FUNAGENノート

私の考えたことや、読書から学んだことを伝えます。
私の脳は書いたり読んだりすることで研ぎ澄まされると思っています。

存在に感動することが共生の道

2017-07-08 10:52:42 | コラム
存在に感動することが共生への道
 私たちの前にある存在に美を感じ、感動することは、すばらしいことだ。自然を探索する時だけではなく、電車の中でも、街を歩いている時も、みんなとの集まりの中でも、家で読書にいそしむ時も、すばらしい出会いは必ずある。
 ところが、そういう出会いの機会がない人(居場所のない人と言っても良い。)が引きこもりになったり、自殺したり、奇怪な事件を引き起こすこととなる。
 職場、学校、各種共同体などで、中に入ろうともしない人もいるが、仲間に入れてもらえない場合も結構あるだろう。
 自分から仲間に入ることをしない人はなにも心配はない。そいう人はそれぞれ自分の仲間(趣味とかライフスタイル)を探すことだ。よく、人の輪に入りなさいと無理強いする人がいるが、それは、不登校の子供に学校へ無理矢理行けと言っているようなものだ。人の集まりの中で、仲間と談笑することが、自分には楽しいかもしれないが、それほど楽しくないと感じている人もいるということだ。それは、人それぞれの性格であったり、生き方でもあるということだ。その人が集まりでの談笑を望んでいるのであれば、その限りではない。その機会を与えることは当然良いことだ。
 だから、人の集まる所にこだわる必要はない。例えば、動植物と仲良くなれば良い。文学、詩、エッセイなどと友達になってもよい。スポーツにいそしむことも可能だ。芸術(絵画、書道、陶芸など)に目を向けても良い。何かを造るこことだってよい。造ったその物が自分の仲間になり得るのだ。
 問題は、それよりも、仲間に入りたくても入れてもらえない人たちだ。どういうきっかけで、仲間外れにされたのか、いじめられることになったのか、そこが問題だ。
 特に日本社会は、みんな一緒でなければならないというところがあり、少しでも異質なものを排斥してしまう。密室の空間の中で、自分たちとちょっと違えば、それが仲間外れやいじめの原因となる。昔から「村八分」という言葉があるように、それが現実に起きているわけだ。
 そこへもってきて、現代社会の病理現象でもある新自由主義の考えが拍車をかけることとなっている。そしてそれは自己中心主義の考えとなって現れる。そういうことが背景となって、自分可愛さも手伝って、いけないことだとわかっていても、だまっている。見て見ぬふりをするということになる。自分があの人のようにいじめに会うことを避けようという意識がはたらき、そこには正義感などみじんもない。
 この問題をもっと広げてみると、人種差別、宗教差別、民族差別などになる。欧米では結構白人至上主義という考え方を持つ人も多い。その結末が世界中を震撼させているテロである。しかし、日本は欧米諸国と違い、先に挙げた諸々の差別は、表面には出てきていない。もちろん心の中には、人種差別的な感覚を持ち合わせている人もいる。その現れの一つがヘイトスピーチである。しかも心の中でヘイトをつぶやいている人も結構いる。私も何回か聞いたことがある。
 いづれにしても、私たちは多様性を認めること、異質のものと共生する道を求めなければならない。私たちの最大の間違えは、得てして区別と差別を混同してしまうことだ。区別だけでしかないものが、いつのまにか差別になってしまっている。区別はとっても必要だ。人間それぞれ違う(区別する)存在であるのは当たり前のことだ。これは個性の尊重につながることとなるのだ。差別はあくまでも差別であり、これがいじめの原因だ。
 個性を生かすと言いながら、個性を尊重しているように見えるだけで、みんなが同じことをしなければ、いつか仲間外れにされるという疑心暗鬼に陥り、結局同じ行為に走ることとなってしまっている。以前から言われている「赤信号、みんなで渡ればこわくない。」というのがある。よく言ったものだ。
 わたしたちに、必要なことは現前の存在(人、動植物、芸術、スポーツ、科学など)に感性を働かせて、感動することであろう。それも学校、職場、共同体の中で共に暮らす仲間のすばらしさに感動することであろう。自分にないものを持っていることのすばらしさに感動することであろう。感動の対象は何でも良い。スタイルの素敵さ、その人のファッション、絵心、詩心、動植物の豊富な知識、なんでも良い。自分に無いものに嫉妬するのではなく、そのすばらしさに感動し賞賛することなのだろう。 私の長い間の体験では、得てしてみんなの持っていないセンスの持ち主がいじめや仲間外れになっているように感じてしかたがない。そこにあるのは、区別(個性)が差別(いじめ)に変身してしまっているという現実である。すなわちあの人変な人(実は変でも何でもなく、個性がありすばらしいセンスの持ち主なのだが)、私たちと違う人という区別がいつのまにか差別になっていることが多いということだ。
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