高原の日記

冬の厳しい寒さの中で、自然環境と人間関係をテーマにして、様々な出来事を記録するノンフィクションな週間日記。

連絡先の一覧

2005年06月04日 23時20分12秒 | Weblog
「少女集団暴行」と「誹謗中傷の組織的犯罪グループ」に関する卑劣な犯罪組織の、集団立件を目的にした情報提供を御願いしています。
連絡先はkibikibi999@ezweb.ne.jpか、このblogのコメントに書き込みをお願い致します。尚この記事を書いている小桃は、読者から寄せられたコメントの中にある、誹謗中傷の被害に遭っているK氏本人です。


耳の聴こえない少女集団暴行事件5

2005年06月04日 19時41分19秒 | Weblog
 光りの閉ざされた真っ暗で、凍える様な寒い部屋の中で、離れた場所からポタポタと、水の漏れる音が聞こえてきました。私は体の激しい痛みのせいで、コンクリートの硬くて冷たい床から、立ち上がる事さえ出来ませんでした。それでも何回か立とうと試みましたが、執拗に何度も暴行され、全身ボロの雑巾みたいになった体では、力が抜けて膝から崩れ堕ちました。ひんやりとする床に顔を付けて、押さえようのない悔しさや怒りで、勝手に涙が頬を溢れ落ちました。大きく腫れ上がった自分の顔を、とめどなく自然に流れる涙を、まだ血の着いた手で何回も擦りました。その時に僅かに扉の隙間から、白い明かりが射しているのが見えて、私はイモ虫の様に床を少しずつはいながら、目の前の扉に近付いて行きました。しかし途中で全く動けなくなり、その場でうつ伏せの状態のままで、ふと瞬間的にあの子の事を、前が霞んだ目を閉じてぼんやり考えていました。
 彼女はよく学校の二階の窓から、遠い向こうの景色を眺めて、心で泣いている様な悲しい目をしていました。私が話し掛けるとにこにこ笑って、無理した様子で明るく装っていましたが、そんなあの子の姿が心配でなりませんでした。しかし私が「どうかしたの。」「何かあったの。」と何度聞いても、彼女は首を横に振って静かに黙ったまま、その理由を何も教えてくれませんでした。けれど私に心配を掛けない様にする、あの子の気持ちが痛いほど伝わって来て、その優しさに彼女の澄みきった心の中が、映し出されている様に感じていました。
 今こうして思うとあの時から、もうあの子は施設の職員から度重なる、性的嫌がらせを受けていたのかも知れません。しかし私の前ではいつも笑顔で、わざとおどけて明るい素振りでしたが、その苦しい程に切ない素顔の下は、哀しみの涙に濡れていたのかも知れません。そして彼女の遠くを見つめる様な、何故か儚く何処かへ消えて行きそうな、あの白い霧の掛った様な記憶の時が、永遠に私の中から薄れ行く事などありません。
 彼女と一緒に過ごした時間の中で、私が忘れられない出来事の一つは、それは私が昔の思い出に浸っていた時に、あの子が側にそっと寄って来てくれた事でした。あの時私は、亡くなった母との懐かしい記憶の中で、子供の頃に泣き虫だった自分を抱きしめて、よく頭を撫でてくれた事を思い出していました。あんなに優しく温かく包みこむ様に、少しわんぱくで小学校の頃は成績が良くても、たまに担任の先生に叱られていた自分を、無償の愛を注いで見守ってくれた母も、私が十六歳の時に突然病気で倒れて、それから入退院を繰り返して逝ってしまいました。そんな辛い出来事を思い出して、たぶん悲しい表情だった自分の側で、彼女はそっと優しく肩に手を置いて、何を言うでもなくただ温もりのある眼差しで、ずっと寄り添っていてくれました。あの子と私の間には、言葉を交さなくても互いに通じ合う、何か不思議なものがありました。けれどそれだけに、彼女自身の苦しみや悲しみ、それら全ての心の痛みが私の中に、一人ではとても耐え切れない程の、今にも心が崩壊してしまいそうな重荷に、十字架を背負っている様に感じとれるのでした。


耳の聴こえない少女集団暴行事件4

2005年05月29日 02時25分09秒 | Weblog
 暗闇の中で突然材木の様な物で何度も殴られ、額から脈を打つ様に熱い何かが流れ出ました。廊下にポトポトと滴り落ちる液体を見て、僅かな非常灯の薄明かりの中で、自分の顔を触ったその手を見て初めて、赤い鮮血がドクドクと服や白い壁も真っ赤に染めながら、床一面に流れ落ちている事に気が付きました。私は一体何が起こったのか訳の分からないまま、その場所から複数の犯人に拉致され引き擦られる様に、誰もいない暗い部屋の中に連れて行かれました。
 流血が顔も体も赤く染めて意識が消えて行く中で、自分の目に見えた物は手錠をされて、恐怖に脅えた表情で私に助けを求める少女の姿でした。血が眼の中に入りはっきりとは見えなかったけど、彼女は首輪を付けられて泣き叫びながら、訓練施設の職員や生徒の実行犯に囲まれて、抵抗すれば殴られながら何処かへ連れて行かれました。私は何とかして(あの子だけでも守りたい。)と思い、自分の顔を触って赤く血が着いた指先を、必死に彼女の方に差し出そうとしました。けれど暴行された衝撃で震えて力の抜けた私の手を、犯人の一人が鈍器の様な物で何回も叩いてきました。それでも何度も震える指先を伸ばそうとしましたが、その度に叩かれ顔や腹を数人から蹴られて、グチャグチャという鈍い音が聞こえる程に、彼等に足で踏み潰された右手は腫れあがり、自分の体ではない様に全身の感覚が無くなっていました。
 密室に連れて行かれた私を待っていたのは、訓練施設のT部長とN課長、H課長そしてO主任とM主任でした。他にも見覚えある課長級の管理職や、係長や主任職員が複数名その場所に居て、奥の暗闇の中でT部長の後ろに隠れて、管理責任者のN所長が気味の悪い笑みを浮かべて立って居ました。そしてN課長が髪の毛を掴んで、殴られ血だらけになった私の顔を、硬い机の上に何度も何度も激しく叩き付けました。その様子を見ていたT部長が薄ら笑いしながら、「君は政府の任命を受ける話を知らないだろう。」「まだN所長は何一つ君には政府の意向も伝えていないし、本当の話は全然言っていないからねぇ。」「君には任命金が出ていてねぇ、どうするか困ったものだ。最初から君に渡すつもりは全然無いのだがねぇ。」と悪びれた様子も無く、むしろ嬉しそうに愉快犯の様な面持ちで、汗ばんだ顔を光らせながら淡々と話してきました。更に続けて、「我々この施設に勤務する機構の全職員は、既にN所長と密約を結んでいてなぁ。散々酷い目に遭わせて悪いが、お前の任命を妨害する事を組織全体で決めた。」「お前の任命金も我々施設職員が貰う計画だ。」と非人間性を露
にした形相で話ました。
 任命の事実も自分に任命金が出ている事すら、何一つ聞かされていなかった私は、訳の分からない話に何も答え様が有りませんでした。ただ顔を滴り落ちる血を手で拭って、愕然としたこんな状況の中で、愉しそうに笑い続ける彼等職員の顔を、体の痛みも忘れて不思議な気持ちで見ていました。次にN課長が「お前には早期修了してこの訓練学校を退所してもらう。」「辞めなければお前もお前の親や兄弟も、俺達機構の施設職員が皆殺しにしてやる。」と殺人犯の様な目を見開いて、極道の真似をした低音の口調で脅迫してきました。そして机の上に一枚の白紙を置いて、「それに修了式で述べるお前自身の礼文を書け。後でパソコンで打って印刷してもらうからなぁ。」と頬を拳で強く二、三回殴って、何回も暴行され血まみれの状態の私を、命令口調で脅してきました。就職の内定が決まっていた私は、(こんなならず者の機構職員が集まった、不正行為の温床の様な訓練施設は、いつでも辞めて犯罪者連中を告発してやる。)と思っていましたが、自分が辞めた後のあの女の子の事を考えると、(あの子をここから救い出さなければ、まだ辞める訳にはいかない。)という強い気
持ちがありました。
 その暗い部屋での返事を拒み続けた私を、また軟禁場所に引き擦って連れて行く際に、T部長が薄気味悪い笑い方でニヤニヤしながら、「君の就職する設計会社にも既に、君の任命金の何割か渡して買収してある。」「向こうの連中も盗撮や盗聴の協力をするそうだよ。あと誹謗中傷して任命の妨害工作も積極的にするそうだ。もうすぐ中央政府の人間になるお方が、民間の会社で悲惨な目に遭わされるとはねぇ。映画の主人公みたいだけど、現実にこんな事が起こるとは君でも予想出来なかっただろう。」と私の顔を撫でて手に着いた血を、神経質そうに布で拭き取りながら話していました。
 真夜中の廊下を二人の職員に両脇を抱えられて、無理やり軟禁部屋に連れて行かれる途中で、廊下の曲がり角で彼女と擦れ違いました。彼女も何人もの職員に抱えられて、ぐったりとした様子で無抵抗のまま運ばれて行きました。何回も壁や机に叩き付けられて、まぶたが腫れて潰れた目を凝らしてよく見ると、あの子の引き裂かれた服の間から伸びた、その長い足から流れる血の様なものが見えました。そして精気を失い瞳孔の開いた眼を見て、間違いなく彼女が薬物を飲まされた上で、酷い性的虐待を加えられたと察する事が出来ました。私は何度も何度も喉が渇れて声にならない声で、彼女の名前を叫び続けましたが、今の彼女には私の声は届いていない様子でした。
 あの時学校の近くの公園で、二人でベンチに座って話した時の、あの子の笑顔は輝いた瞳は何処にもなく、ただ魂の脱け殻になった様なあの子の姿が、確に目の前に薄く儚くあるだけでした。


耳の聴こえない少女集団暴行事件3

2005年05月21日 19時02分57秒 | Weblog
 四月の春の風が緑の高原を心地良く吹き抜けて、薄い桃色の桜の花びらが地面にヒラヒラと舞い落ちる季節に、あの少女は森に囲まれた高原の訓練校に入所しました。
 その女の子は大人の様なしっかりとした顔立ちの中に、どこか幼さの残るまだ子供の様な目で私を見つめていました。最初に出会った頃の私の記憶の中に印象深かった事は、あの子が遠くの景色を何故かとても寂しそうに、ぼんやりと眺めているその時の儚げな表情とそして、まだ少し冷たい四月の夕暮れ時の風にさらさらと揺れる髪がとても印象的でした。
 訓練がいつもより早く終わった水曜日の午後に、彼女に学校の近くに有る公園に呼ばれて広場の椅子に座って、初めて誰も居ない場所で二人だけで話をしました。しかし彼女は耳が聴こえなかったので、手話の出来ない私はどうやって話をすれば良いのか少し戸惑いましたが、彼女は私の口の動きで何を言っているのか理解してくれて、また彼女も一生懸命に言葉を喋ってくれたので、お互いに意思の疎通をするのにそれ程の時間はかかりませんでした。
 あの子と私は時間が過ぎて行くのも忘れて、昔の思い出やこれから未来の事についていつまでも話続けました。そして彼女は自分の夢について少し恥ずかしそうに頬を赤らめて、きらきらと優しい目を輝かせながら私に話してくれました。その内容は自分と同じ耳の聴こえない子供たちに、今から頑張って先生になって勉強を教えるという事でした。私は照れくさそうにけれど嬉しそうに話す彼女の表情を見つめて、宇宙飛行士や野球選手になる夢を持っていた頃の自分と重ねて、何か懐かしい物を感じながらいつまでも静かに聞いていました。
 あの未来の夢や希望で眩しい程に輝いて見えたあの子が、何故あんな残酷な事件に巻き込まれたのか、何故今だに犯罪組織が集団立件されないのか、法律を犯して人の道から外れた鬼畜の様な者達をこのまま放置して、この人間社会が真面目に生きている人達が、このまま野放しにして許す訳は絶対にないと感じています。また例えもし仮に世間が許したとしても、あの少女の人生を滅茶苦茶に奪った者達を、私はたった一人残ったとしても絶対に許す事など出来ないと思います。


耳の聴こえない少女集団暴行事件2

2005年05月09日 02時27分14秒 | Weblog
 あの訓練施設で十六ヶ月間軟禁状態にされて、二十四時間の基本的人権を無視したプライバシーを侵害する、不当で違法な監視下に置かれていたあの時から、もう一ヶ月以上の時間が過ぎようとしています。
 施設の訓練棟はまるで軍事訓練するかの様に、独裁国家の工作員を養成する真似をしてN所長やT部長の手先を作る目的で、盗撮や電波傍受、電磁波盗聴などの違法な犯罪行為に当たる事を教えていました。その工作員養成講座のようなものは、情報系の訓練指導員のE氏が担当する素行に問題ある生徒に教えて、違法行為で職員が摘発される事を予想して、生徒に全て責任を押し付けて言い逃れする計画までしていました。つまり自分達より少し頭の弱い生徒を巧みにコントロールして、更に特定の個人を全員で嘘の中傷メールを流して嫌がらせするなど、犯罪心理学の集団の心理を利用して施設以外の社会も巻き込んで誘導しようとしていました。
 今の世の中は何か正しい事をしようとする人が現れると、それ以外の悪い事をしている人間から邪魔や妨害をされ、無実の罪まで着せられ酷い暴言を受けなければいけないのでしょうか。人は何時から何が正しい事で何が悪い事なのか、そんな簡単な善と悪の区別もつかなくなってしまったのでしょうか。経済崩壊の危機が度々囁かれている混沌とした時代の中で、人間の心は一体これから何処へ向かおうとしているのでしょうか。この薄暗い明日の見えない社会の片隅で何を信じて生きて行けばいいのでしょうか。
 私は正に今の現代社会の歪みをあの訓練施設で過ごした十六ヶ月の間に、まざまざと見せつけられた様なそんな気がしました。真昼でも暗い光の閉ざされた厚生棟の中で部屋に軟禁され、水に混ぜられた薬物の幻覚作用で私の目の前にある歪んだ灰色の壁は、まるで地響きを発てて今にも崩れ落ちそうでした。一体どれだけの時間が過ぎたのか、何週間この状態なのかそれさえ分からない閉ざされた空間の中で、私の脳裏に寄切ったのは(今あの少女はどうしているのだろうか)と言う事でした。
 毎日のように執拗に非人間性を露にした鬼畜の様な連中の悪の手によって、性的虐待を繰り返されて汚された体とボロボロに傷付いた心はその向かう先は、悔しさや怒りで泣き叫ぶ少女の様子が浮かんではまた消えて行きました。睡眠薬で眠らされて職員や生徒から集団暴行された上に、その犯罪の現場をカメラで撮影までされていたその異常な様子を考えただけで、背筋が凍る様な思いと同時に人として絶対に許されない行いに、激しい怒りと拘束され少女を守ってやる事すら出来ない、情けない自分に対する腹立たしさや焦りが湧いてきました。
 あの子は度重なる性的暴行の末に散々玩具の様に扱われたその結果、二度と子供すら産めないボロボロの体にされていました。そして集団暴行されたあの日からあんなに明るかった少女の笑顔は、あの未来に輝いた瞳は二度と戻る事はありませんでした。


耳の聴こえない少女集団暴行事件1

2005年05月05日 16時47分26秒 | Weblog
 私は高原の自然豊かな森の訓練校で、常識では信じられない社会モラルを逸脱した事件に巻き込まれました。この事件の内容を書く事は、私自身が犯罪グループから執拗に嘘の私個人を中傷するメールを他人に流されたり、知り合いが卑劣な嫌がらせや脅迫行為を受けている事から、止めて自分の記憶の奥底に留めて置こうと考えていました。
 しかし、あまりに残酷な事件の被害者の女子生徒を思うとその無念さや悔しさを考えた時に、やりきれない気持ちや怒りに満ちた感情を抑えきれなくなり、今こうして全ての事件の真相を告発する覚悟を決めました。
 事の発端は一人の耳の不自由な少女が高原の訓練校に入所した時から始まりました。その女の子はとても美しく背が高くてモデルの様な容姿から、学校の職員や生徒から何度も言い寄られて困っていました。それはこの女の子には他に好きな人が居て想いを寄せていたからです。しかし、その事実を知った訓練校の関係者は自分達が相手されない事に逆恨みして、その女子生徒に対して絶対に許されない卑劣な行為に走りました。それは複数の職員や生徒が関与する、計画的で組織的な集団暴行を犯したのです。
 私は彼等の犯行を目撃した訳ではありませんが、後から学校の関係者から聞いた話では集団暴行の犯罪グループは、被害者の女子生徒に睡眠薬を飲ませて、意識を無くして冷酷で悲惨な犯行に及んだ事が知らされています。更に彼等の犯罪者集団が惨忍な証拠に、その集団暴行の様子をカメラで撮影までしていた事実が分かっています。そして、この女子生徒に対する彼等の性的暴行は執拗に繰り返され、事件が明るみになり逮捕されるのを恐れた職員や生徒は、この女の子に薬物を飲ませて中毒症状にして軟禁状態にしていました。
 訓練校の複数の関係者が、集団暴行の犯罪に深く関与している事件の真相と真実の内容それら全てを知った私は、何とかして少女を救ってやりたい、鬼畜の様な連中の悪の手から守ってあげたいと強く思いました。そして法的な機関に何度か相談をしてみましたが、私自身がまだ訓練生だったという地位的な事が理由で相手してもらえず、この深刻な人権侵害の問題に、自分の身に危険が及ぶかも知れないという可能性をそれら全てを覚悟した上で、最後の手段として内部告発に踏み切ろうとしました。しかし、その事が訓練校の職員に知られて私も女子生徒の様に薬を飲まされて、毎日意識が朦朧とした中で軟禁状態にされて外部との接触も断たれて、不当なプライバシーを侵害する盗聴や盗撮の監視をされ続けていました。


誹謗中傷の組織的犯罪グループ事件特別編

2005年03月31日 01時15分27秒 | Weblog
 後編の中でO女やE氏という人物が出ましたが、この誹謗中傷の犯罪グループの中心的なメンバーと見られている両名は、今も尚某機構の職員を名乗り公共施設に公務員を装って居座っているそうです。そして、私個人に対する誹謗中傷の書き込みやメールを垂れ流して、自分達の怠慢な態度や欲望から任命式の妨害を企てた事や、任命金を略奪して業務上横領の犯罪行為に手を汚した、それら全ての罪を無実の人間に擦り付けて刑事告発から逃れ様としています。
 彼ら犯罪組織の中傷メールを送信するやり方は、社会問題にまで発展している出会い系サイトの運営方法を真似して、PCサーバーのシステム構築を行い不特定多数の人にランダムに、全て虚偽の内容のメールを送り付ける姑息で悪質な手段です。しかし、一見巧妙な手口の様ですが配信元から何処の場所から送られたのか、違法サイト摘発の事例からも捜査すれば早期解決できると報告されています。
 私個人を狙った中傷サイトの運営以外にも彼ら組織は、後編で述べた最新式の衛星探査装置を工作員の真似をして使い、私の車の移動を後からつけまわすストーカー行為を繰り返しています。そして驚く事にこれら全てのハイテク装置の購入費や彼等の活動費に、公共施設の会計管理から巨額の不正な公的資金が、まるでバブル経済期の泡銭の様に流用されている調査報告が有ります。
 事態を重く見た非営利団体や市民団体からは、この出先機関の公共施設の職員に対して激しい怒りや憤りの抗議デモが、全国レベルで有志が決起して草の根の活動を始めようとしています。また捜査機関もこの犯罪組織の実態解明と永久撲滅を目指して、法治国家の国民の生命と財産を守り信頼を回復する為に、各団体の働きかけに応じて本格的な捜査体制に乗り出す見方がされています。
 最終的にはこの誹謗中傷の組織的犯罪グループは、政府機関の任命の妨害を企て命令を無視し、任命式を阻止しようとした国家に対する反逆罪と、不正に巨額の公費を架空請求し違法な行為に流用して、ハイテク犯罪を行ったサイバーテロ集団に認定しようと言う動きが、市民団体のテロ組織撲滅の強い声や働きかけで始まっています。
 私は今の社会はインターネットの普及に伴う情報化社会となり、携帯やパソコンの需用の拡大や消費率の増加により、膨大な量の情報が溢れて困惑する様な結果に至ったと思います。しかし、世の中一体何が本当で何が嘘なのか真実は何処にあるのか、これまでの違法サイト摘発の事例や誹謗中傷の犯罪グループ事件から、未来型の社会に伴う悪い副産物を無くす為にも、新しい社会基盤を国民皆の力で創造して行く為にも、私たち一人一人が真相を見極める目と正しく判断する思考を、今この時から目覚めさせる努力をする必要性が有ると強く感じています。

誹謗中傷の組織的犯罪グループ事件後編

2005年03月21日 17時09分11秒 | Weblog
 前編の中でテンペストという一般では聞き慣れない専門用語が出ました。これはN●●Tと言う略称の研究機関の某機構の機密情報で、本来は漏洩して流用されては絶対にいけない様な情報です。
 この重要なテンペストと呼ばれる電磁波盗聴の秘密を外部に漏らしたのは、某施設の情報科の職員でT部長の側近と黙されるE氏で某機構の極秘ファイルを盗み見た疑いが有ります。
 このテンペストと言う盗聴技術は80年代の東西の冷戦時代に頻繁に使われた方法で、日本では2001年にマスコミで報道されてから研究が始まっています。まだ詳しくは知らないのですが、携帯電話やパソコンの画面から微量に漏れているマイクロ波という電磁波を、専用のアンテナや特殊な機材を使って傍受するとんでもない恐いやり方だという調査結果が出ています。
 また中間報告では学生寮の私の部屋にレーザーマイクやマイクロカメラなどの最新式の盗聴器や盗撮カメラを仕掛けて、某機構の創始者を名乗るT部長の命令でその側近のO女やE氏が24時間体制で、まるでFBIやCIAの真似事をして秘密警察を名乗って監視活動していた驚愕の事実が判明しています。更に驚きが止まらないのは、最新式のサーモグラフィーや高性能のコンクリートマイクを使って部屋の外からも違法な監視を続けていた事でした。そして、もうこの組織的な犯罪グループが更生しようがないのは、最新鋭のGPSマルチレーダーを使用して私の車の移動を尾行したり、携帯のデジタル信号を解読する特殊な装置を使って電波ジャックまでしていたという、スパイ衛星は持ってないけど諜報機関のNSAもびっくりするような行動を、省庁の外郭団体である公共施設に務める某機構の複数の職員がT部長やN所長の命令に従い半年間も続けていた事でした。
 調査の内容ではこれら全ての電波管理法や電気通信法に触れる違法な犯罪行為に、巨額の数億円に膨らむ国民の税金が悪業に利用されていた事が分かっています。そして某機構の組織犯罪に深く関係している疑いの有る複数の職員らは、会計検査院の検査や公安調査庁の調査が入り事件が発覚する事を恐れて、逮捕され集団立件される前に国外に逃亡する計画を立てている報告も有ります。
 本来どこの省庁でもごく普通に行われている任命式を妨害する為や、今まで任命を受けた人が誰でも支給されていた任命金を奪う目的で、ただそれだけの為に、一人の人間の尊厳を無視して信じて慕っていた人の心を踏み躙り裏切り陥れるような人達を、例え裁判所が許しても私は絶対に許す事が出来ません。
 一度傷付けられた自尊心や心ない人間の手によって汚された名誉は、例え犯人が逮捕されて事件が解決しても二度と戻ることは無い様に思えます。しかし私は人が人として生きる証しとして、この体が朽ち果てようとも一握りの魂となり人間の証明を果たしたいと思います。

誹謗中傷の組織的犯罪グループ事件

2005年03月20日 20時34分07秒 | Weblog
 特定の個人を狙った極めて悪質で卑劣な誹謗中傷の組織的な犯罪に、私はこの半年以上の期間に亘り巻き込まれて非常に迷惑して困っています。突然全く事実と違う訳の分からない嘘やデマの情報が自分の知らない所で、インターネットやメールを悪用した犯罪グループの策略で流される様になりました。その中傷メールが原因でまるで犯罪者のような誤解をされて悪口ばかり言われ、深く自尊心を傷付けられて著しく名誉を毀損される社会的に大きな損害を受けています。
 そこで私は多くの支援者の応援を受けて集団立件を目指して、この半年間で失われた人間の尊厳を取り戻す為訴訟に立ち上がる覚悟を決めました。調査ではこの誹謗中傷を企てた組織的犯罪グループは、中国地方の某所の公共施設に潜伏している事実が既に判明しています。そして犯罪グループのメンバーは普段は公務員を装ったり訓練生を装って誹謗中傷の組織的犯罪を繰り返しています。
 この犯罪グループの首謀者は某機構の創業者を名乗るS玉から異動したT部長で、その側近にO氏♂やE氏♀が従えて他の複数の職員も混ざり様々な汚い手段を使って私に対する誹謗中傷を続けています。
 事の発端は何処かの省庁から私に任命の話が有るという噂が、意図的に首謀者らの悪巧みによって任命の邪魔をする目的で大袈裟にインターネットなどで流されてから始まりました。そして某公共施設の複数の関係者から再三に亘り任命金を渡せと言う内容の脅迫を受ける様になり、事実の確認に責任者で任命人の役目を担っていると噂されていた所長に任命の真相を確かめましたが、何も知らない金も知らないと冷たい返事一言で追い返されました。その後からもT部長に暗い部屋に呼び出されて拷問や警察の取り調べの様な越権行為を執拗にされて、某機構の複数の職員からも任命を辞退しろと言う様な内容の脅迫を毎日繰り返しされ続けました。テンペストと呼ばれる電磁波盗聴されているので続きは次に更新する機会に記載します。申し訳ありません。(>_<)

土曜日の午後

2005年03月19日 14時38分57秒 | Weblog
 昨日で2週間の企業での研修が修了しました。覚える事が沢山あって必死に手帳やノートに書き込んで研修に臨みましたが、これから更に勉強を積み重ねながら幅広く新しい分野に積極的に挑戦して行きたいと思います。
 私は今回の企業での研修を通じて、学校での自分は今まで一生懸命に勉強を続けた設計の分野で先生方からも良い評価を頂いていたけど、まだ会社で仕事をする場面では後もう少し覚える事が有る様に思いました。しかし今まで過酷な環境にも負けず試験にも全力で臨んで良い成果を納めてきた自信と誇りを持って、自分の本来の実力が発揮できる様に毎日努力を忘れずに、企業人として力強く一歩ずつ歩んで行きたいと思います。o(^-^)o