私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。吉備の国の中心地でもある吉備津からその歴史などをお届けします

吉備の国の最高の美女

2016-10-12 09:52:03 | 日記

 雄略天皇の時代です。まだ、「日本」とは呼ばれていなかった「倭の国」の話です。九州、中国、近畿などの各地の大王たちによる連合政権の時代です。480年頃のお話です。吉備からも、当然、政権の一翼を担うべくその大王がその中で重要な役割を果たしていたのです。それが吉備上道臣田狭<タサ>です。

 ある時その田狭は自分の妻の美しさを自慢します。「我が国一の、誰が何と言おうと、美人だ」と仲間たちとの雑談の時にです。それを聞いた倭の王「雄略」は、「これは好い事を聞いた。自分は此の国の大王だ。その王が日本一の美女を妃にするのが当然である」と、密かに、吉備の王の妻を取り上げて自分の妃にしようと計略を練り、ついに取り上げてしまいます。それが「稚媛」なのです。

 どのような策略を施したかは、もう一カ月も前ですが、このブログに書いたのでここでは省略します。

 さて、その後多くの経緯を経て、この雄略は倭の国の大王になり、自分の命令が国の隅々までいきわたるような中央集権体制の敷くのです。中国の宋書という歴史書には「武」と云う名で出ております。ちなみに、宋書に上げられている当時の倭の大王名は

                 ”讃・珍・済・興・武”

 の所謂、「倭の五王」です。その内の「武」が雄略なのです。

 この雄略について、もう少し、詳しく知りたいので、「また・また・また・また」と、何回でも「また」を繰り返し、「お前の股は どねえに なとんでえ」と云われるかもしれませんが、「稚媛」の事はもう少し後に書きますのでお待ちください。

 

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