私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

もう一度、9月7日のブログを

2016-10-10 10:34:09 | 日記

   今日で最後になりました中国の美女「西施」から出発して、果ては、芭蕉の「奥の細道」にまで到達したブログでしたが、その書き出しはどうだったのかもう一度と思って出してみました。お暇なら目を通して見てください。

 

 吉備の王「田狭」の行末は不明ですが、その元妻の「稚媛」については、雄略天皇の死後、その消息が明記してありますが、今日は、また、この稚媛から外れて雑談に入ります。と云うのは、昨日の新聞を読んでおりますと、安倍さんが中国の杭州で開かれた「G20」に出席して、習近平氏と会談したと有ります。さて、その「杭州」とは何処にと、地図で調べてみました。揚子江の河口近くの都市で、上海に近く、蘇州の隣の市だと出ていました。

 この「蘇州」と聞くと、すぐ思い出すのが、あの「山口淑子」こと「李香蘭」の「蘇州夜曲」です。私が、まだ、小学生の時分だったと思いますが、仕切りにラジオからこの曲が流れ出ていて、覚えようとも思ってはなかったのですが、自然に耳に入り、今では、彼女の歌声と共に、その歌詞までもが、不思議ですが、自然と頭に浮かんできます。

                 「水の蘇州の 花散る春を 惜しくか柳の すすり泣く」
 や一番最後にある
                 「鐘が鳴ります 舘山寺」
 です。

 また、最近になって、偶然ですが、私の少年時代の思い出の、「蘇州夜曲」を念頭において画いたものと思われる絵を手に入れることができました。見てください。私は大変な名画だと思っているのですが??????
 なお、絵の中のお寺が、まさに、「鐘が鳴ります寒山寺」です。音が絵の中から飛び出しそうですよね????

                   

 


“汐越や鶴はぎぬれて・・・”の句は

2016-10-10 07:35:18 | 日記

                 “象潟や 雨に西施が ねぶの花” 

 の句と共に、いわずもがなですが、芭蕉がこの地で詠んだ句として、奥の細道には

                 “汐越や 鶴はぎぬれて 海涼し”

 の句が入っております。
 此の句についての菅菰庵梨一の解説を最後に、安部さんの中国訪問の記事を目にして書き出したわたしのブログも、約一カ月の間、何だとかんだとろくでもない事を書き綴ってまいりましたが、又、元の鞘に収めたいと思います。

 さて、この句ですが、梨一は、芭蕉は初めに

                 “腰だけや”

 の5文字を入れて作っていたと解説しております。この「腰だけ」と云うのは、

                 “しほこし川のうちに、「腰だけ」と云浅瀬あり。そこに鶴が下り居たるを見申されての即興也と伝ふ。”

 と。
 このような説明に出会えて、初めて、「汐越川」の[腰だけ]と云われている浅瀬で、膝までも水につかりながら、何かをついばんでいる鶴に、その先にある雄大な日本海からそよと吹き来る涼しげな風に、羽でしょうか、ゆらゆらと揺れうごいて、その風と水と鶴を織りまぜた景色の中に、何とも云われぬ旅の哀愁を見いだして、即興的に作られたのではないかと、いたって俳諧にも無学の私にまで、芭蕉のその場の雰囲気と云うか、その心の内が分かるように感じられて仕方ありません。

 こんな解説に出逢って初めて、この句の持つ意味の深さが読みとれるように思われました。それまではついも思わなかったのですが、これも、また、名句ですね。