仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

オシラサマをめぐるシンクロニシティ

2012-12-23 19:31:18 | 生きる犬韜
ここ数年、自分の研究の方向性を、依頼原稿によって左右されることが多い。もちろん、依頼されるテーマ自体がぼくの研究に沿ってはいるため、地殻変動のような事態が起きることは稀である。しかし、1年のうちの本当に限られた研究時間をそちらに割かざるをえなくなるので、ふだん考えていることの内容は、ずいぶん影響を受けることになる。例えば、2009~2010年は、エコクリティシズムの国際シンポの関係で異類婚姻譚の歴史を追いかけていたが、2011~2012年は、やはり震災の関係で災害史的内容のものが多かった。そういう情況が息苦しかったこともあり、今年の後半は、医書を通じた環境文化史の方へ無理矢理にシフトした。ふつう論文を書くと、分かったことよりも分からないことの方が多くなるもので、それによって次の研究対象が定まってゆくのだが、上のような次第で、このところ「やりっぱなし」にしたテーマが山積しつつある。
年末になると、ゆく年を思ってか、そうした反省の念、後ろめたさが強くなる。そうしたところへ、最近、ちょっとしたシンクロニシティが発生した。先週の日曜、ぐうぜん点けたテレビで「ふるさと再生 日本の昔ばなし」(テレビ東京)なるものを放映していたのだが、そのタイトルがちょうど「おしらさま」。馬娘婚姻譚は、数年前短期集中的に取り組み、古事記学会に呼んでいただいたときにも言及したのだが、気にしつつもそのまま放置していたテーマである。来年度は東北学院にお世話になることだし、在外研究のテーマ「遠野をめぐる東アジアの知的ネットワーク」も、オシラサマが中心になりそうだとの予感を抱いた。そこへまた数日前、通勤の直前に点けたテレビに映し出されたのが、『リトル・チャロ~東北編~』(NHK)。やはりオシラサマがモチーフになっていた。
シンクロニシティは偶然の積み重なりが何らかの自覚を生むものだろうが、量子論的にみれば、度重なる現象自体が主観に基づくものということになる。どうやら、がんばらねばならないらしい。
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