ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

ユーロの危機7〜中国が急減速

2012-02-13 08:51:14 | 経済
 欧州債務危機が最も大きな影響を受けるのは、中国だろう。中国は典型的な外需依存型経済であり、最大の貿易相手先は欧州である。それゆえ、欧州諸国の需要が減ると、中国経済は強い打撃を受ける。欧州債務危機のわが国への影響は、欧州から直接来る大波以上に、中国経由で来る大波の方が高くなるだろう。
 私は、昨年12月31日、拙稿「中国は神話崩壊の1年」に、次のように書いた。
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/43d11406473d98c8d9a99fe507561c97
 「昨年は、猛進する中国が大きな壁にぶつかった年となった。内政では、経済成長で壁にぶつかった。インフレの進行と不動産バブルの崩壊開始によって、高度経済成長は終わりを迎えた。外政では、覇権外交で壁にぶつかった。米国のアジア太平洋外交に圧され、中国は東南アジアで孤立化しつつある。シナ系日本人の評論家・石平(せき・へい)氏は、これを『中国神話の崩壊』と呼ぶ。石氏は中国の動向を大局的に把握し、平成23年(2011)を『中国神話の崩壊の年』と位置付ける」と。
 石氏は、次のように言う。「今まで中国は通貨(元)の乱発をもって高い投資率を維持し高度成長を牽引してきたが、このようなゆがんだ成長戦略が生んだのはインフレの高進と不動産バブルの膨張だった。そして昨年来、政府はインフレ抑制のために金融引き締め政策を実施してきた結果、全国の中小企業は深刻な経営難に陥ってしまい、企業の『倒産ラッシュ』が起きた。その一方、金融引き締めの中で不動産市場は急速に冷え込み、それが秋頃からの不動産価格の急落につながった」「今後、不動産バブルの本格的崩壊に伴って経済の減速はよりいっそう進むだろうと思われる」と。
 中国では欧州向け輸出の伸びは、昨年9月以降、10%以下に減速しており、今年はさらに下がると予想されている。リーマン・ショック後、内需拡大のために打たれた自動車・家電の消費促進策等は昨年終了し、手が尽きている。高速鉄道追突事故の影響で路線建設など国内投資が縮小している。今年は欧州債務危機の影響が本格化し、1〜3月期の経済成長率は7%台に落ち込むとの見方が大勢を占める。ここで経済成長率とは、実質GDPの成長率を言う。
 それが7%台に落ち込むことは、中国において重要な意味を持つ。中国共産党は「保八」つまり成長率8%を保つことを至上命題としている。貧富の差が拡大、失業者が増加し、各地で暴動が頻発する中国では、成長率が8%より落ちると、政権は不安定になる。だから、「保八」が政権維持のために必須なのだ。
 IMFは、今年の中国の実質GDP成長率を1月段階で8・2%と予測していたが、1月6日、欧州債務危機が深刻化して最悪の事態を迎えた場合、4%台に急降下する懸念があるとの見通しを発表した。4%台となれば、中国では倒産・失業者が増加し、社会不安が激化するだろう。リーマン・ショック後、世界経済を牽引してきた中国経済が急減速すれば、世界的な景気後退が起こり、日本にも大きな影響が出るだろう。欧州債務危機のわが国への影響は、欧州から直接来る大波以上に、中国経由で来る大波の方が高くなるだろうと予想されるのである。
 以下は、関連する報道記事。

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●共同通信社 平成24年2月6日

欧州危機でIMF警告、中国、成長率最悪4%台へ
2012年02月06日(月) 21:21

 【北京共同】IMFは6日、中国の経済見通しを発表、欧州債務危機が深刻化し最悪の事態を迎えた場合、8%台としている今年の実質国内総生産成長率が4%台に悪化する恐れがあると警告した。中国の昨年の成長率は9・2%。世界経済のけん引役である中国が急減速すれば、世界不況に突入必至。中国国内でも雇用の急激な悪化で暴動などの発生が懸念され、欧州債務危機の早期解決を求める声が強まりそうだ。
(情報提供:共同通信社)
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南関東地震の発生確率高まる

2012-02-12 08:34:48 | 時事
 東日本大震災の影響で、首都圏の地震活動が活発化している。1月24日、東京大地震研究所のチームが、南関東でマグニチュード7クラスの地震が発生する確率は、「今後4年以内に約70%に達する可能性がある」という試算結果を発表した。
 これまで政府の地震調査研究推進本部は、今後30年以内の発生確率を70%程度としてきたので、一気に切迫性が高まったことになる。
 首都圏でのM3〜6クラスの地震は、東日本大震災前に比べて約5倍に増えている。研究チームがM6.7〜7.2の地震の発生確率を計算したところ、今後30年間に98%、4年後には70%になった。現在の地震発生頻度が10〜20年程度継続すると仮定した場合の数値だという。
 続いて、2月1日、京都大学防災研究所が、「5年以内に28%」という試算を発表した。こちらは昨年3月11日から本年1月21日までの首都圏で起きたM3以上の地震のデータをもとに計算したもの。東大が調査したのは大震災直後の余震が多い時期だったため、京大より高い数値が出たという。
 2月5日、東大地震研究所は再計算の結果、「4年以内に50%以下」と再度発表した。昨年9月中旬から12月までに観測した地震データを加えて計算し直したところ、以前と異なる数値になったという。
 最初のM7クラスが「4年以内に70%」という数字は、強烈だった。平成7年(1995)の阪神淡路大震災はM7.3で、死者・行方不明者は6,437人だった。首都圏で同規模の直下型大地震が起これば、被害はこの比ではない。政府の中央防災会議による首都直下地震の被害想定は、最悪の場合死者1万人超、経済被害は112兆円にものぼると推算している。よりエネルギーの大きかった関東大震災はM7.9ゆえ、M8クラスだった。死者行方不明者は、10万人を超えた。
 数年以内かどうかはわからないが、首都圏直下型地震は、近いうちにいつか起こる。そう覚悟しなければならない。最近の各種発表によると、東海地震は30年以内の発生確率が87%から88%に上がった。南海トラフ巨大地震は、東海・東南海・南海の3地震が連動した場合の想定震源域が従来の約2倍に拡大され、想定される地震の規模をM9・0に引き上げられた。
 これらの巨大地震に耐え、日本が存続し、繁栄を維持していくためには、防災を強化し、災害に強い日本を創ることが急務である。私は、特に早急に首都機能の分散化を進めるべきだと思う。東京への一極集中のままでは、首都が機能マヒになると、日本全体がマヒ状態に陥る。日本人の英知を結集して、来るべき巨大地震に備えなければならない。それをなし得るかどうかは、国民の精神にかかっている。日本人には、もはや豊かさと安全に呆けている暇は無い。家族と仲間、ふるさとと日本を守るために、各自のできることに心を尽くそう。
 以下は関連する報道記事。

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●NATIONAL GEOGRAPHIC 平成24年1月24日

http://www.excite.co.jp/News/science/20120124/Nationalgeo_00020120124001.html
M7首都直下地震4年以内の確率70%
2012年1月24日 14時38分

 昨年3月11日の東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)の影響で、首都圏の地震活動が活発化している。これに伴い、マグニチュード(M)7クラスの首都直下地震の発生確率を東京大学地震研究所の研究チームが試算したところ、「4年以内に起きる可能性は70%」と、切迫性がかなり高まっていることが分かった。
 首都圏でのM3〜6クラスの地震は、東日本大震災前に比べて約5倍(1日当たり1.48回)に増えている。地震の規模(マグニチュード)の小さい地震が増えると、より大きい地震の発生確率も高まること(注)から、研究チームがM6.7〜7.2の地震の発生確率を計算したところ、今後30年間に98%、4年後には70%になったという。
 政府の地震調査研究推進本部は2004年に、南関東でのM7クラスの地震の発生確率は「今後30年間で70%程度」と評価しているが、これは過去150年間に起きたM6.7〜7.2の地震を数えて、その頻度から発生確率を算出した。東北地方太平洋沖地震の以降は同クラスの地震が起きていないので、発生確率は変わっていない。
 同研究所は「首都直下地震では、家屋の耐震補強や家具止めで8割の被害軽減ができる。今から対策を」と呼びかけている。

●J―CAST 平成24年2月6日

http://www.j-cast.com/2012/02/06121312.html
 これまで首都圏で大地震が発生する確率は、文部科学省の地震調査研究推進本部が計算した「30年以内に70%程度」という数値が定説だったため、危機感が一気に増した。
 しかし12年2月1日、京都大学防災研究所が「5年以内に28%」という全く異なる試算を発表した。こちらは11年3月11日から12年1月21日までの首都圏で起きたM3以上の地震のデータをもとに計算している。
 東大と京大の数値の差については、両大学とも「Mが1上がるごとに地震の発生確率が10分の1になる点と、東日本大震災に誘発された地震がどのくらいの頻度で起きているかを組み合わせる」という方法で計算しており、観測データが増えるとそのたびに確率が変わる。東大が調査したのは大震災直後の余震が多い時期だったため、京大より高い数値が出たということだ。
 その後、2月5日には東大地震研究所による「4年内に50%以下」という再計算の結果が報じられた。新聞報道によると、9月中旬から12月までに観測した地震データを加えて計算し直したところ以前と異なる数値になったという。
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連掲示
・拙稿「安政三大地震と巨大地震の世紀」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/ef1dfeedd8f30f50553b8374c0dc7609
・拙稿「東海地震・南海トラフ巨大地震への備えを」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/94f600e480751bf2405978cbd1ccaabc
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2・11は建国記念の日3

2012-02-11 08:06:41 | 日本精神
 9〜10日と「建国記念の日」について拙稿を掲げた。本年の「建国記念の日」に当たり、全国紙4紙のうち、社説で取り上げたのは産経のみ。例年そうだが、これも国民全体の意識を反映しているものだろう。
 産経は、「昨年3月11日の東日本大震災のあと初めて迎えるきょうの『建国記念の日』は、例年にもましてその意義が一段と強く胸に迫ることだろう」と書いている。また、本年が古事記の完成から1300年にあたることにも触れている。日本建国の佳日に一読するに値する。

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●産経新聞 平成24年2月11日

http://sankei.jp.msn.com/life/news/120211/trd12021103020001-n1.htm
【主張】
建国記念の日 歴史への誇りこそ底力に
2012.2.11 03:02

 昨年3月11日の東日本大震災のあと初めて迎えるきょうの「建国記念の日」は、例年にもましてその意義が一段と強く胸に迫ることだろう。
 大震災と原発事故によってわが国は未曽有の困難に直面し、今は復興と並んでさらに多くの難題が加わっている。内に経済不安や急激な少子化による国力の衰退懸念を抱え、外との間では、領土・領海が中国などによって脅威にさらされ、日米同盟の弱体化が国家の安全保障を不安定なものにしている。
 わが国の存立基盤は危機的状況にあるといわざるを得ない。
 しかし、危機をはね返す底力は日本人に備わっているはずだ。先の敗戦後でも、日本人は一致団結して復興を成し遂げた。
 思い起こしたいのは、被災地で命懸けの救援にあたった自衛隊の活躍だ。救出した人は1万9千人を超える。国家と国民を守る組織があったればこそだ。絶望の中で冷静に行動して助け合った日本人の姿も、目に焼き付いている。
 国民の多くがそこに民族の精神の柱を見たはずである。その淵源(えんげん)は、紀元前660年の建国に求めることができるのではないか。
 『古事記』や『日本書紀』などには、国生みの神話などに続いて神武天皇即位の記述がある。現在の「建国記念の日」につながるものだが、残念ながら戦後、神話も建国のいわれも皇国史観や軍国主義に結びつけられ排除された。
 代わって反日的な自虐史観が勢いを増し、健全な愛国心が希薄になった面もある。自国の歴史を否定する国家にどうして民族の誇りや自信が育ち得ようか。
 わが国では、建国当初の国家が一度の断絶もなく現在まで継承され、神武以来125代にわたって一系の天皇を戴(いただ)いてきた。日本人は、神話や建国の物語とともに、この世界にもまれな歴史に畏敬と誇りをもち、幾多の国難を凌(しの)いで国造りに努めてきたのである。
 今年は古事記の完成から1300年にあたる。国民が神話を見直し、古代人のものの見方や国造りに対する考え方に触れる契機にしてほしい。
 苦しいとき、人は故郷(ふるさと)を思い出して試練に耐えることができる。日本人が現下の国難に立ち向かって底力を発揮すべく誇りと自信を取り戻すには、国家と民族の故郷ともいうべき建国の経緯を振り返ることが必要ではなかろうか。
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2・11は建国記念の日2

2012-02-10 08:45:22 | 日本精神
 昭和26年(1951)、日本はサンフランシスコ講和条約を結びました。国の独立回復にあたり、わが国の伝統を保ちたいとする政府は、世論調査を実施しました。その結果、祝日に残したい日の第1位は正月、第2位は4月29日の昭和天皇誕生日でした。この日は当時、天長節と呼ばれていました。今は「昭和の日」と呼ばれています。そして、残してほしい祝日の第3位が2月11日でした。
 当時の吉田茂首相は、「紀元節の復活から手を付けていきたい」と国会で答弁しました。そして、昭和27年(1952)4月28日の主権回復以降、紀元節復活運動が行われました。法制化の努力が続けられた結果、昭和41年(1966)6月の国会で、ついに祝日法(国民の祝日に関する法律)の改正がなりました。この時、紀元節は、「建国記念の日」と名を変えて復活することになりました。昭和42年(1967)2月11日には、第1回の「建国記念の日」が祝われました。
 このように、建国記念の日は、敗戦後、日本人の努力で取り戻した日です。国民の努力によって、日本の歴史の原点を取り戻すことができたものです。
 戦後の日本は、6年8ヶ月に及ぶ占領が行われ、この間、日本弱体化政策が強行されました。昭和27年に主権を回復した後には、二つの動きがあります。一つは、占領軍の意志を引き継ぎ、日本の主権を制限されたままにし、固有の歴史観や国家観を否定しつづけようとする動きです。こちらは、「進歩的文化人」を代表とする近代化主義者や、社会主義者、共産主義者による動きです。これに対し、日本を再び独立自尊の国として立て直そうという動きもありました。その運動の代表的なものが、失われた2月11日を取り戻す努力、紀元節復活運動でした。担い手は、日本の伝統や文化を愛する人たちです。
 昭和42年に、「建国記念の日」が制定されて以降、昭和49年(1974)には元号法制化の運動が起こり、昭和53年(1978)に法制化がなりました。また、昭和50年(1975)には昭和天皇のご即位50年奉祝運動が行われました。昭和60年(1985)には同じくご即位60年奉祝運動が行われました。また、「日の丸」「君が代」の法制化運動も行われ、これは平成11年(1999)に国旗国歌法が制定に結実しました。このように、日本再建に向けての努力は、戦後ずっと続けられてきたのです。その努力のきっかけとなったのが、紀元節の復活運動であり、2月11日の意義を知ることは、日本の伝統と文化を理解することになるのです。

 さて、わが国の政府は一時、「建国記念の日」の建国記念式典を後援していたのですが、平成18年(2006)以降は記念式典そのものが行なわれていません。せっかく長年の努力によって回復した記念日が形骸化していることは、大変残念なことです。
 「建国記念の日」が制定された昭和41年(1966)以降、「建国記念の日奉祝会」という民間団体が建国記念式典を開催し、本来は首相出席の上、政府が記念式典を主催すべきことを訴えてきました。昭和53年(1978)に総理府の後援が実現し、以後、文部省・自治省も後援に加わったのです。ところが、昭和59年(1984)、中曽根康弘政権は、式典プログラムから「神武建国」を削除すること、及び「天皇陛下万歳」を「日本国万歳」に変更することを、首相出席の条件として提示しました。民間側はこの政府の要求を拒否したため、昭和63年(1988)からは政府後援の「『建国記念の日』を祝う国民式典」と、民間側の「建国記念の日奉祝中央式典」が別個に開催されるようになりました。
 民間主催の集会は、現在も一貫して「神武建国」「天皇陛下万歳」のある形で行われています。政府後援(主催ではない)の集会は「神武建国」「天皇陛下万歳」のない形で行われていましたが、平成17年(2005)に役員の高齢化を理由に式典が中止になり、翌18年(2006)には一切の行事が取り止めとなってしまいました。以後、記念式典そのものが行われていません。こうした現状を改善すべく国民運動が行われています。
 日本の建て直しは、日本建国の由来を知り、その伝統に誇りを持つことから始まります。政府が式典を主催するとともに、建国の由来を教科書に記載し、青少年に教育すべきであります。
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2・11は建国記念の日1

2012-02-09 09:54:54 | 日本精神
 2月11日は現在、「建国記念の日」という祝日になっています。国民の祝日に関する法律(祝日法)では「建国をしのび、国を愛する心を養う」ことを趣旨としています。しかし、学校教育や新聞、マスコミなどの情報の中で、この日の意義は、ほとんど伝えられていません。
 2月11日は明治時代から昭和23年(1948)までは紀元節と呼ばれていました。紀元節が設けられたのは、明治維新の後のことです。幕末の日本は、西欧列強の植民地にされるおそれがあり、その危機感の中で、日本人は、新しい国民結集の政治体制をつくろうとしました。その方向性を決定づけたのが、慶応3年(1867)12月に出された「王政復古の大号令」でした。その中には、「諸事神武創業のはじめにもとづき……」という文言があります。初代・神武天皇の建国をモデルにすることが謳われ、新国家建設が進められたのです。
 神武天皇は、建国にあたり「八紘(はっこう)を掩(おお)ひて宇(いえ)と為(せ)む」つまり「天下に住むすべてのものが、一つ屋根の下に大家族のように仲良くくらせるようにする」という理念を掲げました。そして、奈良県の橿原の地で、天皇の御位におつきになったと『日本書紀』に記述されています。それは、「辛酉(かのととり)年春正月」の一日のことだといいます。この日を太陽暦に換算すると2月11日となります。そこで、明治6年(1873)に、2月11日が紀元節と定められたのです。「元」とは元始の義であり、また年号のことにも用います。そこで、日本の紀元の始まる日であるとして、紀元節と名づけたものでした。
 アメリカは独立後に独立記念日、フランスは革命後に革命記念日を設け、毎年、国を挙げて祝っています。これにならい、日本は明治維新後に紀元節が定められたのです。そこには、国の伝統、建国の理念を踏まえつつ、新しい近代国家を建設しようという志が込められています。
 こういう意義ある日ですので、明治憲法を発布する際にも、この日が選ばれました。帝国憲法は明治22年(1889)の2月11日に発布されたのです。国の初めの日に、新しい憲法を発布して、立派な国づくりをしようとしたわけです。
 戦前、紀元節は国民的な祝祭日として祝われ、「雲に聳(そび)ゆる高千穂の……」という『紀元節』の歌が小学校などで歌われました。
 ところが、大東亜戦争の敗戦後、わが国を占領したGHQは日本の伝統を破壊しようとしました。占領軍の資料『降伏後における米国の初期対日方針』には、「日本国が再び米国の脅威となり、または、世界の平和および安全の脅威とならざることを確実にする」と、占領の目的が書かれています。すべて、この目的に沿って占領行政が行われました。
 独立国同士の関係にあって、未来永劫に決して脅威とならなくするためには、米国の属国状態に置かない限りあり得ないことです。GHQはまさにそれをめざしました。
 GHQは占領政策の一環として、昭和23年(1948)に祝祭日を変える方針を打ち出しました。これによって、紀元節はこの年をもって廃止されました。2月11日という日を否定することで、日本の神話、歴史、天皇と国民のつながりを破壊しようとしたのです。

 次回に続く。
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2・7は北方領土の日3

2012-02-08 09:13:16 | 時事
 別掲の拙稿に「領土問題は主権の問題、国防の問題であり、つきつめると憲法問題であることを、認識したいと思います。侵されているのは、北方四島・竹島・尖閣諸島より以上に、1億2千万の日本人の精神そのものなのです」と書いたが、本年の「北方領土の日」に当たって、全国紙4紙のうち、社説で取り上げたのは産経のみ。他紙の意識の低いことは以前からだが、国民全体の意識を反映しているとも言えよう。
 産経は、一部の専門家や政治家がプーチンが大統領に復帰すれば、北方領土問題が前進すると見るのを批判する。「プーチン氏は北方領土が『第二次大戦の結果、ソ連・ロシア領となった』と断言し、その意を受けたメドベージェフ大統領らは北方領土の恒久支配化を進めてきた。大統領復帰後に対日譲歩が得られる根拠は何もない。甘い幻想の下に問題を先送りする融和的外交では、同じ過ちを繰り返すだけだ。日本にいま必要なのは、法と正義の下に四島返還の主張を国民と政府が団結して貫いていくことである」と述べている。
 この意見は、2月7日同紙に載った木村汎北大名誉教授の見解と同主旨のものである。木村氏は旧ソ連・ロシア問題の専門家として、プーチン=メドベージェフ双頭体制の対日政策、北方領土動向を詳細分析し、プーチン復帰後への甘い幻想を否定する。先の記事と併せてクリップする。

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●産経新聞 平成24年2月8日

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120208/plc12020803030006-n1.htm
【主張】
北方領土 ロシアに甘い幻想は禁物
2012.2.8 03:03 [主張]

 野田佳彦首相は「北方領土の日」の7日、北方領土返還要求全国大会で「北方領土問題の解決が極めて重要」と語り、ロシアとの交渉を「粘り強く続ける」との決意を表明した。
 日本固有の領土である北方四島は戦後66年以上もソ連・ロシアの不法支配が続き、最近はその恒久化が進んでいる。北方領土返還が日本外交の最重要課題の一つであることは言うまでもない。問題は政府がそのための実効性ある方策を示していないことだ。
 玄葉光一郎外相は先月28日の日露外相会談で、ラブロフ露外相と「静かな議論を続ける約束」をしたと述べ、「世論が割れないことが何より重要だ」と強調した。
 しかし、双方が対立する問題で「静かな議論」とは「決着の先送り」にほかなるまい。北方領土の共同経済開発では、日本は主権を侵害されない条件下で認めようとしているが、ロシア側は日本に配慮すると言いつつ自国の法制を適用する構えだ。これでは、不法占拠の正当化になりかねない。
 さらに懸念されるのは四島返還を求める国民の期待に水を差すような言動があったことだ。全国大会でも、北方四島の一括返還に対し、「日本政府の方針ではない」「現実的な解決を主張していく」などの意見が紹介された。世論分断を狙うロシアの思うつぼだ。
 一部の専門家や政治家は、プーチン露首相が来月4日の大統領選で返り咲けば、問題が前進するとみる。だが、プーチン氏は北方領土が「第二次大戦の結果、ソ連・ロシア領となった」と断言し、その意を受けたメドベージェフ大統領らは北方領土の恒久支配化を進めてきた。大統領復帰後に対日譲歩が得られる根拠は何もない。
 甘い幻想の下に問題を先送りする融和的外交では、同じ過ちを繰り返すだけだ。日本にいま必要なのは、法と正義の下に四島返還の主張を国民と政府が団結して貫いていくことである。
 そのためには首相自ら「北方領土問題の解決こそ地域の安定と発展につながる」と世界に根気強く発信していくことだ。
 今年はアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議が初めてロシアのウラジオストクで開かれる。5月には主要国首脳会議(G8)もある。
 北方領土問題を世界に訴える好機だ。国を挙げて生かしたい。

●産経新聞 平成24年2月7日

http://sankei.jp.msn.com/world/news/120207/erp12020703130000-n1.htm

【正論】
北海道大学名誉教授・木村汎 プーチン氏の水も辛い北方領土
2012.2.7 03:12

 3月4日のロシア大統領選でプーチン現首相の当選はほぼ確実だという予測には、私も与(くみ)する。同意できないのは、プーチン氏の大統領復帰に伴って、懸案の北方領土問題を解決するチャンスが到来するという安易な臆測である。2島ぽっきり返還でこの論争にケリをつけることのみを狙うクレムリン戦略に、結局、乗じられてしまう危険性大だからである。

≪多元方程式の5変数の1つ≫
 日露間の領土交渉は多元方程式の解を求める作業であり、少なくとも5つの変数が絡んでいる。ロシア指導部、ロシア世論、日露間の力関係、日本側の交渉法、国際状況である。プーチン氏の大統領への返り咲きは、そのうちの1つが変わるにすぎない。それは、確かに最重要変数であるかもしれないが、そうだとしても、以下の2点に注意する必要がある。
 第一は、大統領がメドベージェフ氏からプーチン氏へと代わることの意味を、過大評価してはならないということである。メドベージェフ大統領−プーチン首相の双頭体制下の4年間に、ロシアの対日外交を決めていたのは、本当はプーチン氏だったからだ。
 例えば、メドベージェフ大統領が一昨年11月に強行した国後島への上陸ですら、実のところ、プーチン首相の黙認なしにはあり得なかっただろう。ロシアの国家元首の誰一人としてあえてやらなかった北方領土訪問を、プーチン氏の事実上の「部下」たるメドベージェフ氏が独断で成し得たはずがない。訪問はプーチン氏の承認、いやひょっとすると、奨励すら受けて、行われたに違いない。

≪国後訪問も親分の差し金?≫
 そのことは、メドベージェフ大統領の国後訪問に続き相次いで北方領土入りしたロシアの要人たちが一体、誰だったかを知れば、自ずと明らかだろう。一人の例外もなく、大統領府ではなくて首相府の人間、すなわちプーチン氏直属の部下だったのである。
 第二に注意すべきは、メドベージェフ氏に比べてプーチン氏が対日政策に関してより融和的であるということを示す根拠が、どこにもないことである。
 一般的にいって、「プーチノクラシー」は、ゴルバチョフ主義やエリツィン主義へのアンチテーゼである。プーチン氏の対日戦略もその意味で例外ではない。
 旧ソ連のゴルバチョフ、新生ロシアのエリツィンの両大統領は、北方四島を日露間の領土交渉の対象地域と決め、ビザ(査証)なし交流を提唱したり、交渉の指導原則として「法と正義」に準拠することに合意したりした。それはプーチン氏の目にロシア側から日本への過大な譲歩と映る。これら2人の先輩権力者が日露関係に残した「負(?)の遺産」をなし崩し的に修正し克服していかねばならない。プーチン氏がそう決意していることは想像に難くない。
 プーチン氏はまず、ビザなし交流プログラムに数々の嫌がらせを加え、あわよくばプログラムを廃止に追い込もうともくろむ。このプログラムは、プーチン氏の考えに立てば、ロシア側には実に具合の悪い、次のような理論的前提に基づいているからである。
 北方四島は今後の交渉次第で日露いずれの領土になるか未確定の地域である。主権帰属に関し黒白が決せられていない灰色地帯であり、それゆえ、そこに出入りする日本人にパスポートの所持またはビザ取得が免除される−。

≪ロシアに一石三鳥の共同開発≫
 プーチン氏はビザなし交流プログラムを締め付ける一方で、日本側に対し、四島の「(日露)共同経済開発」を執拗(しつよう)に提案する。万一、日本側が提案に乗ってくれれば、ロシア側に“一石三鳥”の効果をもたらすからである。
 まず経済的利益である。日本のカネ、モノ、ヒト、科学技術が四島や周辺海域に導入され、現地経済が一気に活性化する。つまり、ロシア中央、サハリン州政府が十分やれないことを、日本が肩代わりしてくれることになる。
 次に法的利益である。共同開発の実施に伴って発生する事故、犯罪、トラブルはすべて、四島を実効支配するロシアの法律によりロシアの裁判官の手で裁かれる。そのことを通じて、ロシアによる事実上(de facto)の四島支配は、法的(de jure)な支配にまで高められる。
 そして心理的、外交的利益である。経済的利益が得られる限り文書の上でどの国に主権が属するかはさして問題ではないといった心理を、元日本人島民の間に醸成でき、さらには、日本人一般が「経済的利益に目がくらんで、ついに領土返還を諦めた」というイメージを全世界に広げられる。そこまでいければ、万々歳である。
 プーチン氏の大統領返り咲きは99%動かないかもしれない。それはしかし、次期政権が無事安泰であることを意味しない。6年の任期中には、北方領土をめぐる多元方程式の他の変数にも必ず何らかの変化が表れよう。日本側が諦めない限り領土の返還はいずれ実現する。「北方領土の日」の今日、改めてそう胸に刻みたい。(きむら ひろし)
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2・7は北方領土の日2

2012-02-08 09:11:51 | 時事
●北方領土返還運動と交渉の遅滞
 
 北方領土返還動は、終戦の年、安藤根室町長がマッカーサーに直訴したことに始まります。以後、返還要求の声は全国に広まり、各地で様々な団体による返還運動が展開されています。返還を求める署名は約7千万人にも上っています。
 日本はサンフランシスコ講和条約で、多くの国と講和条約を結び戦後処理を行いました。日本は千島列島、樺太の一部の権利、権原、請求権を放棄しました。この時、わが国は千島列島に対する領有権を放棄したのですが、わが国の政府は、同条約による「千島列島」には、日露和親条約で国境を定めた択捉島以南の南千島は含まれないとしています。この択捉島以南の南千島が、日本固有の北方領土です。一方、北方領土を除く千島列島、つまりわが国が放棄した北千島については、講和条約に帰属先が明記されていません。ソ連は講和条約に署名していないので、南樺太および北千島の領有権は「未定」であるというのが、わが国の政府の立場です。
 講和条約締結後、アメリカは、北方四島は常に固有の日本領土の一部をなしてきたものであり、かつ、正当に日本の主権下にあるものとして認められなければならない旨の公式見解を明らかにして、日本の立場を一貫して支持しています。
 わが国は、北方領土の返還を求めて交渉を続けてきましたが、旧ソ連及びロシアは、日本との間に領土問題は存在しない、といって問題そのものを認めない姿勢を続けました。ようやく平成5年(1993)、エリツイン大統領が訪日した際、北方四島の帰属問題を「法と正義の原則に基づいて解決する」と確認した「東京宣言」が宣言されました。宣言では、北方四島の島名を列挙して、領土問題はその帰属に関する問題と位置づけられました。
 しかし、その後もいっこうに進展は見られません。北方領土問題が解決していないため、わが国は、今もロシアとは正式な平和条約を結んでいません。南樺太および北千島の領有権は「未定」のままです。日本の戦後は終わっていないのです。
 わが国の政党の中で、日本共産党は、全千島列島の返還を唱えています。同党によると、日露領土問題の根源は、第2次世界大戦終結時のスターリンの覇権主義的な領土拡張政策にあり、ヤルタ会談を根拠とした千島列島の併合は、「領土不拡大」の原則を蹂躙するものです。そして、サンフランシスコ講話条約の「千島放棄条項」を見直し、択捉島以北を含む全千島列島について「返還されるべき正当な根拠を持った日本の領土」としてロシアと交渉すべきとしています。この論理で言うならば、南樺太も対象に含まねばなりません。わが国の政府は、ソ連は講和条約に署名していないので、南樺太および北千島の領有権は「未定」であるという立場です。ソ連及びその法的継承者であるロシアとの交渉は、北方4島に限定して行われてきており、今から対象を広げることは、交渉を難しくします。私は、北方4島は日本の「固有の領土」としてわが国に返還してもらい、帰属が「未定」の南樺太・北千島はロシア領と認めるというのがよいと思います。
 今日北方四島では、ただ同然の価格で私有化が進められているといいます。他国の領土を不法占拠して返さないどころか、住み着いた者で分けてしまおう、というのでしょう。そのため、日本政府は領土問題交渉で、ロシア中央政府、サハリン州行政府だけでなく、民間の土地所有者にも配慮しなければならなくなっています。
 国家において、領土を失うことは、独立主権国家としての威信や国民の誇り等の無形の価値の喪失が大きいと思います。それを前提としての話ですが、平成3年(1991)、当時自民党幹事長だった小沢一郎氏が独断で訪ソして、ゴルバチョフ書記長と会談した際に作成した資料で、北方4島の資産価値を5,000億円としたことが話題になりました。北方領土はロシアに不法占拠されているので、わが国は当地で生産活動を出来ていませんが、豊かな漁場なので漁業ができ、また温泉等による観光業も行えるでしょう。それ以上に重要なのは、石油・天然ガスが埋蔵されている可能性があり、潜在的な資源価値は大きいでしょう。

●ねばり強い返還交渉を

 2月7日を北方領土の日としているのは、北方四島がわが国固有の領土であることを日露両国が初めて確認した日露通好条約の調印された日を記念して、昭和56年に定められたものです。
 日露両国間の最大の懸案は北方領土問題です。この問題が解決されなければ、両国間に、真に友好的な関係は生まれないでしょう。わが国は北方四島の主権がわが国にあることを機会あるごとに主張しつつ、ねばり強く領土問題の解決をはかっていく必要があります。それは、単に北方四島という領土を回復するということだけでなく、わが国が独立主権国家として、侵害されている主権を回復するという意味があります。
 今日の韓国・中国の日本に対する法外な領土の主張は、北方領土に対する日本の弱腰の姿勢を見て、強引に主張・行動すれば、日本は言いなりになる、という認識をもって迫っているものと思われます。
 わが国は北方四島の主権がわが国にあることを機会あるごとに主張しつつ、ねばり強くロシアとの領土問題の解決をはかっていくべきでしょう。そのことが、竹島・尖閣諸島を巡る問題においても、主権国家としてのあり方を明確にしていくことになると思います。

●領土問題の根本は憲法問題

 大東亜戦争の終戦時のどさくさにまぎれて侵攻したソ連は、北方四島を不法占拠し、ロシアもまたそのまま居座っています。返還交渉は、半世紀以上たって、いまだに解決を見ません。そういう体たらくのわが国に、韓国や中国が領土侵犯を行ってきているのです。
 北方領土返還問題が解決しないのは、わが国に主権を裏付ける実力、すなわち国防力が整備されていないことに原因があります。竹島・尖閣諸島についても、わが国が領土の侵犯、領海の侵犯を強く主張できないのは、ここに根本原因があります。
 対外的な主権は、実力つまり武力によってのみ裏付けられます。国民に国防の意思が薄弱であれば、対外的な主権意識は低下します。日本国憲法を審議した帝国議会において、当時の憲法学者・佐々木惣一は、「第9条が独立性を失った卑屈な国民を形成していくのではないか」と危惧を述べていました。その懸念のとおり、戦後憲法制定後、国防をおろそかにし、国民の国防意識が低下してきたことが、主権意識の低下を生じています。それがそのまま領土意識の希薄さに結びついているのです。その希薄さにつけこんで、他国が領土を不法占拠しつづけ、また領土や領海を侵犯しているのです。これに対して、わが国は言葉による抗議だけで、実力による行動を出来ない状態です。
 実力の裏づけのない外交は、相手国になんら圧力を感じさせません。現行憲法の第9条をそのままにしながら、領土の返還交渉をいくら続けても、埒があかないのです。多くの日本人は、この点を自覚していないのではないでしょうか。憲法の放置と共に、不法占拠された領土を放置してきてしまったのです。そのことが、日本人の主権意識・領土意識を薄弱なものにしています。
 領土問題は主権の問題、国防の問題であり、つきつめると憲法問題であることを、認識したいと思います。侵されているのは、北方四島・竹島・尖閣諸島より以上に、1億2千万の日本人の精神そのものなのです。
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2・7は北方領土の日1

2012-02-07 08:55:34 | 時事
●北方領土問題はどうして起こったのか?

 本日は「北方領土の日」です。昨年のこの日から本日まで、領土返還に前進は見られませんでした。ロシアでは3月に大統領選挙がありますが、当選が確実視されるプーチン現首相は、わが国の北方領土への実効支配を強めており、既成事実化が進められています。わが国の政治は混迷を深め、外交交渉力が低下しており、解決への道は、なお長く困難な道となりそうです。
 そもそも北方領土問題の発端は何だったのでしょうか。
 大東亜戦争の終戦間近、アメリカの原爆投下で日本が決定的に弱まったとき、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄して、対日参戦しました。昭和20年8月9日のことです。それは背後から袈裟懸けに斬りつけてくるような不意打ちでした。ソ連は満州・南樺太に侵攻し、略奪の限りを尽しました。日本は、8月15日に「ポツダム宣言」を受け入れて、条件つき降伏をしました。すると、ソ連はその3日後の8月18日から、千島列島に攻め込んできました。
 ソ連が列島北端の占守島に上陸し始めたとき、日本軍はこれに応戦し、激しい戦いを繰り広げました。しかし、日本軍は北部方面司令官の命令で23日に局地停戦協定を結び、降伏しました。アメリカが侵攻してきていないことを確認したソ連軍は、8月28日に択捉島、9月1日に国後島、色丹島、9月3日に歯舞群島に上陸し、9月4日には全四島を占拠し終えました。
 当時四島にはロシア人は一人もおらず、日本人は四島全体で約1万7千人が住んでいました。島で生活していた人々の中には、着の身着のまま逃げてきた人もいます。住み慣れた土地を離れられなかった人々も、昭和22年にはソ連軍によって強制的に日本へ送還されました。以後、旧ソ連及びロシアは、北方四島をそのまま不法占拠し続けているのです。

●北方四島は、歴史的にも条約上も日本領

 北方四島がわが国固有の領土であることは、歴史的に明らかなことです。北方領土は、歴史的に、一度も外国の領土になったことがないわが国固有の領土であり、また、国際的諸取決めからみても、わが国に帰属すべき領土であることは疑う余地もありません。
 幕末の1854年2月7日に、日本はロシアを「日露和親条約」を結び、千島列島は択捉島とウルップ島の間を国境とし、樺太は両国民混住の地と決められました。明治維新後、わが国は、1875年に、千島列島をロシアから譲り受ける代わりに、樺太全島の権利を放棄する「千島樺太交換条約」を結びました。この条約では、譲り受ける千島列島として、シュムシュ島からウルップ島迄の18の島があげられています。その中に国後島、択捉島、色丹島、歯舞群島は入っておらず、これらの島々が日本領であることを物語っています。北方4島は、福岡県の面積にほぼ等しい総面積を持っています。千島列島とともに世界三大漁場の一つにあり、豊かな資源に恵まれています。
 こうしたわが国固有の領土である北方四島が、大戦後、現在もなお、ロシアの不法占拠の下に置かれています。北方四島の返還を一日も早く実現することは、まさに国家の主権にかかわる重大な課題です。
 ソ連の行為は、連合国の第二次大戦の処理方針である「領土不拡大の原則」に反しています。
 連合国は、「領土不拡大の原則」を度々宣言しています。昭和16年(1941)の英米共同宣言(大西洋憲章)や、昭和18年(1943)、アメリカ・中華民国・イギリスの指導者が集まって協定を発表したカイロ宣言もそうでした。カイロ宣言では、「われわれは、日本の侵略をやめさせるために戦争をしているのであって、自国の領土を拡大する意図はない。日本が、暴力(戦争)でとった領土は返される」と述べています。「領土不拡大の原則」は、日本が受諾し、降伏のきっかけとなったポツダム宣言のなかにも引き継がれています。
 この原則に照らすならば、わが国固有の領土である北方領土の放棄を求められる筋合いはありません。またそのような法的効果を持つ国際的な取り決めも存在しません。

●ヤルタ密約とスターリンの野望

 ソ連が北方領土の領有を主張する最も有力な根拠としているのが、ヤルタ協定です。この協定は、昭和20年(1945)2月、アメリカのルーズベルト大統領、イギリスのチャーチル首相、ソ連のスターリン元帥が、クリミヤ半島にある保養地ヤルタに集まって取り決めた秘密協定です。その内容は、「ソ連が、日本に対する戦争に参加すること。日本の敗戦において、樺太の南部とこれに隣接するいっさいの諸島はソ連に返還され、千島列島はソ連に引き渡される」というものでした。
 しかし、ヤルタ協定は、米英ソ三国間の密約にすぎず、わが国が批准した国際条約ではありません。わが国はそれに拘束される国際法的な根拠は何もありません。ヤルタ協定の当事国である米国は、昭和31年(1956)、「ヤルタ協定はただそれを署名した国の首脳が共通の目的を述べたにすぎない」と認め、「その当事国によるいかなる最終的決定をなすものではなく、また領土を移転するいかなる法律的な効果を持つものではない」という見解を明らかにしています。
 平成9年10月に米国立公文書館で「米ソ密約地図」が発見されました。それによると、米ソ両国が対日戦における軍事行動の範囲を定めた秘密合意では、千島列島のソ連軍占領地域を北千島四島に限定、北方領土を含む残りの千島中・南部は米軍の占領地域と指定しており、ソ連軍の全千島占領は、米ソの密約に反して行われた事実が、明らかになりました。北方四島の占拠は、米との合意を破ったソ連の膨張主義的軍事行動だったのです。
 スターリンのねらいは、全千島だけではなく、北海道を武力制圧することにありました。米軍がこれを察知し、すばやく対処したために、すんでのところで北海道は守られ、北方四島だけで収まったというわけです。

 次回に続く。
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ユーロの危機6〜解体の道か

2012-02-06 08:43:37 | 国際関係
 2月1日に書いた「ユーロの危機4〜浜矩子氏の提案」に、「ユーロ圏は、今、間違いなく発足以来の危機の場面を迎えている」「このままで行けば、ユーロ圏は間違いなく消滅する」という浜氏の見解を書いた。
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d625eb4710a188432ab7348756308d57
 浜氏は、「経済格差がある中での通貨統合には、いかにもやっぱり無理がある。当初から分かり切っていたこの問題が、つわものどもの熱き夢、無謀な夢、悲しき夢が一巡したところで、改めて統合欧州の眼前につきつけられている」と言う。
 産経新聞編集委員の田村秀男氏も、浜氏に似た見方をしている。平成24年2月6日の「日曜経済講座」で田村氏が書いていること、及び付属のグラフの示すものを、ほそかわ流にまとめると、次のようになる。
 ――――「ギリシャの債務危機勃発から2年たった今、欧州共通通貨ユーロは解体の道に踏み出した、と言ってもよさそうだ」「ユーロが利益になる「北」と、重荷になる「南」にユーロ圏が分裂し修復できそうにないからだ」
 各国は「ユーロ加盟以来、強いユーロのおかげで、全員がそれぞれの財政規律とは無関係にドイツ並みの低金利借金で財政支出してきた」「2002年にユーロ建て国債が普及して以来、各国債利回り」は、ほぼ同じ水準(4%前後)で推移していた。だが、2008年9月のリーマン・ショックに直撃され、状況は一変した。「欧州の金融機関がバブル崩壊した米金融商品を大量に抱えていたため、信用不安はたちまち欧州に波及し、財政に問題のある国の国債が売られた」。ドイツ・フランスは国債利回りが低下した。イタリア・スペインはやや高めになり、イタリアは昨年後半、債務危機の目安になる7%を突破。ギリシャ・ポルトガル・アイルランドは利回りが急騰し、今やギリシャは18%以上、ポルトガルは16%以上になっている。
 「ユーロ危機の最大の勝ち組」ドイツは、ギリシャに対して財政主権を放棄し、EU当局に移譲するよう迫る。ギリシャはこの要求を拒絶する。「ギリシャが離脱すれば、ポルトガル、スペイン、さらにイタリアと連鎖しかねないが、ドイツは南欧抜きで再結束を図る覚悟のようだ」。「ドイツを中心とするユーロ圏北部と南欧の対立」は、修復できそうにない。ユーロは解体の道に踏み出したと言えそうだーーーーーー。
 田村氏の記事を以下に転載する。

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●産経新聞 平成24年2月5日

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/120205/fnc12020512460001-n1.htm
【日曜経済講座】
編集委員・田村秀男 「ドイツ対ギリシャ」は縮図
2012.2.5 12:42

<ユーロ、解体の道に踏み出す>
 ギリシャの債務危機勃発から2年たった今、欧州共通通貨「ユーロ」は解体の道に踏み出した、と言ってもよさそうだ。この間、欧州連合(EU)はユーロ危機打開に向け、この1月末までに16度も首脳会議を開いたが、ギリシャはユーロの盟主ドイツが突きつける緊縮財政要求を拒絶する。ギリシャが離脱すれば、ポルトガル、スペイン、さらにイタリアと連鎖しかねないが、ドイツは南欧抜きで再結束を図る覚悟のようだ。

<「北」と「南」に分裂>
 なぜ「解体」が不可避か。ユーロが利益になる「北」と、重荷になる「南」にユーロ圏が分裂し修復できそうにないからだ。
 通貨がないとヒト、モノ・サービスを活動させられない。国としての考え方、政策が信頼されないと外部からカネが入ってこない。対外重債務国ギリシャは政府債務の一部の返済を免除されたところで、残りの債務や新規の借金をきちんと返済できなければ、だれからも貸してもらえない。打開するためには、国民が厳しい緊縮生活に耐えるしかないが、失業率が20%近い中、失業保険も医療保険制度も破綻し、国民は疲弊しきっている。政治指導者が代わっても、債権者からの信用を回復させられる見通しは示せない。
 主力は観光産業なのだが、治安の悪化で不振を極めている。最大の打開策は通貨の大幅切り下げで、国際競争力を取り戻すことだ。ならば、古代ギリシャ以来の通貨「ドラクマ」に復帰し、思い切ってユーロの10分の1といった水準に切り下げるしかない。
 東西冷戦終了時の1990年にポーランドを訪ねたとき、当時の日本では500円以上はするだろうと思えるランチセットがわずか5円程度だったことを思い出す。30年以上前の中国も同様だった。残酷な現実だが、あえて自国通貨をとことんまで切り下げることが、相対的に痛みの少ない実体経済再建の第一歩になるのだろう。ユーロはギリシャにとって今や足かせでしかない。

<リーマンの一撃>
 ここで、グラフを見ていただこう。



 ユーロ加盟の問題5カ国、ギリシャ、ポルトガル、アイルランド、イタリア、スペインと、フランス、ドイツの標準国債の利回り推移である。2002年にユーロ建て国債が普及して以来、各国債利回りはほぼ1本の縄となり安定していたが、08年9月のリーマン・ショックに直撃されバラけてしまった。
 欧州の金融機関がバブル崩壊した米金融商品を大量に抱えていたため、信用不安はたちまち欧州に波及し、財政に問題のある国の国債が売られた。その後一時的に持ち直しかけたが、10年初めにはギリシャ政府が米金融大手のゴールドマン・サックスやJPモルガン・チェースに法外な手数料を支払って膨大な債務を帳簿外に飛ばしてきたことが露見した。ギリシャ問題をきっかけに、その他4カ国の放漫財政も表面化し、11年後半には大国イタリアまでも国債利回りが債務危機の目安とされる7%を突破した。
 ユーロ加盟以来、強いユーロのおかげで、全員がそれぞれの財政規律とは無関係にドイツ並みの低金利借金で財政支出してきたが、リーマンの一撃で豪華なユーロの衣装が吹き飛ばされた。
 するとユーロ加盟国の間で明暗がはっきりするようになった。リーマン以来、ユーロはドルに対して8%、円に対して33%下落した。ドイツの輸出は国内総生産(GDP)比が約38%(日本は約15%)で、ドイツの輸出産業はすっかり息を吹き返し、失業率は11年12月で5・5%と低い。
対照的に輸出産業の比率がさほど高くない他の国々の景気は冷え込んだままだ。失業率はスペイン同22・9%、アイルランド14・5%、ポルトガル13・6%、イタリア8・9%と苦しんでいる。

<時間稼ぎに焦点>
 従ってドイツはユーロ危機の中の最大の勝ち組なのだが、ドイツ国民は、野放図に見えるギリシャ、イタリアなどの財政支援に猛反対する。リーマン後、ドイツの労働界は賃上げ要求を控え、雇用維持を優先してきた。年4%程度の賃上げを続けてきた楽天的なイタリアなどと対照的な「緊縮」ぶりだ。そこでメルケル首相はギリシャ政府に対して財政主権を放棄し、EU当局に移譲するよう迫る強硬論をぶつ。ギリシャは一歩も譲らない。この構図はドイツを中心とするユーロ圏北部と南欧の対立の縮図といえるだろう。
 欧州中央銀行(ECB)はユーロ札を刷って、ギリシャ国債を買い支えている。国際通貨基金(IMF)も支援の構えを見せているが言葉だけだ。もはやギリシャ、さらに他の南欧各国の離脱に伴う金融市場の混乱を最小限に抑える準備のための時間稼ぎに焦点が移っている。
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恐れずに中央集権を語れ〜藤井聡氏

2012-02-05 08:46:39 | 時事
 極端に中央集権、東京への一極集中が進んだわが国は、そのための弊害が大きくなり、地方分権を必要としている。地方分権とは、端的に言えば権限と財源の委譲である。しかし、一部の政党・政治家が唱える「地域主権」の実現という政策は、中央政府がそれぞれの地方自治体に対して、「地域主権」と呼べるところまで、権力の移譲を徹底して進め、日本の国の形を根本から変えようという政策である。私は、この政策に強く反対する。
 近代国家の主権とは、一国の政府が他の国に対して持つ自立的な統治権である。また、主権は、国内において領土・国民に対する最高の権限である。もし「地域主権」を実現し、個々の地方自治体の持つ権限こそが主権だとすれば、政府はその自治体に対して主権を持たず、政府の権限は、その地域については、自治体の権限より下になる。そのような政府は、独立主権国家の政府ではない。それゆえ、「地域主権」の実現は、独立主権国家を否定することになる。
 国家統治権と地方自治権が、最も強い緊張関係に置かれるのは、他国による侵攻、内乱・騒擾、大規模自然災害等の場合である。わが国では現状、国民に国防の義務がなく、憲法に非常事態条項がない。こうした憲法のまま、地方分権を極端に進めたならば、万が一の危機のときに、国家分裂に陥りかねない。 私は地方分権を進める前に、わが国が独立主権国家として体制を確立することが、絶対不可欠だと考える。この手順を誤ると、日本は崩壊するおそれがある。「地域主権」の実現という構想には、こうした問題意識が欠如している。日本の独立と主権についてしっかりした意思を持たずに、「地域主権の実現」を進めると、周辺諸国の軍事力や人口力によって、日本の国家・社会が浸食され、日本人は固有の文化や伝統、精神を失ってしまうだろう。
 中央集権国家に巣食い、国家機構を我が物にしている官僚制の弊害を除くことと、中央統治機構の破壊とが、混同されてはならない。いかに官僚主導政治を打破して、独立主権国家としての体制を強化しつつ、同時に中央に集中しすぎた権限を地方に分権し、中央と地方の機能の分業、及び権限の適正配分を図ることが、日本の課題である。ところが、地方分権ないし地方自治の拡大を説く論者で、まず独立主権国家としての体制確立を、と主張する人は少ない。
 こうしたなか、中央集権を語ることを恐るべからず、と説くのが、京都大学大学院教授・藤井聡氏である。私は、藤井氏の主張を旧態依然たる中央集権論と見ない。中欧統治機構の強化の重要性を説くことと、中央と地方の権限の適正配分を図ることは矛盾しないからである。
 藤井氏は、東日本大震災の後、都市社会工学の専門家として、日本を地震等の災害に耐える強靭な国家にすることを、参議院の公聴会で提案した。大規模な財政出動を行い、防災に重点を置いて日本を再建する計画を提案したものである。また平成24年1月24日の産経新聞「正論」では、「リーマンショックしかり、東日本大震災しかり、尖閣諸島沖で中国漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりした事件しかり、である。どれを取ってみても、ひとつの自治体や地域で対応できるようなものではない。国全体に降りかかってきた国家規模、国家レベルの問題なのであり、中央政府の力が不可欠なのである。例えば、東日本大震災の時に大きな力を発揮した自衛隊も、国土交通省の地方整備局も中央政府そのものだし、震災からの復興のための大規模な予算も、強大な中央政府の力なくしては調達不能であっただろう」と述べ、「中央と地方が相互に補完し合おうという態度」を持ちながら、「互いの適正な協調のありようを探り続けなければならない」と主張している。同感である。
 以下は、藤井氏の主張。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
●産経新聞 平成24年1月24日

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120124/lcl12012403220001-n1.htm
【正論】
京都大学大学院教授・藤井聡 中央集権語ること恐るべからず
2012.1.24 03:20

 欧州債務危機が引き起こすと案じられている世界大恐慌の再来や関東、西日本を直撃し得る大震災といった将来の危機を見据えるとき、日本に求められるのは、それらの危機を耐え忍べる国家の「強靱(レジリエンス)化」をおいてほかにない。その折も折、まかり間違えば、国家の「脆弱(ぜいじゃく)化」につながりかねない議論が喧しい。

≪脆弱化に至る「地方主権」論≫
 「地方主権」−の論である。
 長らく云々されてきた「地方分権」の流れを受けて、先の衆院選で民主党が掲げたスローガンのひとつであり、その旗印が今や、新しい大阪市長となった橋下徹氏が率いる「大阪維新の会」に、より過激な形で受け継がれている。
 橋下氏のブレーン、上山信一慶応大学教授の著書、『大阪維新』に、それは端的に表れている。
 上山教授は著書の中で、「民主主義は市場原理の応用」と言ってのけている。そのうえで、「日本における政治の課題は今や社会問題の解決、つまり教育・医療・福祉の充実が最大のテーマ」であるから、「ますます住民に近い自治体の役割が大きく」なる一方で、中央政府は多くの問題を抱えて停滞している、と現状をとらえて、「今の日本の課題は、小泉流に言うと『中央政治をぶっ壊す』ことなのです」と結論付けている。
同著は、維新の会の公式ホームページで、「基本的な思想やこれからの具体的政治指針は、上山信一著『大阪維新』に記されております」とされ、維新の会の政策理念そのものといっていい。ベストセラーになっているところをみても賛同者は少なくないようだ。

≪「大阪維新の会」の政策理念≫
 日教組問題への対応など、個別的な対策の中に一定の意義を見いだせるものが一部あるとしても「中央政治をぶっ壊す」とはいかがなものか。世界の長い政治史が証明しているように、すべてをぶっ壊したうえで、一から最適な政体を設計できるほどに万能な人間など、この世にはいないのだ。
 そもそも、現下の喫緊の政治課題は教育、医療、福祉の充実だけではない。それらは、いずれも重要であることは論を待たないが、地震も恐慌も国際紛争も何もない「平時」の課題である。だが、人間社会というのは常に「平時」でいられるわけではなく、さまざまな「不測の事態」にも直面する。リーマンショックしかり、東日本大震災しかり、尖閣諸島沖で中国漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりした事件しかり、である。
 どれを取ってみても、ひとつの自治体や地域で対応できるようなものではない。国全体に降りかかってきた国家規模、国家レベルの問題なのであり、中央政府の力が不可欠なのである。例えば、東日本大震災の時に大きな力を発揮した自衛隊も、国土交通省の地方整備局も中央政府そのものだし、震災からの復興のための大規模な予算も、強大な中央政府の力なくしては調達不能であっただろう。
 そもそも、巨大災害についていえば、狭い範囲では滅多に起こるものではないから、そんな事態にどう対応するかのノウハウは、地域や自治体には必ずしも蓄積され得ない。その一方で、日本全土では数年に一度の頻度で巨大災害が起こる。したがって、中央政府以外は、それらに有効かつ迅速に対処しにくい、ということになる。「地方整備局を解体する様な道州制」が成立すれば、全国各地での震災対応が「脆弱化」してしまう事態は避けられないのである。

≪市場の論理よりも統治の論理≫
 さらにいえば、そうした非常事態、危機的事態は、「市場原理」だけで太刀打ちできるようなものではない。人間社会には、「市場の論理」だけでなく、「統治の論理」も存在してきた。そのことは過去の歴史が証明ずみである。
 そして、こうしたさまざまな重大事態は、「統治の論理」を持ち出して対処しなければ、いかんともしがたいのである。このうちの「有事」に際して、例えば、ある国によってカネでかき集められた傭兵で構成される武装部隊が、明確な国家意識を備えた別の国の正規軍との戦いに勝利し続ける可能性など、針の先ほどにもない。
 「中央政治をぶっ壊し、地方分権すべし」という主張は、「地方自治をぶっ壊し、中央に権限を集中すべし」という主張と同じように愚かしい極論なのである。
 長きにわたって日本の国民が安寧に暮らし続けることができるような、そんな強靱(きょうじん)でしなやかな地域づくり、国づくりを目指すのであれば、中央と地方が、「ぶっ壊す」などと叫び合いながら、「敵対」していていいわけがない。
 そうではなくて、地方と地方、中央と地方が相互に補完し合おうという態度を持ちながら、一つ一つ具体的な項目について専門的、俯瞰(ふかん)的、総合的な見地から、互いの適正な協調のありようを探り続けなければならないのだ。それは、ドイツの経済、社会学者マックス・ウェーバーが唱えたように、絶望的とも思えるほどの堅さを持つ岩盤に穴をこじ開けるがごとくの真剣さとねばり強さでもって、行う取り組みである。(ふじい さとし)

関連掲示
・拙稿「東日本大震災からの日本復興構想」
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion13l.htm
第2章 藤井聡氏の提言
(1)「日本復興計画〜『東日本復活5年計画』と『列島強靱化10年計画』」
(2)参議院予算委員会での公述
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