goo

中川神社



昭和28年ごろ、川端康成は久住高原に滞在して
小説『波千鳥』の原稿に向かっていました。
登場人物・文子は久住の高原で自分の心を見つめていきます。

 私は大きい自然の天堂にいるようです。
 ・・・ああ、来てよかった。
 と、私は声に出して言いました。
 私は涙を流して、すすきの穂波がなお銀の光にぼやけましたけれど
 悲しみをよごす涙ではなく
 悲しみを洗う涙でした。
 私はあなたを思い、そして別れるために
 この高原にも父の古里にも来たのでした。
 あなたを思うことに、悔いや罪がつきまとっては
 私はお別れ出来ません。
 また私の出発を新しくできません。
 遠い高原まで来て、なおあなたを思うことをおゆるし下さいませ。
 お別れするために思うのです。
 草原を歩きながら、山をながめながら、
 私はあなたを思いつづけさせていただきました。
 松かげにじっとあなたを思っていて、
 ここが屋根のない天堂なら、このまま昇天しないものかと、
 私はいつまでも動きたくありませんでした。
 私はうっとりとあなたの幸福を祈りました。
 ・・・ゆき子さんと結婚なさいませ。 
 私はそう言って、私のうちのあなたとお別れしました。
 あなたを忘れるはずもありませんけれど、
 この後どのように醜く濁った心で思い出すことがあったにしても、
 私はこの高原であなたを思った時に、お別れ出来たのだと考えます。


文子は久住高原の大自然のなかで癒されていきます。
小説では、文子の「父の古里」がここ豊後竹田という設定です。
康成は竹田も歩いています。

上の久住高原の写真は11月5日に撮ったものです。
 



今朝、ふと思い立って中川神社に登りました。
これは登り口。まだモミジがこんな景色でした。




もうこれが見納めでしょう。
ひとの姿はなく、ひっそりとしています。
竹田はどこでもそうですが・・・




『波千鳥』は続きます。

 私はあなたのことを思いながら、父の町を歩きました。
 父の故郷は私にはもう見知らない町ではありません。
 昨日の夕方着いた時は、わかりませんでした、
 今朝になってみると、ほんとうに小さな町です。
 どちらに向いて歩いても、岩の壁に突きあたってしまいます。
 私も四方が岩山の「なかに置かれて」いるような気がします。
 昨夜、伯父が使っていました宿屋のマッチ箱に
 「山紫水明、竹田美人」と印刷してありましたので
 ・・・京都のようですね。と私が笑いますと、
 ・・・ほんとうだよ。竹田美人と言ったものだ。
 お琴だとか、お茶だとか、昔から遊芸がさかんなところだ。
 水もきれいで、町なかの軒下を流れる小溝をここでは、
 井出(いで)というが、文子のお父さんが小さいことは
 その井出で朝は口をすすいだし、茶碗も洗ったものだ。

 人口がわずか一万ほどの町に、寺院が十幾つあったり
 神社が十近くあったりするのも、小京都なのかも知れません。

   (略)

 田能村竹田の旧居、田伏屋敷跡のキリシタンの隠れ礼拝堂、
 中川神社のサンチヤゴの鐘、広瀬神社、岡城址、魚住の滝、
 碧雲寺などの名所も、半日足らずで歩けました。
 
   (略)

 サンチヤゴの鐘には、1612 SANTIAGO HOSPITAL の文字があります。
 竹田の昔の領主がキリシタンだったのです。

豊臣秀吉の命令で、関西から竹田に左遷された中川公は
当時キリシタン大名でした。1612 SANTIAGO HOSPITAL の鐘は
今は竹田歴史資料館にあります。
« ダリアたち 古田織部 »