ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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人権354~正義をめぐる現代の諸思想の比較

2016-09-18 10:14:40 | 人権
●自由主義の諸形態

 本章では、正義論の歴史を踏まえて、ロールズの正義論とその批判者及び継承者の理論と主張について概説してきたが、次に概説で触れた自由主義(リベラリズム)、コミュニタリアニズム、ケイパブリズム、コスモポリタニズム、リベラル・ナショナリズムについて総合的な比較・検討を行いたい。
 まず自由主義(リベラリズム)は、もともと権力の不干渉を求める思想・運動である。これを私は「原初的自由主義」と呼ぶ。バーリンは「~からの自由」と「~への自由」を区別し、前者を消極的自由、後者を積極的自由と呼んだが、原初的自由主義は消極的自由を確保する思想・運動だった。特に資本主義的な経済活動の自由を求め、政府による市場への介入や増税に反対する。干渉排除型または干渉制限型の自由主義である。
 自由主義と民衆の政治参加を求めるデモクラシー(民衆参政主義)は、歴史的に異なる由来を持つが、議会政治の発達するイギリスでこれらが融合するようになった。その結果、生まれたのが、リベラル・デモクラシー(自由民主主義)である。リベラル・デモクラシーは、自由主義の新たな形態であり、政治参加の権利を政治的自由権として獲得しようとする。私はこの段階の自由主義を「古典的自由主義」と呼ぶ。ロック、ヒューム、アダム・スミス、ルソー、カント等、第7章で述べた思想家の多くが、その代表的な論者である。古典的自由主義の中で、人民主導的な形態は民利追求型の自由主義であり、政府主導的な形態は国益実現型の自由主義である。
 古典的自由主義には、自由主義の原初的形態を保持して消極的自由を志向するものと、政治的自由権を拡大する積極的自由を志向するものがある。前者は、リバータリアニズム(自由至上主義)とも呼ばれる。
 やがて自由主義の中に、自由を中心価値としながら、平等を考慮する動きが現れる。これを私は「修正的自由主義」と呼ぶ。修正的自由主義はリベラル・デモクラシーの一種であり、社会権の確保・拡大を求める。これが急進的な場合は、議会政治を通じて社会主義を実現しようとする社会民主主義に近いものとなる。
 上記のように、自由主義は原初的自由主義、古典的自由主義、修正的自由主義という3段階を経て発展してきた。現代社会の自由主義は、デモクラシーとの融合を終えたリベラル・デモクラシーである。そのうち古典的自由主義を継承するリバータリアニズム以外は、修正自由主義に分類される。修正的自由主義は、平等に対する考慮の仕方によって考え方が分かれる。機会の平等か結果の平等か、所得の再配分をどの程度、またどのように行うか、国内だけで考慮するか、国際的に考慮するか等である。
 自由主義には、個人主義的な形態と集団主義的な形態がある。個人主義的形態とは、個人を単位とし、個人の自由と権利の確保・実現を目的とするものである。集団主義的形態とは個人の自由を尊重しつつ家族・地域・民族・国民等の共同性を重視し、集団の発展を目的とするものである。
 ロールズは、個人主義的自由主義者であり、国内社会について社会契約論を用いて正義論を説いたが、『諸国民衆の法』では、国際社会での主体を個人から人民・民衆に替えた。カントやヒュームのような包括的世界観に基づく包括的自由主義から離れ、政治の分野に取り組みを限った政治的自由主義を標榜した。後期ロールズは、国際社会に向けた対外的な局面では、個人ではなく民衆を主体とし、集団主義的自由主義に通じる姿勢を見せた。また国内社会では平等を考慮した修正自由主義の姿勢を示していながら、国際社会では自由を中心とし平等を原理としないことにより、修正的自由主義とは異なる態度を示した。このような変遷を見せたロールズは、幅広い議論を巻き起こす反面、様々な立場からの批判を浴びた。
 人間には、個人性と社会性の両面がある。個人主義的自由主義は、そのうち個人性の側面を重視するが、その傾向を極度に強く示すのが、リバータリアニズムである。現代におけるその代表的論者が、ノージックである。1980年代に伸長した新自由主義はこの系統だが、対外的に自らの思想を力の行使で実現しようとする新保守主義(ネオ・コンサーバティズム)と親和的である。修正的自由主義も個人主義的自由主義の一形態である。その代表的論者が、J・S・ミルと前期ロールズであり、特に平等を重視するのがドゥオーキンである。
 個人主義的な自由主義に対し、集団主義的な自由主義は、個人の自由を尊重しつつ社会性の側面を重視する。ヒューム、アダム・スミスは、個人主義的というより、集団主義的な自由主義者と見るべきであり、ケインズも同様である。集団主義的自由主義の今日的形態が、コミュニタリアニズムである。コミュニタリアニズムは、自由主義の個人主義的形態を批判し、サンデルの用語でいえば「負荷なき自己」に替わる「位置づけられた自己」を主張する。だが、自由を中心価値とする点では自由主義の一種であり、コミュニタリアン(共同体主義的)な自由主義である。
 個人主義的な自由主義には、各国家の中での個人の自由に関心を集中するものと、国家を超えた個人の自由を追求するものがある。この後者が、コスモポリタニズムである。修正的自由主義には、不平等の是正や大規模な所得の再配分の実現を求めるものがあるが、ネイションという枠を超えてそれらの実現を主張するのが、コスモポリタニズムである。
 自由主義は、自由を中心的な価値とする。その自由の概念を掘り下げたのが、ケイパブリズムである。ケイパブリズムの創始者センは、ロールズが自由を常に最優先すること、及び人によって基本財を利用する能力が異なることを考慮していないとして批判し、ケイパビリティ(潜在能力)という独自の概念を生み出した。センは、これによって、同じ基本財でも、それが実際に可能にする自由は、健常者と障害者、富裕者と困窮者等の間で異なることを明らかにした。ケイパブリズムは、自由主義の一種であり、実質的な自由としてのケイパビリティの拡大を目指す自由主義である。これも修正自由主義の一形態であり、国際的な不平等の是正や世界的な貧困の解決に積極的に取り組む思想である。センの協力者であるヌスバウムは、ケイパブリストであるととともに、代表的なコスモポリタンでもある。
 このように、自由主義には様々な形態と展開が見られる。それらに共通するのは、自由を中心価値とする近代西洋文明特有の価値観である。第1部で人権と自由について基礎的な検討をしたが、近代西欧発の人権の核心には自由がある。現代の正義論の諸思想は、そのことを改めて確認させるものとなっている。

 次回に続く。
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