ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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ユダヤ147~セム系一神教は脱皮すべき時にある

2018-01-04 10:42:53 | ユダヤ的価値観
セム系一神教は脱皮すべき時にある

 私は、世界平和のために中東に平和と安定が求められる時代において、ユダヤ教だけでなく、セム系一神教全体が新たな段階へと脱皮しなければならない時期にあるのだと思う。その脱皮に人類の運命の多くがかかっている。
 ユダヤ教にせよ、キリスト教にせよ、イスラーム教にせよ、科学が未発達だった千年以上も前の時代に生まれた宗教的な価値観を絶対化し、それに反するものを否定・排除するという論理では、どこまでも対立・闘争が続く。果ては、共倒れによる滅亡が待っている。それらの宗教が生まれた時代に人類が使っていた武器は、剣と槍と弓だった。しかし、その後、人類は核兵器を開発し、とてつもない破壊力を手にしている。世界規模の核戦争が勃発すれば、ユダヤ教徒もキリスト教徒もイスラーム教徒も、その外の民族的・宗教的・政治的な集団も、どれもみな生き残ることはできない。最悪の場合、人類は絶滅する。そのような核の時代において、かつての剣・槍・弓の時代の観念にとらわれていてはいけない。共倒れによる絶滅ではなく、共存共栄の道を求めなければならない。
 次に、地球の自然環境についても考えなければならない。セム系一神教は砂漠に発生した宗教である。そのために、自然に対する考え方に独自性を持つ。砂漠の生態系は、森林の生態系と異なり、限られた動植物で構成されている。そのような風土で発生した宗教が森林地帯に広がった時、森林の保全は軽視され、自然の支配や管理が目指される。斧や鍬、牛や馬によって開墾や伐採がされていた時代には、その弊害は少なかった。しかし、化石燃料を用いた動力源を伴う機械が開発に使われるようになると、その弊害は一気に増大した。このまま自然の征服・改造の文化を続けていくならば、人類の文明は自らの土台を危うくするばかりである。人類は生存と繁栄のために、自然と調和する道を見出さなければならない。
 自然の世界に目を転じれば、そこでは様々な生命体が共存共栄の妙理を表している。人智の限界を知って、謙虚に地球上で人類が互いに調和し、また動植物とも共存共栄できる理法を探求することが、人類の進むべき道である。宗教にあっても科学・政治・経済・教育等にあっても、指導者はその道を見出し、その道に則るための努力に献身するのでなければならない。そして、ユダヤ教とキリスト教、イスラーム教を合わせたセム系一神教には、その内部から互いに発展的に融合・進化することが期待される。また、そのために、宗教指導者間の対話の促進が望まれる。
 もっとも私は、一神教の諸宗教がそれ自体の内部的な動きだけで、大きく変化していくのは、難しいのではないかと思っている。そして、非セム系多神教の諸宗教には、その変化を促進する役割があると考える。セム系一神教文明群の内部抗争は、非セム系多神教文明群の仲介によってのみ、協調の方向に転じられるだろう。一神教文明群の対立・抗争が世界全体を巻き込んで人類が自壊・滅亡に至る惨事を防ぐために、非セム系多神教文明群が、あい協力する必要があると思うのである。
 セム系一神教文明を中心とした争いの世界に、非セム系多神教文明群が融和をもたらすうえで、日本文明の役割は大きい、と私は思う。非セム系多神教文明群の中でもユニークな特徴を持つ日本文明は、諸文明の抗争を収束させ、調和をもたらすために重要な役割があると考える。それは、日本文明には対立関係に調和を生み出す原理が潜在するからである。その原理を大いに発動し、人類を新しい文明に導く新しい精神文化が日本から興隆することが期待される。

 次回に続く。