   ガックリこられると こちらまで心配になって 気分が落ちていってしまいそうです。



母のヨガは、
体調を崩 しがちだった私を気遣って、区役所で募集 したヨガ教室 に応募 してくれた母が、
自分の健康も気にかけ、途中から参加 するようになったというものです。
私は子どもが少し大きくなってからは仕事を し始めたので止めてしまいましたが、
母だけは 以後もずっと通い続けています。
   そういえば、先生が気さくで とても良い方だったので、娘達がまだ小さかった頃には
   ふたりにも 可愛い飾りを付けたチャコットのレオタードを着せて 一緒に参加させていましたっけ!



                       
そんなこんなで、         
私より元気な 我が家の じいちゃん・ばあちゃん でしたが、最近ちょっと ボケが気になりだしたお年頃!
何か 頭を使うことを増やしたいという思いから
<カラオケボックスに誘う作戦> を立てているのですが、まだあまり実行には至っていません。

でも、声を出すこと。 歌を思い出すこと。 覚えようとすること。
できれば 立って歌うこと。
カラオケは手軽にできる けっこう良い運動なんです。
喋っていても、普段はそんなに大きな声は出 しません。
ところが カラオケなら 声を出そうとしますよね。
歌は内臓強化に繋がり、
みんなでいることの楽 しさで 気持ちも持ち上がります。
曲を探す。 ナンバーを打つ。 人の歌を聴く。
「知ってる!」 「知らない!」 「良い歌だ!」 … etc
そんな言葉も 頭を使っているから出てきます。

「私が行っているお店に聴きに おいで!」 と言ったところで 来るわけはないのですから    
        気軽に 身内だけで楽 しめる カラオケボックス             
                            良いボケ対策 になる のではないかと思います。

出来ることなら 家族みんなで、スキンシップ を 楽 しめたら いいんですが、
娘たちも大きくなって しまうと それぞれの生活が出来てきて、スケジュール調整 が難 しい!
食事に行くのも大変なら、旅行に行くのなんか 本当に大変なんです。
無理をせずに、 それでも少しの無理なら し合って、一緒にいる時間を 今までより 少し多くとるようにしたい!
それが私の思いです。
   昔は 娘たちも加わって 親子3代 が、それぞれに まったく違う 自分達の世代の歌 を 歌い、
   それを みんなが 退屈 だとも 嫌 だとも 思うことなく聞いていたな~ と 思い返 します。
   それって、とっても素敵で 大事なことだと思うんです。


                              
今の世の中は 何が起きるかわからない! 
歳の順 なんて、「そんなの 関係ね~!」。
神様に呼ばれる順番は 昔よりもっと 順不同 になっています。
四六時中 一緒にいることは出来ません し、
そうなるとまた うっとうしく感 じてしまうことも出てきてしまうかも しれないので
<機会を増やすこと> を 考えて 家族の時間 を大事に していきたいと思います。
   それが負担にならないようにとも考えないと、自分の思いばかりが先走ってしまったり、
   <相手のため>と思ったことが 相手のためではない場合もでてきます。
   何よりも 父や母が 喜んで <したい!> <嬉しい!> と思うことを考えないとネ!
   まだまだ長いと思いたいから、みんなにも無理でない程度で …!


       だけど おじいちゃんの足が もうちょっと良くならないと無理かな!? 
                 今月は お誕生日もあるんだから、良くなったら、いろいろ行こうネ~!


                            <ボケ> が 心配!
                 元気で 楽しく 張りのある生活! 歳をとって来た ら 自分も 回り も 気をつけ ないとね!




      ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥    ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥    ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

今回は 栄子おばちゃんに … ということで
1973(昭和48)年10月25日 発売、
     ペドロ&カプリシャス の  『教会へ行く』
               (作詞 = 阿久悠 さん/作曲 = 都倉俊一 さん)
    
「坂道を教会へ行く 真黒なドレス着て 好きなひとが死んだ朝に たったひとりで」
「しあわせな人たちが行く やすらかな日曜日 公園のあのベンチで 話す人々
                            そんな絵がもうかすんでる 遠い日のことのように」
    「涙が出てとまらないの とても悲 しい」

   昔は 穏やかな日々が続いていたな~と思います。
     みんなが仲良くて、行き来も していて、楽 しかった。
     今は 世の中のせいなのか、なんだか 穏やかという感 じにはならないみたい。
     難 しい病気も増え、難 しいことも増え、
     穏やかに過ごすことのほうが難 しくなってしまいました!
     でも 天国に行ったら、好きなことが出来て また穏やかに暮らせるんで しょうね。
     重荷からも解放されるわけだし、「おばちゃん、幸せに!」 って祈りることにしましょう!
                                       (※ 詞の内容から、その時感じたままを 書いています。)
                               
「ペドロ&カプリシャス」 については 2008年2月にも少し書いています。
1971(昭和46)年に誕生した 「ペドロ&カプリシャス」。
この時ヒットしたのが 『別れの朝』 でした。
初代の前野曜子さんから引き継ぎ、
1973(昭和48)年 高橋まり(高橋真梨子)さんになって すぐにヒットしたのが
『ジョニィへの伝言』、そして 『五番街のマリー』。
この歌は 『五番街のマリー』 のカップリング曲でした。
悲しい歌ですが、私の大好きな歌で、
ソロとなってからの高橋真梨子さんも歌い続けていらっしゃいますし、
この時代を生きて来た方たちには人気の高い曲なのではないかと思います。 
                               
ひとりになって考えたら、いっぱい思い出すことが出てきたり します。
思い出話 を していたら、途切れ途切れの記憶が みんなの力で長く繋がったりすることも あります。
記憶>には 悲 しいことや 辛いことも あるけれど、
思い出>って言えるようになるのは 誰かと過ごした<良い日々>であることが多い!
たとえその時は悲 しくても、ずっと後になったら 少 し違う気持ちで話せたりすることも多くなります。
栄子おばちゃんの 口調や笑い声は こんなに時が過ぎた今でも 鮮明な思い出 として残っています。

                   思い出を ありがとう!  ずっと 忘れませんよ~!





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送別のお話 第二弾  ― ハンリーラ ―

2010-04-10 | 想い・思い・体験 話
昨年の10月、歌仲間が お家の都合で田舎に帰る際、送別会を開いたことがありました。 
その時 一番動いてくれたのが <まめなN氏>だったわけですが、
その彼が 定年退職のため 単身赴任 していた東京から 実家のある茨城に帰らなくてはならなくなりました。
私がN氏と知り合ったのは ちょうど1年前の 4月の第1週目。     
私の知人の歌 を 歌おうとした彼が、「バックサポートをお願いできませんか?」 と
声をかけてくださったのがきっかけでした。
それ以来 徐々に話すようになり、デュエットをするようになり、
ご自分が気に入った歌を紹介してくださったりしたこともあり、
少しずつ親しくさせていただくようになりました。
尊敬とか信頼 とかに対する不信感から 自分は絶対 そうはなりたくないと強く心に思ったものの、 
人が怖くて 引きこもり気味になったり、距離を置くようになったりした時期が長かった私でしたが、
歌というものは 心を柔らかくしてくれるようで、
人の歌を聴く機会が出来ると また癒 しエネルギーを いただけるようになり、自由に歌って心が晴れ、
カラオケのお店で知り合ったみなさんのおかげで 少しずつ元気が出てくるようになりました。
そしてそれに貢献 してくださった方の中でも N氏の存在は けっこう大きかったと思っています。

お店というのは 人の集まり。   
集まる人によって お店の雰囲気は変わります。
ママさんやマスターの人柄の影響も大きいと思います。

私がお店に行くようになったのは   
昔、ある歌手のマネージャーを していら した方から
1曲1曲に 心あるコメントをいただいたことが一番でしたが、
残念ながら 一昨年末、その方が急に亡くなられてしまわれてからも、
人の歌に自主的に耳を傾け、楽 しそうに歌い、実に穏やかに見えるお客さん達の素敵さや、
ママさんや お店の主、そしてみなさんから徐々に声をかけていただけるようになった影響も大きく、
その方が初めに声をかけてくださらなかったら、何度も顔を出 していたとは思えないような気が して、
                   <人との出会いは大切だな~!> 
 
そんな風に感 じさせてくれた このお店を、ずっと大事にしたい、出来るだけ通いたい と思ったからでした。

N氏も、1年ほど前に 他のお店で知り合った方の ミニライブに来て このお店の存在を知り、
別の日に歌いに来て ハマっていったとおっしゃられていましたから、たぶん2~3ヶ月の違い!?
お互いに お店では まだ新人の部類に入りますが、
それでも 今では二人とも 歌仲間に加えていただけるようになりましたし、
N氏などは その<まめさ>で、時々 ママのお手伝いまで していました。

先月の終わり、
愛媛に帰っていた歌仲間のU女史が、N氏が茨城に帰るのに合わせて 久ぶりに上京 してきてくれました。
期間は たったの3日!
つまりは 往復の移動時間を考えたら、まるまる使えるのは たったの1日だけということでした。
その貴重な1日を、昼から夜にかけて 歌仲間が集まって 歓送の思いを込めて 歌って過ごしたんですが、
歌仲間が揃うというのは 本当に良いものですね! またとても楽しい思い出が出来ました。
   最近の私の状況から してみたら、歌った曲数は 1か月分くらいに値するかも しれないくらいでした!


そんなN氏が抜けてしまうのは 淋 しいですが、それは しかたがないこと!  
それでも 根っからの歌好きさん!
「また来るから!」 の言葉には 真実味が いっぱい!

茨城の実家からお店までは、door to door で 2時間半!  
遠いようで近い、近いようで遠い!
そんな この距離を、 「出来れば 月に一度は 通って来たい!」 と おっしゃるN氏。
せっかく知り合えた仲間ですから、
その真面目さを信じて みんなで再訪を待ちながら、
私も出来るだけ通うようにしたい とは 思っています。
だけど、                                       
行けば必ず 席を確保 して待っていてくださったり、ビールを ご馳走 してくださったり、
デュエットも 一番 してきましたし、帰りも途中まで ご一緒!
まるで 保護者先生 のようでしたから、何だか 卒業か成人式 みたいな気分です。


お世話になった感謝の気持ちを込めて …

                                   
         お誕生日も 3月 だそうなので                  送別 には
       大好きだという龍雲さんに引っ掛けて       素朴な感 じの ブリーズドフラワーを …
              メッセージを …


                               

バレンタイン エピソード

         
       歌仲間のみなさんに、 <お店の名前のレンゲチョコ> を差 し上げたところ、大好評!
  そんな中で N氏は、ちょうどいら していた奥様に その日のうちに ひとかじりされてしまったのだそうで、
            ぼやくN氏に、早速、その 記念の写真を送っていただきました。
                         仲良きことは良いこと也!
     このチョコレート、 見つけた時には本当に感動 しました。
                            なんか チョコ に呼ばれた気がしたんです。 不思議!


                               

人とのお付き合いというものは とても難 しい面も持っています。
欽ちゃんのギャグじゃありませんが、  「なんで そ~なるの!?」
   ← 古いですねぇ!
よくわからないことが起きてしまったりすることがあります。
ことわざにだって 二局面があったりするように、
考えると余計にわからなくなる時は 考えるのを一時お休みしたほうがいいのかも しれませんね!


    精神的なことでエネルギーを使うと、変に疲れます!  健康的で一番良いのは やっぱり 歌って疲れることです!



      ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥    ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥    ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

会える日まで待とう … ということで
1985(平成6)年11月 2日発売、
    堀内孝雄&倉橋ルイ子さん による デュエット曲  『ハンリーラ』
                    (作詞 = 岩谷時子(原作:中野良子) さん/作曲 = 堀内孝雄 さん)

「ハンリーラ ハンリーラ 美 しいと言う 言葉だよ」
    「こぼれる星 交わしあえた ほほえみこそ ハンリーラ
           ひとすじの 愛を頼りに 淋しさの 河を渡ろう  ハンリーラ ハンリーラ 現し世の夢」
  「ハンリーラ ハンリーラ 逢える日まで 待とう」

   <現(うつ)し世>とは現世。
     この世ではもう逢うことはできないかも しれない恋人同士の別れの曲なのでしょう。
     歌詞は切ないのに きれいなメロディーだから 美 しく聞こえます。
     信じることや夢を持つことは大事! 信じていれば 奇跡は起きるかも しれない!
     星は磨かないのにきれいです。 そのままで ハンリーラ!
     人の心は 磨かないと駄目かもしれないけれど、いつまでも清くて ハンリーラでありたいですよね。
                                       (※ 詞の内容から、その時感じたままを 書いています。)
                               
堀内さんを知らない方はいらっしゃらないと思いますが、
「倉橋さんはわからない」 とおっしゃる方、
テレビ朝日系列で放送されていた 「欽ちゃんのどこまでやるの!」 は覚えていらっしゃいますか?
放送開始は 1976年(昭和51年)10月6日。 水曜夜9時。
欽ちゃんがお父さん、真野順子さんがお母さん。長男 「見栄晴」。
三つ子の女の子の名前が 「のぞみ」 「かなえ」 「たまえ」 という設定で、お茶の間ドラマを展開していました。
初代は人形だったものが 人に代わり、3代目が 「わらべ」 としてCDまで出すほど話題を呼びました。
その3代目 のぞみの 高部知子さんから 1986年(昭和61年)4月に引き継いだのが 倉橋さんでした。
そして その時のエンディングテーマが この曲。
番組は同年6月に放送500回を迎え、9月24日には終了していますから、ほんの5ヶ月。
インパクト的には薄いかも しれません。

彼女のデビューは 1981(昭和56)年4月5日。21才の時、『ガラスのYesterday』 という曲でした。
同年12月には 『ラストシーンに愛をこめて』 で 第11回東京音楽祭国内大会、審査員特別賞を受賞。
2年後には日本を代表して 「第12回東京音楽祭世界大会」 に出場 し、
4曲目のシングル 『哀しみのバラード』 で 「外国審査員団賞」 を受賞 して、
世界に通用するボーカリストであることを証明。
香港コンサートでブームを巻き起こし、アメリカのジャズシンガーから絶賛されながら、
1984年から8年間、全国各地で1、000回を超える 「草の根コンサート」 ライブを行い、
ファンとの触れ合いを大切にしてきたという方です。
結婚のため1992(平成4)年に引退。 1999(平成11)年4月に復帰。
現在では東京・港区のライブハウス 「南青山 MANDALA(マンダラ)」 で定期的に
ライブを行っていらっしゃるそうです。

21歳の頃から切ないバラードが歌えて 天下一品と言われるほどの実力者!
切ない曲が大好きな私は彼女の歌声は大好きです。
ちょっと見ると日本人ではないような顔立ちでしたし、
伸びのあるきれいな声で歌われたら 男性ならクラクラしちゃうのではないでしょうか!?
楽曲は何曲もあるはずなのに DAMには3曲しか入っていないのが残念です。
                               
この曲はN氏と知り合って1ヶ月目、初めて歌ったデュエットでした。
デュエットにも良い歌はたくさんあるのに、歌える方が少なくて勿体ない気がしてしまいますが、
この歌はひとりでも歌える感 じなので、このきれいなメロディーと <ハンリーラ>の心を忘れないよう
時々歌ってみたいと思っています。
良い歌を たくさん、ありがとうございました。
N氏、そして U女史、 またお会いできる日を 楽しみにしています。

          これからも 良い歌、良い人との出会いが 数多く ありますように…!





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虫が付かずに 美しく、エコ します!  ― 娘たち ―

2010-04-07 | 自然・環境 に関するお話
書くのがノロいのに 同時進行 しているものがあり、その上 体調不良やら何やら いろいろなことが起こって
パソコンに向かって集中できず、ずいぶんと手間取ってしまって、
書き始めた時から比べたら お花も桜も どんどん咲いてきてしまいました! 

                               

まだまだ寒い日が続いたり していますが、季節は春。
小さな庭にも お花が増えてきました。


<レンギョウ>   <あやめ科?>      <クロッカス>  <大紫羅欄花(花大根)>   <桃> 
                                         (オオアラセイ トウ)

    
枯れていたような    <フキ>   <チューリップ>      <水仙>            <こぶし> 
紫陽花にも若葉が …

     
       <ヒヤシンス>           <花カイドウ>         <たんぽぽ>    <花韮>
                                                         (はなにら)           
冬に楽 しませてくれた ピンクの椿は今も健在!     
白とピンクが混ざった品種の桃も まだ咲いています。  <乙女椿>        <桃 「源平」>

名古屋生まれの<すずらん>さんは お目覚めが遅くて、まだこんな感 じですが、
暖かくなってきたことを知らせる あちらこちらで咲き始めたお花達は
見ているだけでも気持ちを明るくさせてくれるようです。

でも、 気をつけなければならないのは  虫!

気づかずにいると 害虫 と称される虫が付いてしまって 葉っぱがボロボロになってしまいます。
虫達は 目を凝ら して見ても わからないほど 目立たずに忍び寄り、
断わりもなく、勝手に、大事にしている草花を 無銭飲食!
「酷い奴だ!」 と思ってはみるものの、
たとえ 毛虫でも 生まれてしまったものを殺すというのは あまり良い気分は しないので
そうならないための 事前対策として そろそろ 木酢液(もくさくえき)を 撒きたいと思っています。

木酢液 とは
80~120度の窯で ナラなどの自然木を炭焼きした時に
比較的初期段階で出てくる を ステンレスなど耐酸性材質の煙突で冷やし、
採れた水滴 を冷暗所で半年ほど寝かせたあと精製 したもの。
主成分は<酢酸>で、ポリフェノールなど 200種類ほどの有機化合物成分を含み、
肥料でも農薬でもない 純天然素材 だけで出来ていて、
一般的には数百倍から2千倍に薄めて使用することが多いようです。
   濃すぎても薄すぎても、効果が弱くなるそうなので いい加減 じゃ駄目みたい!

効果は意外にも多く、
  ・植物を活性化させるホルモンの役割をする成分や、植物に必要な有機酸類、フェノール類を多く含む。
  ・土の中の有用微生物を増殖させ、土をふくよかにするなど 土壌の改良。
  ・根の 水分や肥料吸収、張りを助け、健康に保つ働きがあり、それによって 植物の成長を活発化させる。
  ・堆肥(たいひ)の消臭。
  ・殺菌作用が強く、虫や細菌、カビを殺す働き。
  ・病害虫の発生を抑えるだけでなく、花壇を荒らす小動物まで寄せ付けなくする。


木酢液を使い始めたのは                             
以前、友人に <スミレ>と<ミント>をいただいた頃に、
「使ってごらん!」 と分けていただいたのが きっかけでした。
薄めて大事に使っていた この液の臭いはあんがい鼻に付き、
こちらまで 燻されている気が してしまいます。
   燻製なら 燻されることによって薫りがついて 良いものが出来たりするので しょうが、
   小さくて変な虫たちが 寄り付かなくなる気持ちは わかる気が します。


だけど、
自分がこんなに臭っているのに 消臭効果があるなんて、なんか変な気が します。
この臭い自体は 嫌いではないのだけれど、それでも <香り> と呼べるものではないから
四六時中付いて回られたら … やっぱり嫌かも しれません。
   臭いって あんがい気になるものですよね。
   だけど、癖になったりすることもありますからね。 実際にはわかりません!
   だだ、虫の気持ちはわかります … とも言えるのかどうかは 別として、
   <変な虫> が付いたら、あるいは 付かないように って、なんか 親が娘に言いそうな言葉ですよね。
   特に父親の心情は そんなものなんじゃないのでしょうか!
   そんな父親も、昔は言われたほうだったりするのかも しれませんけれどね!

いずれにしても、  庭の草花は 娘です!             
              追い払われる前に、虫くん くっ付かないでくださいね!



                               
ところで、
以前は農業や家庭菜園、ガーデニングといった分野での使用が多かった この木酢液が、
木炭の効果などの影響から かなり注目されてきています。
  消臭効果 があるため、生ゴミやトイレ、ペットの臭いの消臭などに利用。(50~200倍に希釈)
  ・殺菌作用 が強いため、トイレなどの他 床掃除にも利用。
  ・水周りなどの カビ予防
  ・洗濯物の汚れ落ち がよい。
  ・病原性大腸菌0-157・サルモネラ菌・腸炎ビブリオ菌など、病原菌の防疫対策 にも効果。
  ・洗顔 や、風邪などでのどが痛い時、水に数滴たらして うがい に利用。
  ・水で薄めて鼻に塗ると、花粉症 にも効果。
  ・水虫。(原液~10倍に希釈)
  ・虫さされ
  ・シロアリ 駆除。
  ・金魚などの 水槽 に利用。
  ・切り花 にも効果。


                               
木酢液を 入浴剤 として お風呂に入れると (お湯の量により、キャップ2~5杯)
  ・お肌がしっとりと潤って 美肌 になる。
  ・殺菌・消毒効果 により、水虫やアトピーなどの お肌のトラブルを緩和
  ・お湯がなめらかになって 乾燥肌にもよい
  ・お湯が毛穴の奥まで浸透して からだが温まり、湯上り後も ポカポカ。


残り湯は そのまま流しても 下水や河川、海がきれいになるといわれ、
いろいろ利用することもできるため、
環境に配慮 し、地球に優 しく、自然に帰せる、
                        まさに、 エコ になるんですって!
                                    (虫達には 全然 優 しくないですけれど …!)

したがって、木酢液を お風呂に入れ、入浴後の残り湯を利用すれば、
   自分にも 自然にも 優 しくきれい になる ということで、それって 一石何鳥!?

<お風呂の残り湯の利用法> としては、重複 しますが
  洗濯の際 使う …… 洗濯物の汚れ落ちがよい
  ・庭 に撒 く ………… 害虫忌避、土壌改良、植物が育ち、花がいきいき、堆肥の消臭
  ・室内の消臭 ……… 生ゴミ、トイレ、流しや洗面台などの排水溝、ペット臭
  ・拭き掃除 ………… カビ、雑菌の予防と除去 (床、玄関、靴箱、水周りの壁など)



                               
けれども
近年、購入時には注意しなければならないことも出てきたようです。
  原木が不明 なケース。
     世界各地から輸入されていることから、クス、アセビなど 人畜に有害である物が
     含まれている可能性も否定できない。
  ・建築廃材使用 のケース。
     塗料、防虫剤、金属などが混じっている可能性がある。
  ・高温(炭窯内温度が425℃(排煙口で150℃)以上)採取 のケース。
     発ガン性物質が検出される可能性がある。
  ・容器、採取装置に問題 があるケース。
     木酢液に接触する部分に 非耐酸資材を使用すると、鉄などの含有金属が
     溶出するおそれがある。


木酢液を選ぶ際の注意点としては、
  黄褐色 または、淡赤褐色透明 なもの。
  ・一般的な利用には pHが3前後 のもの。
  ・不快臭がないもの。
    (食酢のような刺激臭の強いものは、氷酢酸などを混入してpHを調整した模造品の可能性がある。)
  ・薄めた木酢液は 品質劣化も考えられるので、原液 のものを選ぶ。
  ・保管は、日光の当たらない冷暗所 に静置。

日本炭窯木酢液協会で認証された <認証シール>のあるものは安心だそうです。  

                               木酢液
                       虫たちには 恐るべし! 効力の多さや 大きさ も 恐るべし!



      ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥    ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥    ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

花は娘のようなもの … ということで
1979(昭和52)年 9月 1日発売、
        山口百恵 さん の  『娘たち』
          (作詞 = 阿木燿子 さん / 作曲 = 宇崎竜童 さん)

「甘い香りに誘われて 河のせせらぎの中を 娘たちが渡ってゆく 今日も一人一人一人」
「鏡の中を通ったら 二度と無邪気な日々には 戻れないと知っているのに 今日も一人一人一人」
  「濡れたドレスは重くなり 月の雫のビーナス  愛を大事に籠に入れ 頭にのせたビーナス」

   花たちは春になると咲き、そして散ってゆきます。 
     人知れず咲いて 散ってゆく花もあることでしょう。
     それでも花たちは春に恋 して咲くんですよね。
     毎日、「きれいだよ!」 ってささやきながら、すべてを ちゃんと 見守っていてあげたい!
     人も同 じです。  誰かを好きになると 相手を思いやる心が育ち 優 しくなります。
     決して良い時ばかりではないけれど、娘たちも、息子たちも、恋を して 優 しくなれ~!
                                       (※ 詞の内容から、その時感じたままを 書いています。)
                              
私にも大好きな歌手が何人かいます。
百恵さんも 堂々とその中に入るおひとりです。
この曲は 『しなやかに歌って』 のカップリングとして発売された曲で、
その1ヶ月半ほど後に 彼女は三浦友和さんを恋人と発表 し、
そして1年後の10月5日、日本武道館でのファイナルコンサートを行いました。
のちに松田聖子さんと比較されることが多かった <ステージ上にマイクを置いていったシーン> は
今でも思い出せるほど感動的なものでした。
いろいろな女性を見せてくれました彼女を もっともっと見てみたかったけれど、それは叶わぬこと。
また戻ってきてほしいと願い、その後も 待ち望みながら、復活はないだろうなと感 じても いた!
それでも 彼女の歌声と曲は残りました。
『しなやかに歌って』 は 27枚目のシングル曲で、
今でも歌われることは多いのではないかと思われますが、
カップリングだったこの曲は 明るい歌ではないですし、目立つ歌でもないので
知らない、忘れた、そんな方も多いのかも しれません。
ちょっとアンニュイな感 じがして 私は好きなんですが、
けっこう難 しいのかもしれない独特の雰囲気を持った曲なので
たまに歌うと、途中の小刻みな揺れのような音程や 最後の間の取り方で先走りそうな不安から
緊張感をもつ歌でもあります。

  ※ なお、百恵さんがステージ上に置いて来たマイクの行方は、小樽市にある 『石原裕次郎記念館』。
    友和さんが惚れ込んだ渡さんの計らいによるものと、一時はずいぶん話題になりました。


                             百恵さんは
       いつもしっかりと自分を見つめることが出来たから 変なも付かずに 素敵な<>が 止まったのね~!






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