私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。吉備の国の中心地でもある吉備津からその歴史などをお届けします

“稲種”とは

2017-06-18 07:20:05 | 日記

 「二目から稲種」と有りますが、栗・小豆・麦・大豆は、そのままの物が大宜津比売神<オホゲツヒメノカミ>の死体の耳などからから生え出ますが、稲だけは「種」として生まれます。 「種」とは何でしょうかね。?????稲の種ですから、まだ、直ぐには食糧とは成りえません。田植えをして、半年の間、人の手によって、「育てなくては」食料となる「米」はできません。それが自然に出来た物、生えていた物を取っていた狩猟漁労の縄文時代とは異なります。それまでに経験したことがない「農耕」という生産活動が始まるのです。弥生時代の夜明けなのです。それを始めるきっかけを作ったのが「スサノヲ」なのです。その違いを強調するための手段として「種」という言葉をわざわざこの場合に使ったのです。それも耳や鼻などからではなく、物を見るための一番大切な両眼から生まれたのです。その辺りの文章構成も異常なほどまでにも工夫が凝らされているように思えるのですが。誠に「お上手だ」だと思わず感嘆の声を上げたくなります。古事記を読んでいくとこんな場面にたびたび遭遇します。誠に名著の名にふさわしい本です。

 この「稲種」が、以後の日本における人々の基本的生活様色を激変させる要因になるのです。「身分」「貧富」「ムラ・クニ」「戦争」等という、それまでにはなかった新しい社会組織やそれを起因とした問題構造が生まれます。「縄文」から「弥生」への変革です。その時代を「2500年位前だ」と、歴史家は想定しております。

 なお、このスサノウによって殺された「大宜津比売神」の目から生まれた「稲種」を貰い受けて、最初に、日本で田植えをした神様が、ということは、我が国の農耕生活を始めた最初の神が、」古事記では「神産巣日神<カミヌスビノカミ>」だとしております。御存じこの神様は高天原に於いて初めて生まれた三柱の神様の内の一人です。

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