ごっとさんのブログ

病気を治すのは薬ではなく自分自身
  
   薬と猫と時々時事

昔の仲間との少し早目の「忘年会」

2023-12-20 10:36:23 | 日記
高校時代からの仲間とは時々麻雀などしていますが、会う頻度は低くなってしまいました。2年前にこの仲間だったE君が肺ガンから突然亡くなってしまいましたので、会えるうちに合っておこうと「忘年会」を企画しました。

その連絡をしたところ、M君の妹さんが突然亡くなり、非常に忙しいようでした。そこで日時を他の人に合わせて決定し、是非この日は空けるようにM君には連絡しました。

ここで問題なのが7,8年前に認知症を発症したS君をどうするかです。S君は車の運転はもちろん、パソコンやスマフォも扱えなくなったようですので、当然メールも返事が来ません。そこでS君に電話し、奥さんに症状などいろいろ聞いてみました。

身体は全く元気なのですが残念ながら症状はかなり進み、タクシーでも自宅に案内できないようでした。外に出るとすぐにどこにいるのかが分からなくなるようで、常にだれかが注意してないといけない状態のようです。

最も問題なのは酒を飲むと量の把握ができず、飲み続けてしまうという事でした。その後S君に代わってもらいしばらく話をしましたが、普段と変わらず元気そうでした。しかしこの状態では忘年会に連れ出すのは無理と判断し、いつもの5人ですることにしました。

当日は車で10分かからないY君の家に行き、帰りは下戸で酒を飲まないY君に運転してもらうつもりで行きましたが、Y君が私の車は運転しにくいという事で、いつも乗っている軽トラで向かいました。

この乗り心地が非常に悪く、いつもの駐車場につくまで尻が痛くなりました。駐車場から出るとちょうど前をM君が歩いており、3人で集合場種に向かうとすでにF君とK君は来ていました。すぐにF君が予約しておいてくれた居酒屋に行きましたが、完全個室で落ちつける良い店でした。

乾杯後最初は皆がよく知っており気になっている、M君の妹さんの話しになりました。妹さんは調子が悪いと感じすぐ近くの知人に連絡して来てもらったそうです。

そこで救急車で病院に運ばれ、脳梗塞と診断されそれなりの治療は受けたようですが、3日後に亡くなったと話してくれました。その後私からS君の状況を伝えましたが、大勢で押し掛けるのは悪いからと私とY君でお見舞い(様子見)に行くことになりました。

乾杯のビールをY君は小さなグラスに少し入れ、残りをF君が飲んでいましたので帰りも心配ないようです。私もビールだけで止めるつもりでしたが、Y君がもう一杯ぐらい大丈夫だろうというのでウイスキーを飲んでいました。

M君も色々問題があるようで、2杯飲んだ後は私と一緒に烏龍茶にしていました。3時間ほどでお開きにしましたが、やはりこの仲間が何の気兼ねせず好きなこと言い合え、一番楽しい飲み会と言えるようです。

昔からの友人との麻雀と早めの忘年会

2022-12-17 10:38:38 | 日記
先月この仲間との久しぶりの飲み会をして、忘年会をするかという話しが出て別れました。

この仲間は私が幹事をすることになってしまったので、メールを出してみるとY君がいろいろ忙しそうでしたが、皆やる気になっていました。特にM君は皆の日程を調整し、自分が行きつけの店で良ければそこでやろうと、とんとん拍子に話がまとまりました。

前回と同様に2時にF君、M君、Y君と私が雀荘に集まり、5時ぐらいからK君も参加して忘年会という計画となりました。問題は私の家から会場のJR駅近くに行く公共交通機関の良いルートがなく、1時間以上かかってしまうことです。

結局いつものように車で近くのY君を迎えに行き、酒を飲まないY君に帰りの運転を頼むことにしました。麻雀はおまけのようなものですが、この雀荘は喫煙もできビールも飲めますので楽しくやることができました。

最初の半荘はM君が絶好調で一人勝ちで1時間程度で終わりましたので、半荘3回はできると考えていました。ところが次は私が荘家でしたが、非常に手が良くなり、親満も含め4回も連荘してしまいました。

麻雀のツキというのは面白いもので、南入した親の時も非常に良い手になり、無理なこともせず簡単に上がってしまい何と5連荘もしてしまいました。この時私は78,000点もあるのに誰もハコテンにならないという面白いパターンとなりました。

当然時間がかかりこの半荘が終わったのが20分前でしたので、少し早めに会場に行きK君を待つことにしました。

このM君の行きつけの店はスナックというよりバーに近い店で、病気以来酒を飲んでいないというM君がなんで行きつけになっているのか不思議でした。時間通りにK君も来て、テーブルの真ん中にあった大きなおでんの鍋をつつきながら賑やかに始めました。

今回は認知症になってしまったS君には声をかけませんでしたが、先月元気な姿を見たので皆やむを得ないという感じでした。この仲間は50年以上の付き合いですので、好きなことが言えますが、どうしても昔ばなし的な話題が多くなります。

ビールで乾杯した後私はコーラに、運転するY君も烏龍茶、M君も酒を控えるとソフトドリンクにしていましたので、F君とK君だけが酒を飲むというおかしな忘年会になりましたが、それなりに盛り上がりました。

料理も和風洋風を含めそれなりに美味しいものが出てきました。デザート風なものが出てきた後、カラオケを進められましたが、話をすることが優先でしたので3時間ほどで早めにお開きとしました。

この仲間は歳のせいもあり色々病気が出たり、昨年一人急死しましたので、動けるうちに顔を合わせる機会を作ろうと感じました。

昔のギター仲間の早めの忘年会

2022-11-22 10:38:54 | 日記
大学時代のギター仲間は、本来年1回泊りがけの合宿と忘年会などの飲み会を1,2回やっていました。

この仲間は11人いたのですが、残念ながらそのうちの一人が一昨年ガンで亡くなってしまいましたが、75歳を過ぎていますのでやむを得ないことかもしれません。

ここ2年はコロナ禍のため合宿を開催することができませんでしたが、コロナの様子を見ながら飲み会などはやっていました。

この間オンラインでの飲み会などは何回か開催していましたが、やはり集まって直接話がしたいということで、コロナの感染者数が増加する前に早めに忘年会をしてしまおうと話が決まりました。

今回は万年幹事のO君に代わりI君が幹事となり、東京駅の近くでの開催となりました。私の勤務していた研究所の本社が大手町でしたので、東京駅はよく行っていましたがここ十数年行っていませんのでどんなに変化したかを見るのも楽しみでした。

12時レストラン集合の昼食会でしたが、余裕をもって30分前には着くように計画しました。東京駅の南口に出てみると、確かに高いビルが増えてはいましたが、中央郵便局の建物は昔と変わらずそこにビルの入り口ができており、むしろ懐かしい感じがしました。

迷うことも無く目的のビルに付きましたので、まず1階のビル内の案内図で喫煙所の位置を確認しました。集合場所のレストランが6階でしたので、エスカレータで5階まで行きましたが飲食店が非常に多いビルでした。

ここまで約2時間タバコが吸えませんので、喫煙所で一服することが重要な行動となります。エスカレーターで6階にいったところ、ちょうどエレベーターから出てきたT君と合い、一緒にレストランに向かいました。

すでに4人が来ており、時間前には9人全員が集まりました。ビールで乾杯しましたが、やはり昔からの仲間というの良いもので楽しく食事が始まりました。

なかなかしゃれた料理でしたが、Y君と何料理だろうと話していましたが、多分イタリアンかフレンチと良く分かりませんでした。ランチの割には量も多かったのですが、私はウイスキーをチビチビ飲みながら楽しく過ごしました。

次回の合宿の話になりましたが、S君が幹事で筑波で開催することが決まりました。ただ時期は難しく5月くらいに可能であればということになり、3月ぐらいにもう一度オンライで話し合うことになりました。

しかし皆さんあまりギターを弾いていないようで、今までのようにギターを持ち寄って合奏をするというのは難しそうな感じでした。忘年会は2時間半ほどで終わりになり、O君たち4人で同じビル内のカフェに入りしばらく話をしてから帰りました。

昔からの仲間との麻雀とあまり飲まない食事会

2022-11-12 10:39:23 | 日記
私の高校時代からの友人が8人いるのですが、昨年正月にそのうちの一人が急死してしまいまだショックが残っています。

このメンバーとは時々麻雀をやったり、毎年12月30日に忘年会をやるというのが恒例になっていましたが、昨年末はコロナなどいろいろあり開催することができませんでした。

全員後期高齢者ですのでやむを得ないのですが、色々な病気を発症しているものが多く、あまり連絡も取れていませんでした。皆の安否を確認するため、メールや電話で連絡を取り何とか集まろうということになりました。

その折F君から昼に集まり麻雀をして、その後飲み会にしようという提案ががありましたので、私とF君、Y君、M君で昼から麻雀をし、夕方K君とS君が加わることになりました。

ここで問題はS君で、数年前から認知症を発症しており集合場所まで来れるか怪しい感じでした。集合場所の居酒屋が分からないというので、近くまで来たら電話しろといったのですが、電話番号を聞きながらメモをするということができないようでした。

奥さんと代わったところ、すでに携帯も持っておらず本人が行きたいようであれば連れてきてくれることになりました。

M君は3年ほど前脳梗塞を発症し、リハビリ後よくなったのですがその後今度は心筋梗塞の発作を起こし、市立病院では手術ができないので薬で静かにするという状況でした。それがセカンドオピニオンということで別の大きな病院に行ったところ、すぐにステントを入れる手術となり、昨年末に完了し元気になったということでした。

K君はもともと大動脈解離の持病があるのですが、昨年に眼の黄斑変性の手術をして良くなったのですが、年末に足を骨折してリハビリが終わったところのようでした。Y君は数年前に前立腺ガンの手術をしており、私だけがこれといった病気もなく元気という状態でした。

麻雀は半荘2回と最後は東場だけで止めましたが、私とF君が少し勝ちY君とM君の負けで終わりました。雀荘からK君に電話したところ、既に居酒屋に来ておりS君もいるとのことで急いで居酒屋に向かいました。

久しぶりに6人が揃いましたが、私はS君を送るため車ですし、Y君は元々下戸、M君は発作以来飲んでいない、S君も最近は飲まないということで、ほとんど飲み会にはなっていませんでした。

私は乾杯の時のビールだけで、後はノンアルコールビールをちびちびやっていましたが、やはり皆50年以上の付き合いですので、自然と話が弾みなかなか楽しい時間を過ごすことができました。

S君は若干おかしな言動はありましたが、楽しそうに飲んでおり少しは刺激なったようです。3時間ほどでお開きにしましたが、まあ元気な皆の顔を見られて良い会となりました。

昔の研究室の仲間の合同同窓会

2022-07-11 10:37:28 | 日記
私が勤務していた研究所で、オフィスが共同で私の研究室とA君の研究室が一緒に仕事をしていました。

私は有機合成でA君は臨床検査薬というあまり仕事のつながりはなかったのですが、いつも一緒にお茶をしたりと仲良くしていました。

今回どういうきっかけかは分かりませんが、A研究室のメンバーだったTさん(女性)が合同の同窓会を企画してくれました。皆さん都内や千葉県などいろいろ離れているようでしたが、場所は研究所のあった最寄り駅の近くの和風レストランとなりました。

私の研究室からはH君とE君でしたが、A研究室からは7人が参加し、総勢10名となかなか賑やかな会となりました。

まあ私のような年寄りを考慮してくれたのか、12:00からの昼食会となり、店の地図を印刷していったのですがなかなか見つからず、5分前ぐらいに到着するとすでに全員そろっていました。

開会の挨拶を私がしてその中でも述べたことですが、私がこの研究所を出たのはちょうど50歳の時でしたので、このメンバーの大部分とは25年ぶりという本当に久しぶりのことでした。

残念だったのはA研究室の室長だったA君が数年前に亡くなっており、会うことができないことでした。A研究室は若手をそろえており、当時20代だった研究員たちが皆50代となっていましたが、それなりに良い年を取っているようでした。

ちょっと心配だったのはH君で、彼は3年ほど前に腎臓ガンになりそれが肺に転移したのですが、ほとんど消えるまでに回復したというはなしは聞いていました。ところが会ってみるともともとややデブ体形であったものが、かなりやせてスマートになっていました。

それも元気そうに酒を飲んでいましたが、ちょうど60歳でもありやや気になるところです。その後食べながら全員が最近の25年間の推移を発表しましたが、皆早めに研究職から色々と変わっていったようです。

このうちY君は研究を続け、地方の研究所長までやったというのは面白い動きでした。食事はいわゆる創作和食というもので、あまり見たことがないものばかりでしたが、美味しく食べることができました。

面白いのは寿司風なものが出ましたが、魚の下はシャリではなくナスなどの野菜が盛られており、面白い風味でした。

その後2次会に居酒屋に行きS夫妻は帰りましたが、8人で賑やかに続けました。ただ私は1次会でやや飲み過ぎたため、烏龍茶をちびちび飲んでいました。

2時間後ぐらいにまだ盛り上がっていたのですが、H夫妻(研究室内での結婚です)が帰るというので、私も一足先に帰りました。いわゆる昔話が多かったのですが、研究所当時のことなど思い出し楽しい時間を過ごすことができました。