ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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ユダヤ35~近代西欧科学とユダヤ教

2017-04-09 08:49:39 | ユダヤ的価値観
●近代西欧科学とユダヤ教

 ここで、人権及びユダヤ人の自由と権利の発達の話とはそれるが、西欧で発達した近代科学とユダヤ教の関係を差し挟んでおきたい。
 近代西欧科学は、ヨーロッパの近代化の進行の中で発達した。近代化とは、「生活全般における合理化の進展」(マックス・ウェーバー)を意味する。合理化は、文化的領域から始まった。文化的領域における近代化とは、宗教・思想・科学等における合理主義の形成である。14世紀から16世紀にかけてルネサンス、16世紀に宗教改革、17世紀に科学革命が起こり、文化的近代化が進み、世界観が大きく変わった。世界を合理的な考え方で理解する態度が支配的になったのである。
 この世界観の変化において大きな作用をしたものの一つが、天動説から地動説へのいわゆるコペルニクス的転換である。この転換は、16世紀の半ばから17世紀の初めにかけて、コペルニクス、ティコ=ブラーエ、ケプラー、ガリレオらが天体観測と数学的計算によって、もたらされた。世界観の転換は、西欧での科学革命を引き起こした。実験と計算が重んじられるようになり、神話的・教義的な意味付けは駆逐されていった。フランシス・ベーコンは、実験と観察にもとづく帰納法的学問こそが、人類に大きな利益をもたらすことを強調して、近代科学の論理学・方法論を発表した。ルネ・デカルトは、精神と物質の徹底した二元論、数学による幾何学的な自然観などによって近代科学の理論的枠組を打ち出した。ロバート・ボイルは、物質の基本構成要素として元素の存在を認め、化学の礎を開き、また実験科学を確立した。そして、アイザック・ニュートンが万有引力の法則を発見して地動説を完成させるとともに、機械論的世界観を確立した。
 近代西欧科学の機械論的な世界観は、自然は数理的な法則に従って運動する物質とみなす。人間と自然の間の霊的なつながりは決定的に失われ、自然は物質化・手段化された。そして人間には自然を征服・支配する力が与えられているという考えが支配的になった。物質科学によって得られた知識は、西欧人に合理主義的な思考を促し、宗教・思想・生活態度を合理的なものに変えていった。そして、合理主義的な思考の強化によって、近代科学は急速に発達した。物質科学の発達は、近代化の過程で決定的な役割を果たした。物質科学こそ近代文明の中心であり、近代西洋文明は物質科学文明と呼ぶことができる。
 ただし、科学は、近代西欧で突然発生したものではなく、近代西欧科学はイスラーム文明で発達していた科学を継承して、さらに発達させたものである。数学や医学、天文学、建築学、土木学、水理学、農学、植物学等は、古代のメソポタミア、エジプト、インド、シナ、ギリシャ、ローマ等で、様々な形で発達していた。私は、こうした近代西欧科学以前の科学を、伝統科学と呼ぶ。かつては科学と言えば、近代西欧で発生・発達したものという見方が定説となっていたが、それは西欧中心、西洋中心の偏った見方であり、またおごった見方である。近代西欧科学はそれまでのインド・シナ・ギリシャ・イスラームの諸文明における伝統科学を受け継ぎつつ、それが秘めていた可能性を爆発的に現実化したものである。
 近代西欧科学の発達は、人類の知識を一挙に広げた。人類に内在していた知能が、あたかも季節が来て木々の花が咲くように、一気に開花し始めたかのようである。まさに科学革命を中心とした近代化の進行によって、人類文明は大変化しつつある。
 西欧で発達した近代科学が、それ以前の非西欧的また前近代的な伝統科学と異なるのは、人間が自然を支配し、利用するという思想の上に立っている点にある。自然を物質化・手段化し、これを征服・支配し、資源として利用して、人間の生活や文化を豊かにするという考え方は、ヨーロッパ文明の特徴である。この特徴は、キリスト教に基づくという見方が、多くの論者の説くところである。確かにヨーロッパ文明のもとになった他の文化要素であるギリシャ=ローマ文明やゲルマン民族の文化には、こうした明瞭な特徴は見られない。
 キリスト教に基づくとされる根拠は、旧約聖書の『創世記』に、神が人間を自分に似たものとして創造し、人間に対して「海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」と命じたと記されていることによる。それが、自然を支配し、これを利用することが神から与えられた人間の使命であるという思想のもとになっている。多くの論者は、それをキリスト教の教えによると説いてきたが、『創世記』の記述はユダヤ教の教えであり、それがキリスト教にそのまま継承されているものである。それゆえ、人間が自然を支配し、利用するという思想は、キリスト教というより、ユダヤ教に基づくものであると言わなければならない。また、それゆえ、近代西洋科学を批判的に考察するには、ユダヤ教の研究が必要なのである。

 次回に続く。