爺の社会科見学

年金生活5年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

見沼通船堀はパナマ運河?

2017-06-13 23:04:14 | 日記

JR武蔵野線東浦和駅で下車する。この付近は、都心より25kmぐらいである、宅地化が進んでいるが、駅から5分ぐらい通船堀公園付近は田園地帯である。公園の脇を流れている川が見沼代用水西縁である。


この辺には、「見沼の笛」と言う伝説があり、「沼のほとりから美しい笛の音がし、それにさそわれるかのように若い男が消える事から、供養塔を建てたら笛の音がやみ、行方不明になる若者もなくなった。」との伝説である。

♦見沼代用水と通船掘♦
見沼代用水は、江戸時代(1728)に新田開発した灌漑農業用水で、取水は行田市利根川から、さいたま市、川口市、東京都までの流路であり、現在、見られるのは見沼田圃の保全のため土地利用の制限が設けられているこの一帯が一番である。
見沼代用水は、上尾市で東と西に分岐し開拓され、さいたま市緑区付近にて芝川(荒川水系一級河川)を挟み接近する。
この芝川を挟み東西の見沼代用水水路が造られ、通船堀として芝川とつなぎ、開拓地と江戸との交易を進めた。
見沼代用水と芝川の水位は3mあり、東西2カ所ずつ関を設けて調節し芝川に入りました。
調節方法は、閘門式といわれ関(水門)を設けて開閉により水位を調節し船を通していた、日本最古の閘門式で規模は違うがパナマ運河と同じである。現在の通船堀を見るととても船が航行したとは思えないが、川幅は現在とあまり変わりがないが、水量が多かったとの事である。
主に運んだ物は、年貢米でその他に薪・炭・酒・柿渋・野菜などが江戸に運ばれ、江戸からは肥料・塩・雑貨などが運ばれました。

♦水神社♦
水神社は、通船堀が開通した翌年の創建と伝わっています。荷物の積み下ろしをする河岸場は、芝川と東西の用水路沿いに59カ所あり鈴木家周辺には河川輸送に携わる人たちの住まいがあり水神社は、そのような仕事をしている人の水難防止を祈願して祀ったものです。

♦鈴木家住宅♦
通船掘を歩き芝川に付近に鈴木家住宅がある、鈴木家は高田家とともに井沢弥惣衛為永(開拓者)に従い見沼干拓事業に参加し通船掘の完成と同時に幕府からに「差配役」に任じられ通船業務をつかさどり各船に対する積荷や船頭の割り振りなどをおこないました。今で言う通運事業である。
 



この船は、模型で倍以上の大きさで江戸まで3日間かかったそうで
帆があるものの風のある日ばかりではなく潮の干潮満潮を利用していた、
また通船堀内では川の両岸に約10人づつ人夫を配置し船を進めたようです。

見沼通船堀の東縁も歩きましたが現在工事中でした。突き当りに小高い森の「木曽呂の富士塚」(川口市)があります。高さ5.4mあり富士山を模して造られおり頂上は火口のようになっている。国指定の有形民俗文化財に指定されており、富士塚としては古く埼玉県では最古と言われている。
 


このように通船堀は、この地域の交易に大きな役割をはたしてきましたが、車の発達と共に貨物輸送が自動車に移行し昭和初期には利用されなくなった。
 

【その他のPhoto】
 

 通船堀は、公園として整備されており、いまでは市民の憩いの場となっています。竹林がこれからの季節、涼しげです。休憩場所では猫が「まったり」と・・・
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