私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。吉備の国の中心地でもある吉備津からその歴史などをお届けします

“食物乞”

2017-06-14 13:26:55 | 日記

 高天原からスサノヲは「神夜良比<カミヤラヒ>」追放されて”海原<ウナハラ>に落ち延びて行きます。腹がすいたので、<オホゲツヒメノカミ>に

                            “食物乞”

 これを、<タベモノ>ではなく、特別に、<オシモノ ヲ コイタマイキ>>と読ましております。現代とは違っていて、上古の日本では天皇など貴人が何かものを食するを「食<オ>」と言っていたのです。

 オホゲツヒメは訪ねて来てくれたスサノヲに対してどのような態度、感情を持って接したかは書かれておりません。しかし、進んで歓迎するような素振りで<オシモノ>を出して来たのではありません。スサノヲに出した<オシモノ>はオホゲツヒメの「鼻」・「口」・「尻」から取り出した食物<オシモノ>だったのです。
 普通なら、「腹いっぱいになりました。ありがとうございました。」で済んでいたのでしょうが。そういかないのが、この物語の面白さです。余程、腹が空いていたのでしょうか、スサノヲは「早く早く」と催促をするかのように、オホゲツヒメが食べ物を用意する様子を見てしまったのです。それを次のように書いております。

                      “立伺其態<ソノシワザヲ タチウカガヒテ>”

 宣長は「立伺」とは「隠立て、物の隙などより窺ひ観たまうなり」と説明していますが、どうしてスサノヲが、オホゲツヒメが作る物を、こっそり見る必要があったのでしょうか。「自分の台所は他人には絶対に見せない。自分だけの城だ」等と云う、強い「他人禁制」の思いが、上古から日本の主婦には強っかたのかもしれません。だから隠そうとしたのかもしれませんね。すると、余計に、スサノヲは、空腹ということもあって、「どんなご御馳走かな」と強い願望も手伝って、こっそりと見てしまったのでしょう???

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