FUNAGENノート

私の考えたことや、読書から学んだことを伝えます。
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感性を揺り動かし感動する

2017-06-19 16:33:58 | コラム
感性を揺り動かし感動する
 日常生活の中で、私たちは感動するという体験を持ったことは、どれくらいあるだろうか。
 私たちに感性がなければ、現前の存在に感動するいうことはないだろと私は思う。ところがこの感性の存在がおかしくなってきているように思われる。見てもらいたい、来てもらいたいという商業ペースで、存在自体に強い刺激を与えて、感性のとりもどしを計ろうとしているようだが、それは決して感性をとりもどすことにはならない。かえって、感性を麻痺させるだけである。
 最近のNHKの音楽番組で見られるあの舞台の照明は、落ち着きがなく、目が回り、しかも肝心の歌手や演奏者が、わき役に転落しそうである。私たちは、歌手や演奏者の音楽という存在(作品)に感性を揺さぶられ、感動するのである。あくまでも、バックは主役を引き立てるわき役に徹するべきなのだ。
 私たちの感性は、この主役とわき役の適当なバランスによって、なおいっそう高められ、感動にたどりつくものではないだろうか。野原に立つ一本の木は、周りのわき役(青い空、緑の原っぱ、ぽっかり浮いている白い雲など)が引き立ててくれる。だから、そのまっすぐに延びる、あるいは大きな広がる木に力強さを感じるのである。
 花は美しくけなげに咲いている。生きた花として、せいっぱい自分を主張している。周囲のわき役がそれを引き立ててくれる。それを感じ取るのは感性であり、それが揺り動かされ感動することとなる。
 ところが、このバランスが崩れてきているのが現代社会である。主役が誰なのかわからないと思うことがよくある。最近のTVドラマや、先ほどふれた音楽番組、あるいは水族館のライトアップや桜や紅葉のライトアップ、これらをやりすぎると、やらせになり私はあまり関心しない。
 よく仲間どうしの記念撮影を撮ると、決まって真ん中あたりにいる人がいる。私が主役だと言わんばかりに、そこに収まっている。それが、どの写真もである。しかし、主役を決めるのは本人ではないのだ。
 同じように、世の中には、目立ちたい人は必ずいるものだ。いつも自分中心でないと気が済まない。中には、わき役の役まで取り上げてしまう人もいる。そうなってくると、感性なんて揺さぶられる訳がない。見ていてうんざりだ。すべてが主役、あるいはすべてがわき役、遠近感のない世界がそこにあるだけだ。
 私たちが、存在に目を向ける時、そのどこに目を向けるかによって、主役とわき役の心地よいバランスを見いだし感性が揺さぶられ感動するのである。その心地よいバランスを提供してくれるのが、各種の現前の存在である。
 ところがこの感性が、生きて働く人と働かない人のいることも事実である。以前、仲間たちと作品展を開催したことがあった。私の当番の時、ある来訪者がきて、受付のテーブルの上の芳名帳に名前を書いて、作品を見ずに帰ってしまった人がいた。この方は多分義理できたのだろうと思う。これは、感性の持てない人の代表だろう。興味がないなら、はじめから来なくてもいいはずだ。中には、招待を受けた人の作品だけ見て帰る人もいた。わざわざ来たのだから、他の作品も見ていけばと、その時は思った。
 もちろん、興味のあるものとないものがあるから、一概に感性のない人間とは決めつけられないのだが、私の考えは、ちょっと違っていて、現前の存在は、すべてに通じるものがあるといつも思っているから、この人のような態度はまずとらない。本来、感性の揺さぶりに存在の区別はないと思っている。感性が揺さぶられるかどうかは、存在(ここでは作品である絵画、書道、工芸、陶芸、写真など)に立ち向かってみなければわからない。揺さぶられれば感動し、揺さぶられなければ、何が欠けているのか(私の見方の未熟さか、作品のどこに原因があるのかなど)を考えればよい。それが感性というものだ。
 同じようなことは、音楽会や観劇会などの発表会でも見受けられる光景だ。知り合いの出番だけを見て帰ってしまう。「あれ、あれ、あそこにいる。」などと言いながら鑑賞している。そいう人に限って、そのあと帰ってしまう。これでは、音楽という作品(現前する存在)に立ち向かい、感性をときめかしてなどということとはほど遠い。
 こういう事例に出てくる人は、気の毒だと私は思う。なぜなら、現前する存在と対話をかわすことが出来ずに終わる人生など、私には考えられないからだ。
 なにも、事は芸術だけではない。自然、動植物、人、スポーツ、科学技術、社会、哲学などにも、感性をときめかす存在はある。存在の中に必ずある主役とわき役のバランスを味あうことが、感性を揺り動かすことであり、感動することなのだ。人生とは、感性をときめかし、感動することなのかもしれない。
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