ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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ユダヤ87~イスラエルの建国と中東の対立

2017-08-13 08:46:41 | ユダヤ的価値観
●イスラエルの建国と中東の対立
 
 第2次世界大戦は、人類史上かつてない惨事をもたらした。その犠牲者は、全世界で5000万人を超えるとされる。
 大戦後、ナチスによるユダヤ人の虐殺という暴挙が宣伝された。多くの国々が衝撃を受け、イスラエルの独立を承認した。ユダヤ人は各国からパレスチナに向かい、長年の悲願であった自らの国家の建設を進めた。
 ライオネル・ロスチャイルド男爵の息子エドムンドは、各国のユダヤ人のパレスチナへの移住から現地での企業作りまで、資金援助に最も熱心だった。彼の存在なくして現在のイスラエルという国家はない。イスラエルは、ロスチャイルド王国と言っても過言でない。また、ロスチャイルド家の方もイスラエルという国家を通じて、アメリカの政治を左右し得る立場を獲得していった。
 イスラエルの建国によって、ユダヤ人は国際社会で大きな影響力を持つようになった。だが、中東におけるイスラエルの建国は、この地域に大きな政治的・宗教的・軍事的な対立を生み出すことになった。ユダヤ人に国土を奪われたと主張するパレスチナ人と、それを支援するアラブ諸国は承認を拒否し、イスラエルとアラブ諸国の不幸な対立・抗争は今日まで続いている。
 中東は、第1次世界大戦の結果、最も大きな問題を抱えるようになった地域である。今日に至る深刻な情勢を生み出したのは、イギリスである。イギリスは第1次大戦でユダヤ人とアラブ人の協力を得るため、双方にパレスチナでの国家建設を認めた。
 イギリスは、オスマン帝国を後方からかく乱するためにアラブの民族運動を利用しようとして、フサイン・マクマホン協定を結んで、アラブ国家の独立を約束した。また、イギリスは、ロスチャイルド家からの資金援助を期待して、ロスチャイルド家の要望に応え、1917年にパレスチナにユダヤ人が国家を建設することを支持するバルフォア宣言を発表した。その上、イギリスは、フランスとの間で中東地域を分割統治するサイクス・ピコ協定という密約を結んでいた。それゆえ、イギリスは、二枚舌どころか三枚舌の外交を行っていたのである。こうしたイギリスの利己的で矛盾した外交が、現在のパレスチナ問題の発端となった。
 バルフォア宣言は、第1次世界大戦勃発後の1917年11月2日、当時パレスチナを統治していた英国の外務大臣アーサー・ジェイムズ・バルフォアが、同国のユダヤ人共同体の首長ライオネル・ロスチャイルドに宛てた書簡の形式をとったものである。だが、たたき台を作ったのは、ライオネル、彼に忠実な秘密結社のメンバー、そしてハイム・ヴァイツマンだった。ヴァイツマンは、シオニズムの創唱者ヘルツェルの後継者で、後に初代イスラエル大統領になった人物である。ライオネルとヴァイツマンは、既に1917年7月18日の時点で、宣言の草案をバルフォアに手渡していた。イギリス政府は第1次大戦へのユダヤ人金融資本家の戦争協力を必要としていたため、草案を受け入れ、外相の宣言という形でこれを発した。
 イギリスは第1次大戦後、アラブ人、ユダヤ人との約束を反故にし、旧オスマン帝国のアラブ諸地域を、フランスと共に分割した。国際連盟の委任統治領という形ではあるが、パレスチナ、イラクはイギリスが、シリアはフランスが、事実上の植民地とした。これに対し、アラブ人の反発が強まり、イギリスは徐々に自治・独立を認めることとなる。イギリスの委任統治領となったパレスチナに世界各地からユダヤ人が入植し始めると、先住のアラブ人の間に対立・抗争が起こるようになった。
 こうして、イギリスの利己的な三枚舌外交の結果、ユダヤ人のナショナリズムと、アラブ人のナショナリズムがぶつかり合うようになった。
 ユダヤ対アラブの対立に手を焼いたイギリスは、第2次大戦後の1947年(昭和22年)、パレスチナの委任統治権を「国際連合=連合国」に返上した。
 パレスチナにおけるユダヤ人の人口は、第1次大戦の終了時点で5万6千人。総人口の1割に満たなかった。しかし、第2次大戦終了時点では、約60万人。総人口の3分の1にまで増えていた。
 1947年(昭和22年)5月、国連でパレスチナ問題が議題に上がった。二つの民族からからなる連邦国家を作る案と、パレスチナをアラブ国家とユダヤ国家と国連永久信託統治区に分割するパレスチナ3分割案が提出された。イギリスに替わってシオニズムの新たな後ろ盾となったアメリカは、ハリー・トルーマン大統領のもと、国連で強力な多数派工作を行った。その結果、11月29日、3分割案が国連総会で可決された。
 こうした国連の決定には、ユダヤ人への同情が影響していた。ユダヤ人は、ヒトラーの迫害を受け、多数が収容所で惨死した。またナチス以前からヨーロッパではユダヤ人への迫害が行われてきた。欧米人の間に、その贖罪の意識が働いたものだろう。
 ところで、トルーマンは3分割案を断固支持したが、米国の国務省・国防省は、ユダヤ人国家の成立を望んでいなかった。国際関係に最悪の結果をもたらし、安全保障を脅かすと予測したからだ。また英米の石油会社は、アラブ勢力との関係を憂慮し、新国家建設に反対した。それにもかかわらず、トルーマンが3分割案を支持したのは、大統領選に向けてユダヤ人の支持を得るという政治的な打算を働かせたためと見られる。1948年11月の選挙で、トルーマンはユダヤ人社会から資金の提供を受け、またユダヤ票の約75%を獲得した。それが、彼の勝利の一因となった。
 トルーマンの背後には、ルーズベルト政権に続いて大統領顧問的な存在のバーナード・バルークがいた。さらにその背後には、ロスチャイルド家がいたと見られる。
 イスラエルの誕生には、米国のライバル、ソ連の支持もあった。1947年5月にパレスチナ問題が国連の議題となった時、外務次官アンドレイ・グロムイコは、ソ連政府はユダヤ人国家創設を支持すると表明した。スターリンは、イスラエルが社会主義国となり、ソ連陣営に加わると予測していた。建国には社会主義シオニズムが一定の役割を果たしており、首相ダヴィド・ベン=グリオン以下、イスラエル首脳には東欧出身の社会主義者が多数いたからである。
 1948年5月14日にイスラエルが独立を宣言すると、トルーマンはただちにその実効支配を承認した。スターリンは、さらに上を行き、イスラエル共和国政府を国際法上、正統な政府として正式に承認した。
 こうして、イスラエルは、米ソの双方から支持を得て誕生した。だが、米ソ関係に緊張が強まるにつれて、トルーマンは国防省や国務省の助言に耳を傾けるようになった。一方、スターリンは大戦中、国内団結のため一時控えていた反ユダヤ主義の政策を48年1月から再開し、同年秋までに対外政策でも反シオニズムに転換した。それゆえ、イスラエルは、1947年5月から48年5月にかけて生まれた特徴的な状況の中で誕生したと言えよう。
 トルーマンが推し進めたパレスチナ3分割案は、パレスチナの6パーセントの土地しか所有していなかったユダヤ人に、56パーセントの土地を与えるものだった。極めて不均衡であり、アラブ側は激しく反発した。そのため、中東に深刻な構図が生まれた。その後の世界は、イスラエル対アラブ諸国の対立関係によって、大きく左右されるようになった。

●現代ユダヤ文明とトインビーの文明の「ユダヤ・モデル」

 ここで文明学的な見方を再度書くと、私は、イスラエル建国後のユダヤ教社会を現代ユダヤ文明と呼ぶ。これに対し、古代に滅びたユダヤ文明を古代ユダヤ文明と呼ぶ。現代ユダヤ文明は、古代ユダヤ文明を復活させたものである。これらの継続性を認めて、総称したものが、ユダヤ文明である。ユダヤ文明は、ユダヤ教を宗教的中核とし、ユダヤ民族が創造した文明であり、セム系一神教文明群に属する周辺文明の一つである。
 文明学者アーノルド・トインビーは、世界史において、「充分に開花した文明」が過去に23あったとし、ユダヤ文明をその一つとした。トインビーは、文明の主要なモデルの一つとして、「ギリシャ=ローマ・モデル」と「シナ・モデル」「ユダヤ・モデル」を挙げた。そのうちユダヤ・モデルとは、ユダヤ社会のように領土を持たず、宗教的紐帯によってのみ統合がなされ、世界中にその民族が点在しているような社会集団の型である。こうした集団を「ディアスポラ(diaspora、離散民)」という。トインビーは、世界に離散した「ディアスポラ」には、文明学的な役割があるととらえた。彼は、通信革命・交通革命によって世界が狭くなればなるほど、領土・国境の意味合いが薄れ、ユダヤ・モデルは有用なモデルになると予想している。
 トインビーは「ユダヤ・モデル」によって、ユダヤ民族の活躍に期待を寄せたと思われる。ユダヤ民族は、国家を持つことを悲願としていたが、第2次大戦後、イスラエルを建国して政府を持ったユダヤ民族は単なる「ディアスポラ」とは言えなくなっている。もはやユダヤ教社会は独自の文化を持つ離散民の集団ではなく、領土を持つ国家社会を中心として、世界各地に広がる民族となっている。それゆえ、ユダヤ民族をイコール、ディアスポラとする「ユダヤ・モデル」は修正されなければならない。ユダヤ民族は、人類の科学・思想・芸術等に多大な貢献をしてきた優秀な民族である。今後も、人類文明において、活躍が期待される。だが、彼らがイスラエルを建国したことで生じたアラブ民族との和解・共存に努めない限り、トインビーの思いは過剰な期待に終わるだろう。また、ユダヤ的価値観は、世界の調和的な発展を阻害するものとなっており、現代社会は価値観の転換が求められている。

 次回に続く。
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