シゲ君日記

私の日々の暮らし

2015-05-29 20:41:13 | 日記
 
又、今年もホタルの季節です。
今年は、早くから夏の様な暑さが続きます。
只、まだ本当の夏とは違い
日が暮れるとまだまだ涼しく救われます。

 さて、ホタルと言えば、
今から遡ること20数年前のこと、
私が地元の青年団に入っていた頃のことです。
この時期は、環境のバロメーターを
蛍の飛び交う量で測っていました。
きれいな水と川沿いの植物
そして、蛍の幼虫時代の餌でもあるカワニナ
これもまた蛍の生育環境と同化している。
当時、青年団はこのホタル保護する為
蛍保護活動をする時期でした。
夜、仕事を終えてから
ホタルの生態の学習会をしながら
地元を廻って蛍の大切さを呼びかけていました。
その頃は、今よりさらに田舎の雰囲気でした。
そして素朴なメンバーが多く純粋に頑張って居ました。
今では考えられない程の事でした。

つい昔の話をしてしまいました。

今晩はビールを頂いた後
蛍の見学に出かけました。(奥さんの運転)

居ました。居ました。
良く飛び交う条件は

◎曇りもしくは月の明かりの無い日
◎チョット蒸すような夜が良いです。
◎時間は夜の8時頃か深夜かな(たしか)


 今日はぴったりの日!!
さて、来月の6日(土)は本巣市のはたる祭りです。
きっと多くの方が蛍を追い求めて訪れると思います。


私の様な素人には蛍の写真を撮るのは難しいです。
見にくい写真で申し訳ありませんでした。


私の証明 いったい何処に!

2015-05-22 23:20:30 | 日記
大変な1日にだった。
正直 いつからなのかな?
自動車免許証や資格証明証
そして、健康保健証及び労災保険証まで
専用ファイルに入れてあった物
全てが無くなってしまった。
ワザワザ別にして置いたのに。
3日程探していたが
昨晩諦めて届ける事に決め、そして本日。
以前に旅行に行った時から保険証をそのファイルに入れたままにしてあった為、
余計に面倒な事に成ってしまった。
通常本人証明の代名詞と言って過言で無い
自動車免許証や健康保健証物が共に無くなった。

警察署に問い合わした所
年金手帳 バスポート、公共料金支払証明又は過去の運転免許証
その他、クレジットカード、診察券etc
バスポートはもう20年以上前から使っておらず
それ以外は個人情報保護法の関係で十分な確認が取れ無い。
それを補うように過去の運転免許証とのセットでの受付となるのです。
今回、年金手帳と過去の運転免許証の組合せで何とか再交付をして貰えました。
只、今回の事件は財布などの金銭的な事は直接は無かった。
別にしてあったおかげである。
しかし結局、再交付に関わり
他の証明証と合わせて1万円以上の出費と成ってしまった。
おまけに車にも乗れず運転手付きの移動と聞こえは良いが、
何だか元気の無い病人の気分で重苦しい1日でした。
「もし何も自分を証明出来る物が無かったら」と思うと
冷や汗物です。
とりあえず、今は失くした物全ての再交付の手続きを終えひと安心。
昨日までは、「探し物を出て来て欲しいと」思い 
今は、「もう出て来てくれなくていい!}の気分です。
(探し物は用が無くなってから何とやら・・・)

有難うございました。

2015-05-16 23:24:01 | 日記
本日、名古屋にJPを利用しての乗車中のことです。
穂積駅から乗車して千種駅までの途中
金山駅で乗り換えの際

普段から切符を胸ボケっトに入れるようにしているのですが。
乗車中にiPhoneを操作した後それを
一時的に同じポケットに入れていました。
下車するときに落とすといけないと(浅い外ポケット)
取り出して手に持って下車をしようとしていました。
私は窓際で通路側の方に声をかけ
通路に一度立っていただき下車しようとしていました。

その後すぐに後ろから
「これ落とされたのでは」と隣の席の方が
切符を差し出すように呼び止めて下さいました。
その切符を見てマサか私では無いと
一瞬 疑いました。
しかし、その駅名と金額
すぐ自分のものであることが分かり
「すいませんでした」とお礼を言って下車をしました。
iPhoneと一緒にポケットから出てしまったのだと思います。

勉強会の開始時間ギリギリで焦っていたこともあり
頭の中は乗り換えの電車のことばかりで
一瞬の出来事でした。
しかし、その後時間が経つにつれて
「結構、大変な事だったんだ。」
「もし無くしていたら」
それなのに、
その方に「何でもう少し丁寧にお礼が」
もし、その方が声をかけてくださらなかったら。

逆の立場であれば私も、
やはり同じことをさせていただいたと思います。
しかし、もう二度と会うことのできない方に
その時、チャントお礼が言えなかったことに
状況が状況だけにとも思いますが
恥ずかしさと悔いが残ります。
あらためて
「本当に有難うございました。感謝しております。」


本日から「茶道教室」

2015-05-15 23:46:54 | 日記
今日から茶道教室に再び通い始めました。
20代の頃は、仕事の合間を見て
8年ほど茶道と華道の指導を受けさせていただきました。
しかし、28歳で結婚してからは中々時間が取れなくなり
と言うか気が廻らなくなった
というのが正しい答えだろうか。
次第に休みがちになって、
ついに通うのを辞めてしまいました。

元々の始めたきっかけですが。
30年以上前の、ある建築関係の公演の中で、
その時の講師の方が参加者に対して、
「この中でお茶やお花(茶道・華道)に携わっている方はお見えになりますか」
の質問に、答えられた受講者は誰も見えませんでした。
ヒョツトしたら挙手をされなかっただけかもしれませんが。
少なくとも私は、当時その様なことは
女性のお嫁入り前の花嫁所業の一つ
としか思っておらず(叱られるかも)
マサかと思っておりました。
尽かさず講師の言葉は
「この業界に携わる者がお茶やお花を知らないような事ではダメです!」
と強く言われました。
その必要性の説明が続き半信半疑で
私自身「それじゃー始めよう」
て事になった訳です。
丁度、歩いてでも通えるところのお寺のお庫裡さんが
指導をされており縁あって
女性の方ばかりの中に飛び込んだ次第です。

さて成果ですが、
型ちからのスタートで、更には先に述べたように
元々、女性のやられる事と決め付けいた自分には
少々居心地は良くありませんでした。
しかし、続けてゆく間に
決して多くを語ることは出来ませんが、見る角度を変えれば
ほぼ日常の振る舞いの中のある様な事も
実は大変奥行の深いまさしくその中に宇宙を見る様な
広ささえ感じさせてくれるのです。
私には到底見えない奥深さがあります。
そして、唯一 大きく自分に気づかせていただいた事に
この作法の中で物を大切に扱う気持ちと
その綺麗な振る舞いかたのコツだろうか。
そこは大きく気付き変わったことかな。

只、何で建築との関係が・・・と成ると 
数奇屋建築?・・・ ウーン
私は、もう若くないのだが まだ若い。

でも、この頃から、後に実は私は幸運にも3件もの茶室の
建築に携わらせていただきました。
その時、私に指導をしていただいた師匠も
実は、今現在までお茶やお花を続けておられる方なのです。

そして、現在
再びこの教室に来ました。
過去からの記憶を呼び起こそうとは思いません。
只、この振る舞いが良いのです。

優柔不断な私

2015-05-11 23:31:07 | 日記

建築業と農業の両立は難しい。
まず、どちらも待ってもらえない。
昔は、建築に関しては事情を話して
理解して頂く事もありましたが、
現在はそうはいきません。
今現在農業は柿の実の数を調整する摘蕾をやっています。
今月の中旬までにと思っているのですが、
とても間に合いません。
現在の作付け面積は50アール
専業には少なすぎますが、
兼業には多すぎる
難しい面積です。

それにしても労力の不足と時間短縮の為に
少ない面積でも機械化は避けられません。
只、機械化の出来る部分は良いのですが、
この摘蕾は枝の1本1本を手作業にて見て行く必要があります。
したがって、
現場は止める事は出来ませんから
私は朝の5時からの作業でその後8時半からは、奥
様にバトンタッチです。
お互いに励まさながら頑張っております。
この作業が終わるとやや楽になるかな?
それにしても、
この先どうやって両立して行こうとかなり悩みます。

でも、こうして出る愚痴も。
秋になって
「本当に美味しい柿を有難う」
これで、リセット
実はこれが有るから
辞められない。
どんな仕事も
ここは共通だと思います。