goo

ハーンが愛した石仏



昨日、寄り道しました。
「耳なし芳一」や「雪女」の著者として知られるラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が愛したという石仏(阿弥陀仏)。

彼が英語の教師をしていた熊本大学(旧第五高等学校)の裏手の丘陵にある小峰墓地(おみねぼち)です。

畑の中のほそい小みちは、まだ墓地の入り口のこわれ朽ちた石段のところまで行かないうちに、早くもおどろかな野草のかげに見えなくなった、かんじんの墓地の中にも、道らしい道はどこにもない。ただ、雑草と墓石とがあるばかりである。しかし、岡のてっぺんからの見晴らしは、なかなかいい。ひろびろとした万緑の肥後平野が一望のうちに眺められ、そのむこうに、青い、ゆったりした山脈が、半円形をなして、遠い地平線の光のなかに映え、そのまたむこうには、阿蘇火山が永遠に噴煙を吐いている。

『東の国から --新しい日本における幻想と研究--』のなかに収められている『石仏』というエッセイのなかから抜粋。明治20年代後半ののどかな風景が描かれています。現在は周囲にマンション等が建って阿蘇山は見えません。お墓もきれいになって、雑草に埋もれるようなことはありません。

ハーンは小峰墓地がお気に入りで、授業の合い間によくここを訪れたそうです。



・・・また、そのすぐそばのところには、蓮華の花のうえに座している、仏像も一体立っている。この仏像は、加藤清正時代から、ここにずっとこうして座っているのであって、じっと瞑想にふけっているようなまなざしは、はるか脚下の学校と、その学校のそうぞうしい生活とを、半眼にひらいたまぶたのあいだから、しずかに見下ろしながら、身に傷をうけながらもそれなりになにひとつ文句のいえない人のような、莞爾(かんじ)とした微笑をたたえている。



もっとも、これはもともとこれを彫った彫り師がきざみつけた表情ではない。長い年月の風霜の、苔と垢とに形をゆがめられてできた表情である。よく見ると、この仏像は、いまはもう両手も欠けてしまっている。わたしは、なんだか気の毒になってきて、仏像の額にある、小さなしるしのイボのまわりの苔を、爪で掻いてとってあげたらと思って、手でそれを掻いてみた。古い「法華経」の文句をおもいだしながら。・・・

あれから約120年後の昨日、ここを訪ねてハーンの心を感じてみました。
« 後藤是山記念館 横井小楠の四時軒 »