さて、今はまさにその時と同じ「破壊のための破壊衝動」が、まるで重低音のように人々の心に食い込み支配しようとしている。しかもそれは「正義」の名を借りた「世直し」への衝動だ。本能に最も近い感情は恐怖、ついで怒りだが、それを制御できるのは知性と理性。だからそれが弱い人間から狂っていく
だからこそ今を生きる私達が心しなくてはならないのは、感情に引きずられず、粛々と日々を過ごし、学び、考えることなのだ。怒りにまかせて喚く存在は、今は何を言っても聞かないだろうから無視してもいい。そして自らもつい拳に力が入りがちということを、常に意識し続けなくてはならんのだと思う。
…ふー、まあ私も正直、満月ってこともあってむかっ腹が止まらないんだが、怒りというのは伝染するんだよね。だからあのデモとか、あまり見ないほうがいいと思うんだよ。情報として入手し、その内容を精査し、指摘し続けるぐらいで十分じゃないかなと。
無知無能な人間は、暴力行為と罵倒とデマ拡散と揚げ足取りしか出来ない。ただ、破壊するにはそれで十分だから、本当に厄介だよね。
しかし彼らにまかせていたら、文化大革命と同じく「破壊された大地」しか残らない。そこから再構築するのは大変だし、もう70年前の繰り返しはごめんだ。
自分たちに出来ることは何なのだろう?と考えたら、ただ、冷静になって考え、目の前の人に静かに伝え、共感してもらう事からじゃないかな、と思ってる。
破壊分子は、今の自分に対して非常に不満を持っているケースが多いが、その多くは自分の選択の結果なだけであって、それを認めようとしないから始末が悪い。原因を外部に求め、それを貶め攻撃して相対的に自分を高めようとする。しかし根本から筋違いなため、全く見当違いの攻撃で自他を破壊するのみ。
「左派の言う“成功体験”や“模範の歴史”って、なぜ60年、70年安保なんですか? 板付や砂川は勝利してるし三池もその規模は圧倒的で…」「小川さん、あれはお百姓さんや労働者が主体の運動で、インテリ学生なんかは脇だったから、左派主流インテリには面白くないのね」と聞きロクデもねえなと。
玉井先生がお書きの事と繋がるが、教育というのは方法を教える事であって、打つ手がなくてもがむしゃらにがんばってみろとか、結果がどうであれ一生懸命やればいい、といった精神主義は、教育という行為そのものの全否定になっている事をしっかり認識すべきと思う。方法がないとは、つまり無力という事
「これだけの人数がデモに参加しています」とか「こんなにたくさんの署名が集まってます」とか数で正当性を主張しようとするのはどうなんだろう。数の論理で勝負したら「いや、俺もっとたくさんの票とってるし」と言われてお終いなのでは。
私なりの説明。一つ。大衆運動のあり方として、ポーツマス講和反対以降の、「代案なき単純な反対」がインプリントされている。だがキング牧師やガンジーのことは誰でも知ってるわけだし、別の形の大衆運動も現にあるわけなので、この説明は弱い。
二つ。60年安保の失敗を「乗り超える」ことが目的になっている。世代は交代したが、運動の担い手が阪神ファンの如くに記憶を共有している。安保闘争のやり直しと失敗した過去の「克服」が目的なので、他のやり方で成功しても、意味がない。岸総理の姿が、孫である安倍総理に二重写しになっている。
三つ。いまの岸田秀の精神分析みたいな説明とも関連するが、「成功」がそもそも目的になってない。別の言い方をすると、目標が人によってまちまちで、中には、大衆運動そのものを目標にする人、法案の成否より安倍総理の退陣を目標にする人もいる。まともな安保法制を確立するという要素が少ない。
あの法案より立派な…となると、憲法改正しかないでしょうね。それが出来ないから、駄々をこねているのではないかと思ってます。
デモってのは成すためではなく、知らしめるための第一歩なのよね
ここからが本当なら茨の道のはず
想田さんのは満足でとまってるんだよなぁ twitter.com/jpn1_rok0/stat…
Assad政権は、全ての銀行預金について“正当な理由がない”引き出しを禁じる。
かなりアカン状態に陥っているものと推測されます。
syrianef.org/En/2015/08/the…
武器もなく弾薬もなく食糧もなく救援も補給も届く当てがない状況で降伏できず、病気をなおせない兵士に「手りゅう弾で自爆するのが最後の(祖国、あるいは陛下への)奉公だ」って上官が口にするの、「地獄」の一言で片づけていい話じゃないし、今現在の日本にも当てはまる何かがある気がするのです。
「なんちゃってな革命に挫折し就職して豊かな暮らしを享受したけど、やっぱり死ぬまでに革命をみたい」という団塊サヨクたちの妄執による擬似イベントに付き合わされるシールズの若い衆もいい面の皮である。