仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

ぱらいそさ、行くだ~

2005-11-22 11:43:56 | 劇場の虎韜
また日曜の話です。この日は精力的に行動しました。
土居さんと渋谷でお昼を食べた後、彼は渋沢史料館、私は一路新宿歌舞伎町へ。ずっと前から期待の高まっていた映画、『奇談』を観ようというわけです。

上映時間まで少々余裕ができたので、近くの〈ロッテリアplus〉で鋭気を養い、新宿オスカーにのりこみました。この劇場、70年代にタイムスリップしたかのような古さで、「上野、浅草以外に、こんなとこまだあったのか」と感心するような場所。サービスも悪い。映画が、この悪条件を払拭してくれるような出来であることを祈る。結果は……。
う~ん、まあ、よかったんじゃないでしょうか。

設定は1974年で、いたずらに現代の話にしていないところがまずよい。登場人物のファッション、髪型、立ち居振る舞いへの気の遣いよう。どこぞの映画のようにCGを多用しなくても、薄暗いトーンの画面に、じゅうぶん70年代の雰囲気が漂っていました。そして何よりリアルだったのは、舞台となる東北の寒村の存在感。湿った家々の柱、板壁、今にも潰れそうな重量感のある茅葺き屋根。前に書いた『ノロイ』の急ごしらえとは、ずいぶん違う印象を受けます(ま、あれは現代の話だから、私たちの日常に繋がっていていいのですけど)。
そして、村の長老を演じた草村礼子の奇妙な存在感(『Shall We ダンス?』の珠子先生、『たそがれ清兵衛』のお祖母さんと比較すると、その演技力の凄まじさが分かります)。この種の映画には欠かせなくなった、もう岸田森と比較しなくてもいいほどかっこいい堀内正美。まっとうな学者を演じていても、どこかに狂気の陰を感じさせる土屋嘉男(なぜ彼の民俗学研究室は、みんな白衣を着ているのか?)。自分の内面と葛藤し、ある種の狡さを露呈してしまう芝居がみごとな清水紘治。脇を固める俳優陣がくろうと(マニア?)好みですばらしく、一龍斎貞水に〈怪談〉を語らせる趣向もにくい。主役の藤澤恵麻も、朝ドラのときには「まったく芝居がうまくならない」という印象しかなかったけど、純真なヒロインを涼やかに好演(躊躇する仕草、そして語りがよい)。映画では詳しく語られないものの、異端の考古学者稗田礼二郎を秘かに敬愛している様子がよく出ていました(なぜだろう。自分は民俗学者なのにね)。阿部寛は、礼二郎を演じるのは2度目ですが(つまり榎木津ね)、今回の方が数段よい。山奥の村にスーツで フィールドワークにやってくる異常さ(とても考古学者にはみえない)、しかしそれがなぜか周囲の風景にとけこんでいる不思議さ。いつものアクは控えめで、理知的で静謐、しかし真実を探求する情熱(真実しかみない狂気)にも溢れている。
役者の方々の力量はもちろん、監督小松隆志の演出力も大きいのでしょう。『クマグス』で果たせなかった民俗学映画の夢、実現できてよかったねえ。

しかし当然、問題もあるわけです。
まずは脚本。原作を脚色して主人公を女性にし、傍観者ではなく、事件に主体的に関わらせた点は成功していると思います。しかし、彼女と事件とを結びつける幼児体験、神隠しが、物語の根幹とどう関わっているのか論理的に説明できない。なぜ子供たちは、神隠しにあわなければならなかったのか。主人公の里美は〈いんへるの〉をみずに逃げ出したのに、なぜ記憶喪失になってしまったのか。新吉は〈じゅすへる〉の子孫ではないのに、なぜ〈ぱらいそ〉へゆけたのか……などなど。つまり、よくよく考えてみると、原作に付け足した要素がうまく整合性をもって繋がっていないのですね。それから、やはり低予算ゆえの哀しさも。渡戸村や〈はなれ〉全体の俯瞰など、CGもしくはマットのちゃちさ。これは少々興を殺ぎました。

でも、どなたかのコメントにもあったように、全体的には諸星スピリットをよく理解した、いい映画だったと思いますよ。少なくとも、どこぞのワースト忍者映画のように、原作を冒涜してはいない。このスタッフで、『暗黒神話』が観たいなあ。
ところでラストの名セリフ、原作では「みんな、ぱらいそさ、いくだ!」でしたが、映画では「みんな、ぱらいそさ、いくンだ~!」となっていました。東北弁では後者の方が正しいのでしょうか?(この点、原作は諸星大二郎の想像で、いい加減らしいです)
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僕も見ました (ぱーどれ)
2005-11-25 00:38:01
見てきました。おもしろいことはおもしろかったんですが、映像面でセンスオブワンダーがなかったのが、やはり残念でした。異界加減がいまいち。いっそTV朝日の金曜深夜で連続ドラマにしてくれないもんでしょうか。
とにかく追加要素が (ほうじょう)
2005-11-25 01:10:39
そうなんですよ、とにかく追加要素がね……。でも、ラストはやっぱり、浅はかな民俗学院生の解釈を打ち砕くのが、演出の意図だったんだろうと思いますよ(里美はああいう納得の仕方をすることで、不可知の存在から逃げている、とも考えられます)。重太は死ぬことも許されず、永遠に俗世をさまようことになるんだろうけれども、どこかでコロニーを作る可能性もあるのかも知れない。じゅすへるの子は、たぶん東北だけに生き延びていたのではないのだろうし。東京の地下(旧新橋駅?)にも、いんへるのが口を開けていたりする。デレビ化は、宗像教授になりそうな気がして嫌だなあ。ちなみに、この映画でいちばん異界っぽかったのは、白衣の民俗学研究室と堀内正美の臨床心理学研究室。何の研究してんだ? 得体が知れない……。
ウルトラQ (ぱーどれ)
2005-11-25 13:31:18
いやあ、新吉に「人間の世界は嫌だ」とか言わせてみたりしてるんで、そこまで考えてないと思います。パンフレットの監督の談話によれば異界の「喪失」を描きたかったそうですので、やはり「異界」の解釈において原作を誤読してしまっているところがあって、それが一般観客向けリップサービスともあいまって、ああいうかたちで出てしまったのではないかと思います。

じゅすへるの設定は、それを核にいくらか肉付けすればアニメ1クールいけそうな壮大な構想ですよね。短編1本分で消費というのがすごいというかもったいない。監督の書いたシノプシスにはその秘密を探りに来たヴァチカンvs稗田というものもあったそうです。これはこれで見たかった気もします(アニメですかね)。原作からは遠く離れてしまうけど。

宗像教授、マンガの方では何やら忌部の姐さんと不穏な関係になりつつあります。すごい研究者夫婦になりそう。民俗学ドラマなんてあり得ないですから、サスペンスかホラーの選択肢でサスペンスということになったのでしょう。実際宗像教授がフィールドワークに出るとけっこうな死人が出ますし。妖怪ハンターならホラー路線でいけるんじゃないでしょうか。

何で白衣やねんというつっこみはしつつも、あんな研究室が子供の頃からのあこがれでした。書斎って感じがたまらない。一方心理学の先生、あそこだけウルトラQみたいな印象がありました。たぶんあの博士は人間じゃないですよ。ええ。
新吉は里美の投影 (ほうじょう)
2005-11-25 15:06:33
新吉は霊体ですからね、心情を語る姿は里美にしかみえない、聞こえない。夢の話から始まって、里美の主観のなかにこそ本当に存在する。他からみえるのは、「世界開始の科の御伝え」を語るときのみ。新吉の言葉は里美の言葉でしょう。つまり、この映画には里美の解釈軸(解釈とは世界を構築する行為なり)と稗田の解釈軸があって、里美のなかではハッピーエンドで終わり(終わらせられ)、稗田のまえでは「みたものがすべて」として繰り広げられ続ける(終わらない)。ファーストシーンは里美の主観で始まるのに、ラストシーンはそれと切断しちゃいますからね。里美にとってのラストは大学の屋上なんですよ。

じゅすへるの件は、映画でいってるみたいにルシフェルのことだとすれば、「世の中に悪が存在するのは、善の善たることを示すために神が創造したからだ」というテルトゥリアヌスの説にも対応するようで面白い(神の創った世界になぜ悪が存在するのか、という長い教学的論争の歴史がある)。テレ朝の深夜枠でやるとすれば、妖怪ハンターより『百鬼夜行抄』かなあ。妖怪ハンターはキャラクター性が弱いから、連続ものに向かない気がします。

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