私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。吉備の国の中心地でもある吉備津からその歴史などをお届けします

「又」が4度目の横道です。倭国の様子

2016-10-13 09:26:15 | 日記

 「<又>が4つありゃあ、そりゃあ<叕>という字になるんじゃ。ツヅルと読むんじゃ。何でもお前の思うようにツヅリャアえんじゃ」と云う訳ではないのですが、宋書にかかれている「倭の五王」について少々書いてみます。「宋」と云うのはあの栄西が禅宗を日本に持ち帰ったあの「宋」ではありません、南北朝時代のの「宋」です。(420年ごろ)

 その頃の日本は「倭」国と呼ばれていました。宋書の「倭国伝」に出ています。その200年ほど前の[魏志倭人伝」にある女王「卑弥呼」の記述とは違って、実録性の高い記述が見られます。

 ちなみに[魏志倭人伝」の書き出しには、

   “倭人在帯方東南大海之中依山鳥為国邑旧百国漢時有朝見者今使訳所通三十国”

 それが宋書には

  ”倭國在高驪東南大海中世修貢職高祖永初二年倭讚萬里修貢遠誠宜甄可賜除授”

 ここにある「宋の永初二年」というのは421年です。国王高祖武帝は云います。

 『倭国の王「讃」が万里はるばると貢物を持ってきた。そのような遠いところから貢物を持ってくると言うことは顕彰に値すろことだ。よって、称号を与えなさい』

 と。これが宋書「倭国伝」の書き出しです。

 

 

 

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 吉備の国の最高の美女 | トップ | 「讃<サン>」とは、宋の国... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL