FUNAGENノート

私の考えたことや、読書から学んだことを伝えます。
私の脳は書いたり読んだりすることで研ぎ澄まされると思っています。

本は生きている

2017-02-09 09:16:35 | コラム
本は生きている
 読書ノートとして「言葉はこうして生き残った」(河野通和著・ミシマ社)を読んで、思ったこと、感じたことをとりあげます。
 著者の河野氏は、新潮社の雑誌「考える人」編集長です。この本は、メールマガジン「考える」に「考える本棚」として配信されたものの一部をまとめたもののようです。
 この本を読んで、出版社の編集担当者からみた、出版社の世界をかいま見ることができました。
 次の言葉が印象的でした。
 中央公論社と新潮社という『明治期に出発したふたつの出版社が、その後の激しい社会変動の荒波に揉まれながらも今日なお存続し、その間、競合関係にあったことも事実ですが、より巨視的に見れば共存共栄の間柄を築いてきたということです。』
 たぶん現在も多くの出版社があって、お互いに競争はあるでしょうが、共存共栄の関係にあるのではなかと思いました。でも、ここ二年半のあいだに読んだ本の出版社を見て感じたことは、その多さです。結構競争もあるのではないかと思います。
 また、編集部の方々のご苦労もつぎの一節で、うかがい知ることができます。もちろん、現在はどの程度かは定かではありませんが。
 中央公論社の編集長だった滝田樗陰(ちょいん)(大正時代)について
『「樗陰の旺盛な、そしてときどき興味の対象の変わる気まぐれな読書熱」に振り回された(編集部の)部員は、分厚い洋書を何冊も読破するために苦しみました。』 
 誤植の問題も、結構あるものなんですね。私にしても、エッセイを書いてブログに発表したあと、読み直してみると結構ありますもね。 
『版を重ねると誤植はなくなる。』
 私も、ある団体の広報を担当していた時は、何回読み直しても誤植はあるものですね。同僚と見つけたら100円だと冗談を言って、目をこらして読んだことを思い出しています。 
 そうですね、モノ作りもおなじかな?よく、あまり早く新製品を買わない方が良いという話もありますよね。
 
 さて、ここからは、この本からいただいた私の心に響いた言葉を紹介しようと思います。
 茨木のり子さんが仰ったという次の言葉いすね。
『ただ己の感受性が信じうる手触りのなかで生きること』
 自然や社会、あるいは絵画や書、音楽、各ジャンルの書物に接した時、たしかに的を射ていますね。そこから、自分のコトバが生まれるのですね。
 司修さんが「本の魔法」で言ったという次のコトバもいいですね。
『本には一冊一冊の手触りがあり、匂いがあり、他のモノにはあてはまらない人間らしさのようなものが存在する。』
 だから、私は本を読み続けているのです。それぞれの本に個性を感じます。
 まだまだ、私たちのものの見方、考え方を示してくれる箇所が随所にあります。新聞のコラムニストだった諏訪正人さんが述べたという次の言葉は、大事なことですね。私が知識の断片化で述べたこと通じるところがあります。
『出来事をめぐる見方は決して一つではない、その出来事を後ろから、斜めから、横から、裏から、いろんな角度からながめまわすのが新聞コラムの仕事である。』
 アゴタ・クリストフ「文盲」を紹介して、次のような一節を紹介しています。
『集合的な記憶や価値観、文化を包み込んだ母国を奪われ、アイデンティティの拠り所を見いだせない「砂漠」に暮らす日々、「判で押したような、変化のない、驚きののない、希望のない」生活。』
 なお、クリストフは、ハンガリー動乱時に反体制活動をしていた夫とともに、スイスへ亡命したハンガリー出身の女性作家です。
 私はこの一文を読んだ時、一つは福島の人々と重なるところもあり、心が痛みました。それと同時に、ひょっとしたら私たち日本社会全体にあてはまるような気がしてなりませんでした。
 母国は奪われてはいませんが、ばらばら社会になって、共同体も崩壊しているし、アイデンティティの拠り所も見いだせない「砂漠」に暮らす日々まさにその通りですね。変化のない暮らし、驚きのないくらし、そういう状況にあるのが日本いや、世界中でもあるようです。 
 ナチス政権下のドイツを逃れ、1933年にフランスへ亡命、その後アメリカへ亡命した「全体主義の起源」の著者ハンナ・アーレントの言葉も強烈に突き刺さってきます。(文に出てくるアイヒマンはヒットラーの部下でアルゼンチンで逮捕され、エルサレムで裁判を受け死刑となった人物。)
『人間であることを拒否したアイヒマンは、人間の大切な質を放棄しました。それは思考する能力です。その結果モラルまで判断不能となりました。思考ができなくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです。
”思考の嵐”をもたらすのは、知識ではありません。善悪を区別する能力であり、美醜を見分ける力です。私が望むのは、考えることで人間が強くなることです。』
 この言葉は、今の世界のおかしな様相にたいする警笛ではないでしょうか。
 最後に、本が生まれるまでには、著者と編集者、表紙のデザインや挿し絵を担当する人たちの絶妙なチームワークが大きな役割を果たしているのだな思いました。これからも、店頭で声をかけていただき、お招きいただいた本には、大事におつきあいしようと思います。本は生きていて、そこにあるそれそれの言葉には光があるからです。
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きいて!きいて!
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