ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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ユダヤ39~フリーメイソンとユダヤ人

2017-04-19 08:55:06 | ユダヤ的価値観
フリーメイソンとユダヤ人

 18世紀後半、西欧におけるユダヤ人の地位を大きく変えることになる重大な出来事が起こった。1776年のアメリカ独立革命と1789年のフランス市民革命である。これらの出来事とユダヤ人との関係を述べるには、フリーメイソンについて触れる必要がある。アメリカ独立とフランス革命に影響を与えた思想家や革命を指導した活動家には、フリーメイソンの会員が多くいたからである。
 フリーメイソンの起源には諸説あるが、学術的に有力なのは中世の石工つまり建設業者の職人組合に起源を求める説である。石工組合が近代的な結社に変わったとするものである。
 近代フリーメイソンは、1717年にイギリスに始まったとされる。この年、ロンドンにあったロッジ(支部)が集まって、グランド・ロッジ(本部)が結成された。ただし、これ以前からメイソンは、オランダ、イギリス等で活動したことが知られている。
 「近代フリーメイソンの父」と呼ばれるジャン・デザキュリエは、牧師で自然科学者、権威ある王立協会の会員だった。デザキュリエはニュートンの友人であり、ニュートンはロックの友人だった。ロックは名誉革命を裏付ける理論を提示した。革命の前は、オランダに亡命していた。1680年代のオランダでは既にメイソンが活動していた。ロックがメイソンだった確証はないが、周囲にはメイソンが多くいた。ロックがメイソンと交わり、メイソンの思想をよく知っていた可能性は高い。
 「自由・平等・友愛」というと、誰もがフランスの三色旗を思い浮かべるだろうが、これらはフリーメイソンの標語だった。ただし、この標語はメイソンが発案したものではない。もとはロックの『統治二論』である。ロックは、本書で、自然状態において完全に自由かつ平等である人間が、自然法と理性に基づいて行動し、正義と友愛という原理に導かれると説いている。それゆえ、フリーメイソンがロックの思想を摂取したと考えるべきだろう。
 ロックは、人民の抵抗権・革命権を認める政治的主張するだけでなく、宗教的な寛容を説いた。イギリスでは、1689年にロックの主張に沿って宗教寛容法が制定された。非国教徒に対する差別を残し、カトリック教徒・ユダヤ教徒等には、信教の自由を認めないという限定的なものだったが、信教の自由の保障が一部実現した。宗教的寛容はイギリス以外でも取りいれられていった。またやがてユダヤ教もその寛容の対象に加えられた。
 フリーメイソンの活動が各地で広がると、カトリック教会は1738年にメイソンを破門に処した。メイソンの象徴や知識には、古代エジプトや古代ギリシャからの継承を思わせるものがある。その一方、当時の先端思想である自然科学や理神論的な道徳思想を取り入れていた。古代的神秘的象徴的なものと、近代的合理的科学的なものとが共存していた。彼らの活動の広がりは教権の秩序を揺るがすものだった。
 カトリック教会から破門にされたとはいえ、フリーメイソンはイギリスからフランス・アメリカ・ドイツ等に組織を拡大した。それによって、イギリスの啓蒙思想を、大陸の貴族や上層市民階層、アメリカの指導層等に伝えた。メイソンの活動は啓蒙思想を各地で急進化させた。啓蒙思想とフリーメイソンは分かちがたく結びつきつつ、アメリカ独立思想やフランス革命思想の源泉となった。
 フリーメイソンの思想は、国家・国民の枠を超える。メイソンの活動は、人間の権利を普遍的・生得的なものとする人権思想の発達を促し、人権思想の発達は、西方キリスト教文化圏で差別の対象とされたユダヤ人を利するものとなった。
 フリーメイソンは、組織の原則として、宗教の違いを超えて会員を受け入れるという自由主義の傾向を持っていた。そのため、ユダヤ人が加入するようになり、やがてフリーメイソンの活動とユダヤ人の活動が同一視されるという誤解を生じるほどになっていくのである。

 次回に続く。
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