ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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ユダヤ75~ドイツ・ワイマール時代のユダヤ人の活躍

2017-07-14 09:43:06 | ユダヤ的価値観
●ドイツ・ワイマール時代のユダヤ人の活躍

 ドイツでは、第1次大戦の敗北によって帝政が崩壊した。革命運動が鎮圧されると、社会民主党による臨時政府が樹立され、共和制が実現した。以後のドイツの政体を首都の名にちなんで、ワイマール体制という。
 共和制国家の設立において、旧ドイツ帝国憲法に替わる新たなドイツ国の憲法が制定された。それが、ワイマール憲法である。1919年8月に制定・公布・施行された。公式名はドイツ国憲法という。この憲法は当時世界で最も民主的な憲法といわれた。起草者は、ユダヤ人法学者フーゴー・プロイスだった。
 ワイマール共和国時代のドイツは、それまでのヨーロッパの歴史において、ユダヤ人が最も活躍した社会だった。物理学者アルベルト・アインシュタインをはじめとして、ノーベル賞受賞者が11人も続出した。実業家にして外務大臣のヴァルター・ラーテナウ、法務大臣のオットー・ランズベルク、法学者のゲオルグ・イェリネック、哲学者のマックス・ホルクハイマー、テオドール・アドルノ、作家のフランツ・カフカ、ヤコブ・ヴァッサーマン、精神科医のジークムント・フロイトなど、科学、政治、経済、文学、医学等の多彩な分野で、ユダヤ人は、才能を発揮し、驚異的な活動を行った。報道の分野でも、ユダヤ人が重要な新聞や出版社の経営に当っていた。「フランクフルター・ツァイトゥング」はユダヤ系自由主義派の新聞として時代の思潮に影響を与えた。
 だが、ユダヤ人が活躍すればするほど、ドイツ人のユダヤ人への反感が強まった。そして、この民主的なワイマール体制の中から、恐るべき独裁者が登場した。

●ナチスによるユダヤ人迫害
 
 1929年の世界恐慌は、敗戦のどん底にあったドイツに追い打ちをかけた。深甚な打撃を受けたドイツは、底なしの経済危機に陥った。生活苦にあえぐ国民の間には、第1次大戦後、戦勝国が作ったヴェルサイユ体制への不満と連合国への恨みが鬱積していた。ワイマール憲法は民主的だが、国家体制の規定に問題点を孕んでいた。連立政権で権力基盤の不安定な共和国政府は、有効な打開策を打ち出せなかった。大衆は、既成政党による政治への不信を募らせていた。そうした感情を吸収して急速に勢力を拡大したのが、ナチスである。
 ナチスは、国家社会主義ドイツ労働者党の略称である。21年にアドルフ・ヒトラーが指導者となった。ヒトラーは、第1次大戦の敗戦と経済破綻の原因がユダヤ人にあると主張した。ドイツ人は北欧アーリア人種の最高層をなすと主張する一方、ユダヤ人は劣等人種であり、社会を崩壊させ、優秀な人種の権威と主導権を強奪しようとする者だと決めつけた。著書『わが闘争』で、ヒトラーは、「ドイツ民族主義に敵対する平和主義・民主主義・国際主義は、文化破壊者たる『ユダヤ人種』による世界制覇の手段である」と述べた。英米仏等の反ドイツ政策は、すべてユダヤ人によるものだという見方である。そして、極端なナショナリズムを掲げ、ユダヤ人の排斥とドイツ民族の生存圏の確立、大戦後の国際秩序であるヴェルサイユ体制の打破と再軍備等を唱えた。
 ヒトラーのもとでナチスは、国家社会主義とユダヤ人を敵視する排外的民族主義とが一体になった運動を推進した。ナチスは、ドイツ民族というエスニック・グループがオーストリア、チェコスロバキア、ポーランド等に広がって分散居住している状態を不満とし、軍事力を行使して一つのネイション(国家・国民・共同体)に包摂しようとした。そして特異な人種主義思想を以てユダヤ人を敵視した。当時最も良く人権を保障していたワイマール憲法のもとで、ユダヤ人の権利を蹂躙するナチスの暴虐が繰り広げられることになったのである。
 ユダヤ人への差別は、ナチスが初めて行ったものではない。ナチスのユダヤ人撲滅という思想は、キリスト教的西欧において、長い歴史のある思想に基づく。ドイツでも中世以来、ユダヤ人への差別・迫害が行われていた。ナチスは、そうした国民の伝統的な反ユダヤ感情を増幅させ、ユダヤ人に対する迫害を行った。
 ナチズムはアーリア人種の優秀性を強調したが、その思想は、ユダヤ民族の選民思想をゲルマン民族に置き換えたという性格を持っている。その点で、ユダヤ教のゲルマン化という要素が見られる。ナチスによるユダヤ人迫害は、政府によって組織的・計画的に行われ、またその規模において、前例がない。多くの優秀なユダヤ人が国外に亡命した。ナチス・ドイツにおいて、国籍を剥奪されたユダヤ人は、人間でありながら「人間的な権利」を失った。迫害は第2次世界大戦前から行われていた。第2次大戦開始後、ナチスによる人種差別的なユダヤ人迫害はさらに激しくなった。
 ナチスが領有したり占領したりした各地で、ユダヤ人への迫害が行われた。ルーマニア、ハンガリー、チェコスロバキア、オーストリア等においてである。最も迫害が苛烈だったのは、ポーランドである。ナチスは、ポーランド国内のユダヤ人多数を殺害し、さらにアウシュヴィッツなどに強制収容所を設けて、ヨーロッパ各地からユダヤ人を送り込んだ。そこでユダヤ人多数が犠牲になった。ナチスによってユダヤ人600万人が殺害されたということが定説になっている。いわゆるホロコースト説である。主にその犠牲になったのは、アシュケナジムである。
 ユダヤ人に襲いかかるナチスに対して、欧米のユダヤ人は団結して立ち向かったのか。実は、ここにユダヤ人社会の複雑性が露呈する。ナチスに対して、シュローダー兄弟、J・P・モルガン、ウォーバーグ兄弟等、欧米の国際金融資本家たちが資金を提供していた。その中にはユダヤ人もいた。当時、中央銀行の中の中央銀行という存在である国際決済銀行(BIS)もナチスの財源確保に関与した。ヒトラーが第2次大戦を始めた後、ドイツに戦争を止めさせるには、石油の供給を止めればよかった。ところが、ロスチャイルド家とノーベル財閥の石油会社シェルは、敵国であるドイツに石油を輸出していた。その石油は、ソ連のバクー油田から採掘されたものだった。バクー油田は、スターリンに莫大な外貨をもたらしていた。
 ユダヤ人を迫害するナチスに対して、ユダヤ人の資本家が資金を提供したり、石油を打ったりするとは、非常に考えがたいことだが、同胞の生命や権利よりも、自らの貨幣の獲得を追求する者がいるというのが、ユダヤ人という集団なのである。

●西欧諸国におけるユダヤ人への対応
 
 ここで西欧諸国におけるユダヤ人への対応をまとめておこう。歴史的に見ると、ユダヤ人問題こそ、西洋における最大の移民問題である。これまで書いたように、ヨーロッパの各国によって、ユダヤ人への対応は違う。トッドが著書『移民の運命』で明らかにしているように、そこには家族型による価値観の違いを見ることができる。家族型とその価値観は、フランスの中央部が平等主義核家族で自由と平等を価値観とし、イギリスが絶対核家族で自由と不平等を価値観とし、ドイツやフランス周辺部が直系家族で権威と不平等を価値観とする。
 トッドは書く。「かつてフランスは、ユダヤ人が伝統的生活様式の重要な要素をいくつも保持することを受け入れつつ、彼らに同化を要求した。イギリスはより完全にユダヤ人の同化を実現したが、差異の尊重を説教しながら同化が推進された。ナチス・ドイツはユダヤ人を人間と考えることを拒否した」と。
 要するに、ユダヤ人に対し、フランスは同化を要求し、イギリスは容認し、ドイツは拒否したのである。こうした対応の違いは、フランスは人間の平等を信じる普遍主義であり、イギリス・ドイツは諸民族の本質的な差異を信じる差異主義であることの表れである。差異主義には、イギリスの自由主義的な差異主義と、ドイツの権威主義的な差異主義がある。その違いが、ユダヤ人の容認と拒否の違いとなって表われている。
 こうした対応のうち最悪のものが、ナチス・ドイツが行った人種差別主義によるユダヤ人への迫害だった。

 次回に続く。
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