ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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田中卓氏・女系継承容認論の迷妄4

2006-02-16 10:10:07 | 皇室
田中氏の女系継承容認論を批判する上で、天照大神を中心に日本神話の記述を検討している。天照大神は女神ではあるが、そこに原点をすえるのは、そう単純な話しではない。そのことを、今回も述べてゆきたい。

6.天照大神は自立的・原理的ではない

 天照大神とタカミムスビの関係について続ける。天照大神を中心に考える論者は、高天原の最高神が女神であると見る。そして、母系制が社会の原初的形態という主張もなされる。しかし、記紀の記述では、天照大神は単独で最高・中心にあるのではない。「タカミムスビと天照大神」と連名で記されている箇所があることも無視できない。
 タカミムスビなのである。天照大神の父・イザナギではない。また、自分が父から生まれる前に亡くなっていた母・イザナミでもない。弟で夫のようでもあるスサノオでもない。

 『古事記』によると、タカミムスビとは、天地開闢の時、天之御中主之命(あめのみなかぬしのみこと)の次に、カミムスビとともに高天原に出現したという神である。これらの神々は造化の三神とされ、ともに「独神(ひとりがみ)」として成って身を隠したとされる。
 どこか道・太極と陰陽を思わせるところがある。これらの三神は、天之御中主之命が原理的・根源的な神であり、タカミムスビとカミムスビは、その神を本体とする作用、その陰陽の両面と考えることが出来ると思う。
 このうちタカミムスビだけは、神話の中で非常に活動的である。身を隠したといいながら、高天原で活躍する。そこで、私は、原理的・根源的な神の働きの顕在面、陽を象徴したものと考えている。

 天孫降臨の前に行われたアメノオシホミミ、アメノオヒノカミ、アメノワカヒコの派遣やその失敗への対処は、「タカミムスビと天照大神」が共同で行っている。しかも、タカミムスビを先に書いて「タカミムスビと天照大神」としている。普通は先に書く方が偉いか、年長か、男性だったりする。また、記述の全体からもそういう印象を受ける。
 ニ神は共同で高天原の神々を集めて評議を行う。天照大神は、タカミムスビとともに神々を招集し、他の神々に相談をするのである。天照大神は、単独で始原の母神のように存在してはいないのである。また、この評議において知恵を働かせるオモヒカネノカミは、タカミムスビの子とされている。天照大神のブレーンである。

 タカミムスビは造化の際に高天原に表われた神であるから、神々の系譜では天照大神の祖先に当たる。天照大神の祖神のようでもあり、同時に現存する親族のようでもある。天照大神は、このタカミムスビなくして単独で、高天原や葦原中国(あしはらのなかつくに)を統治しているのではない。
 そのうえ、先に書いたが、タカミムスビもまた造化三神の一柱であって、単独では存在しない。「天之御中主之命 → タカミムスビ → 天照大神」という神意の経路が隠れているような気がする。天之御中主之命が原理的・根源的な神としてあって、その活動の顕在面がタカミムスビとして象徴され、天照大神に働きかけていると想定できるわけである。
 原理的・根源的には、天之御中主之命を最高・中心にすえないと、日本神話は総合的に理解し得ないと私は考える。そもそも天之御中主之命は、「天の中心、宇宙の中心」をそのまま名としている。世界に広く見られる「中心のシンボリズム」では、中心は生命の本源、万物の根源、宇宙の始原、不動の動者、ゼロにして無限大等を象徴する。

 以上のような私見は、神話についての一つの解釈を述べるものに過ぎない。神話的想像力に領域にこのような試みが有効かどうかも定かではない。象徴的なるものには、しばしばいくつもの意味が凝集・重合される。単純な分別は、象徴の生命や価値を損ねる。
 ここに理解していただきたいのは、ただ一点、天照大神は、単独自立の最高神・主宰神ではなく、また原理的な母神・女性神ではないということである。

 もうひとつ、スサノオノミコトとの関係を補足しておきたい。スサノオは高天原を追われて、出雲に降り立ち、ここでヤマタノオロチを退治し、クシナダヒメと結婚して子孫を産む。その子孫にオオクニヌシノミコトが現れる。天照大神は葦原中国にニニギノミコトを遣わして、遂に日本を統治させることに成功する。この際、国をゆずったのが、オオクニヌシであり、出雲に巨大な社をつくって、オオクニヌシを祀ることを約束する。これが出雲大社の起源とされる。
 古代から今日まで、わが国の神々の世界は、天照大神を中心とした伊勢神宮の系統と、スサノオ・オオクニヌシを中心とした出雲大社の系統が並立している。しかも対立しているのではなく、伊勢系が出雲系を尊重する関係にある。神無月つまり陰暦10月には、神々が出雲大社に集まり、諸国には居なくなるといわれる。
 伊勢系が女性神を祀るのに対して、出雲系は男性神を中心に祀っている。前者が「この世」、後者が「あの世」を統治しているとも考えられる。この二系統の並立もまたわが国の不思議な伝統であり、社会的現実である。

 神話に関する話が長くなった。話を主題に戻すと、田中氏は、皇室の祖神は天照大神、女神であり、日本の国体の原理は天照大神がニニギに下した神勅にあるという。これは確かなことではある。だが田中氏が、皇室の祖神が女神だから女系継承も容認される、万世一系という歴史的事実よりも「より重要な原点」である神勅は女神が下したものだと、駄目を押し、そこから女系継承も容認だとすると、「田中先生、そう簡単にはいきませんよ」と私は申し述べたいのである。記紀そのものが、複雑な記述に満ちているからである。専門家が読んでも素人が読んでも、記紀自体にそう書いてある。それが言いたくて、天照大神を中心に神話の世界について書き連ねてきたわけである。

 重要なことは、現在問題となっているのは、皇位継承の伝統だということである。皇位継承の伝統が問題なのだから、話を神話にまで広げる必要はなく、神武天皇以降の伝統を確認することに論点をしぼるべきだろう。神武天皇は「人代」の巻に書かれている。そこからは、歴史として検討することができる。

 皇位継承の伝統に照らして考えるならば、男系継承の堅持という一貫した事実が明白である。そして決定的に重要なことは古来、歴代天皇は祭祀においては女神・天照大神を祀り、その霊威を受け継ぎ、神意をうかがいながらも、皇位継承においては男系継承を一貫して堅持してきたのである。女神だから女系も良いなどとは、考えなかった。男系継承のために、あるゆる努力をし、一筋の男系を守り続けてきた。
 今日の皇族の構成の実態に合わせるために、この原則を安易に曲げ、その論拠を神話に求めるのは、不適切である。皇位は男系継承が伝統なのであり、伝統を伝統としてそのまま受け継いで、男系継承のために最大限の努力をすることが、日本人のまずなすべきことと思う。
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