私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。吉備の国の中心地でもある吉備津からその歴史などをお届けします

鵜野皇女の確執(壬申の乱後に・・・・・・)

2017-03-15 10:31:09 | 日記

 大友と大海人との「壬申の乱」後、再び、都が奈良に移り、大海人皇子は「天武天皇」になられます。天武の妃は、天智の女「鵜野皇女」と、その姉「大田皇女」の姉妹です。この姉妹にはそれぞれ「草壁」と「大津」という皇子がおります。年齢は「草壁」が一つ上ですから、此の人が皇太子になります。そうこうしているうちに姉の大田皇女がいなくなります。しかしながら、才能豊かで、人望も熱かった、弟である大津皇子こそを、「此の人が次期天皇に」、と思う家臣も多かったのです。この大津皇子の性格を「懐風藻」には

                   ’状貌魁梧、器字峻遠”

 <ジョウボウ カイゴ キウ シュンエン>と。「姿、容ちが立派で、才能が非常に優れ心がとても広い」とその人となりを称賛しております。そして  更に、

     「博覧にして能く文を属<ツヅ>る」、「壮<サカリ>に及びて武を好み」「節を下して士を礼<イヤ>ぶ」

な人であったとも書いてあります。常識が豊かで、力強く武芸を嗜み、さらに礼節を重んじて武士道の精神が生まれながらに備わっていると。それに反して、皇太子「草壁」は身体虚弱で病気がちだったと言われていたのです。
 そうすると、どうしても、「次期天皇には・・・・」と言う思いが多くの人から湧きあがってくるのは当然でしょう。しかし、次期の天皇と決められている皇太子「草壁皇子」の母は、此の人々から、このように絶対の称賛を得て、褒め称えられている「大津皇子」、自分の姉の子でしょうが、面白い訳がありません。

 さて、此の母「鵜野皇女」は、我が息子「草壁」を皇位継承者として、確固たるその位置を保持させるためには何をなすべきかと考えるのは当り前のことのように思えるのですがどうでしょう

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