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佐川官兵衛討死之地



熊本に用事があって帰りにこんなところに寄りました。
日本一の桜の里として一大村おこし事業を進めている南阿蘇村。
丘陵のうえに京都大学火山研究所の白い建物があります。



研究所の右上に月。
何十年か先には、広大な桜の名所になることでしょう。







1万2千本もの桜の苗木が植えられた未来の桜の名所に隣接して会津藩の旗印が・・・



豊後口警視隊指揮長として西南戦争を戦った旧会津藩家老・佐川官兵衛、討死の地の碑。明治10年、阿蘇黒川口(黒川温泉とは関係ありません)で銃弾を浴びて戦死。

黒船来航から明治維新、西南戦争、そして急激な欧化・近代化政策。それから日清戦争、日露戦争、韓国併合、関東大震災、世界大恐慌、満州事変、満州国設立、日中戦争、太平洋戦争、東京大空襲、ヒロシマ・ナガサキに原子爆弾投下、敗戦となっていきます。

そしてそれから日本全国焼け野原からの復興、そして奇蹟の高度経済成長を成し遂げていくプロセスで原子力発電が導入されていき、2011.3.11の大地震・津波によるフクシマ原発事故につながっていきます。

あれから3年もたって、今だにフクシマの原発施設をコントロールできない。放射能汚染問題もあって、フクシマの復興は太平洋戦争のときのようにはことが進みません。故郷に戻れない、復興できないという問題があります。

これは私たちにとって他人事ではありません。各地の原子力発電所を再開したら、フクシマと同じことが起こる可能性があります。電力会社も政府もそんなことは「絶対に起きない」と言い続けてきたんですが、やっぱり事故は起きました。起きてみると「想定外」だと言い訳します。

「想定外」だったのは電力会社と政府だけであって、多くの専門家が事故を想定して、くりかえし警告してきたのに耳をかそうとしなかっただけです。

明治維新からフクシマの原発事故に至るプロセスは、江戸時代末期の嘉永6年(1853年)の黒船来航から始まりました。でも考えてみると、黒船来航で大騒ぎしなければならない状況は徳川家光の鎖国政策がつくったとも言えます。では家光がなぜ鎖国しなくてはならなかったのか、それは当時の世界情勢(欧州のキリスト教と鉄砲による侵略)や豊臣秀吉の朝鮮出兵の大失敗なども背景にあったでしょう。

ではなぜそういう事態が起きたかを考えると、その前の時代のプロセスが浮上してきます。それはまたその前の時代のプロセス故に生じたプロセスでした。それをさかのぼっていくと、弥生時代、縄文時代、旧石器時代に至り、原人、猿人それ以前の哺乳類、脊椎動物、あるいはもっと前、先カンブリア期の原始海で生じた単細胞生物の意識から考えていかなくてはならないかも知れません。

つまり3.11は結局、そもそも私たちとは何者なのか、宇宙とは何か、存在とは何かということに行き着きます。そこから問わなくては何度でも3.11を繰り返すことになると思います。
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