KGセミナー塾長の日記  大学受験と高校野球、生徒との生活を中心に。

初めての人は、2008年2月26日の「みんなに伝えたい話」を読んで下さい。私がこの仕事をやり続ける支えとなった話です。

水野弥一監督

2016年11月26日 | スポーツ

  朝日新聞の夕刊の8面に、懐かしい名前があった。「水野弥一」さん。京都大学アメリカンフットボール部の監督だった。関西学院のリーグ戦の連勝記録を145でストップさせて、国立大学の京都大学を甲子園ボウル6度の優勝。社会人との選手権であるライスボウルは優勝4度。2011年に監督を勇退していた。

 監督を退いた頃、京都大学アメリカンフットボール部からメールが届いて、水野監督の講演会が京都大学であるから来ないかというメールだった。もちろん喜んで出かけた。でもなぜ、京大アメリカンフットボール部からメールが届いたのか?京都大学の選手が私のブログを見つけ、「ブログを読むと、文武両道を熱く語っているので、ぜひ講演を聞きに来てもらいたいと思いました。」と言ってくれた。もっとたくさんの人が参加する講演会かと思ったが、こじんまりとしたものだったので、余計に気持ちが伝わってきた。

 水野監督の熱い気持ちをしっかりと感じ取った。なぜ京都大学が日本一になれたのか。ほんの少しだけわかった気がした。最後に彼が書いた本にサインをして握手をして、それから私に手渡してくれた。

 その後、追手門学院大学の高校で指導し、大学の監督になって、1部リーグが目前に迫ったが、その指導法が、選手たちに通じなかった。それでその大学を去った。その後はどうなったのか知らなかった。

 新聞には、立教大学アメリカンフットボール部のシニアアドバイザーとしてチームを指導しているという。76歳。初期の肺がんが見つかり、7月と9月に手術。奥さんと猫がいる京都の自宅と埼玉県志木市のワンルームマンションと行き来する生活。しかし、その熱い指導は、関学を初めて破った時から変わっていない。

 「決めた時間で練習が終わることに意味はあるんか!と言われました。できないプレーがあるなら、それだけ死ぬ気になってやってみろと。立教にそういう文化がなかったので驚きました。」と立教の主将は語っている。

 東京大学と並ぶ難関の京都大学。フットボールの経験のある選手は全くいない。スポーツをやっていない選手もたくさんいる。そんなチームを率いて、日本一を目指すチームを作る。それ自体ありえないことだった。76歳。もう一度、甲子園ボウルのフィールドに立つために76歳の今年、スタートを切った。

 

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