爺の社会科見学

年金生活5年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

第7回 東部地区文化財担当者巡回展(東部地区の交通)in 宮代町郷土資料館

2017-04-21 11:51:20 | 日記
新聞の文化欄に掲載されていた展示会を見学に宮代町郷土資料館に。


宮代町というと「東武動物公園」のある町というイメージ、いわゆる企業城下町である。私の田舎も企業城下町で良い面もあるが、これで良いのか・・・という面もある。
宮代町は、埼玉県東部中央に位置し南北に縦長の町でその南北を東武伊勢崎線と大落古利根川がある。大落古利根川は、一級河川で利根川水系中川支流でなんと流路距離が26.7Kmの短さであるが、古くは本流でもあった。人口3.3万人(県内46/63)、面積15.96㎢(県内61/63)平成の大合併で隣の春日部市と合併の話があったが頓挫し、南埼玉郡の唯一の町である。
※宮代町の由来は、百間村の総鎮守「姫宮神社」の宮と、須賀村の総鎮守「身代神社」の代を合わせて宮代としたという話である。

姫宮駅西口より向かうが、駅からの街路樹である「ハナミズキ」が綺麗である、百間小学校を通り過ぎると直ぐ目的の「宮代町郷土資料館」があった。


門を入ると縄文住居、古民家(2棟)、裏手に「ふれ愛センターみやしろ」があり広場が「西原自然の森」となっており、緑が和ませてくれる、ここ一帯が文化・学習施設となっており、町の規模としてこんな充実した施設はない。(公共施設が充実しているように思える)
まずは目的の巡回展に、受け付けてに来館(無料)の受付を済ませる、常設展は写真OKとの事(登録後)広くは無いが素人が見学するには十分。宮代町に遺跡や出土品が多くあるとは思わなかった。恵まれた水利環境、入り江、平坦な土地など先人たちの工夫などで縄文時代まで遡ることが出来る歴史的な宮代町なのだろう。
企画展である「東部地区の交通」は、陸上、水運のパネル展示と共に時刻表・料金表、路線図、昔の写真などが明治時代からの資料が展示されている。こうした巡回企画展示は市町村が保管している所蔵品の少ないボリュームを考えると良い方法である。




郷土資料館を出ると目の前にあるのが町指定文化財「旧加藤家住宅(移築)」(1813年前後の建物か)である。
面積約240平方メートル(約72坪)の大きな民家で、四間取りで田の字配置の座敷で名主と思われるが江戸時代の生活・建築がわかる貴重な建築物である。




隣りに「縄文時代復元住居」があった、ここ一帯が発掘された縄文住居で十数軒あったとのことである。当時は、台地の周辺まで海が広がっていたか・・・。


奥には、明治時代に建てられた町指定文化財「旧斎藤家住宅」が母屋、蔵、物置(米蔵)がある、母屋は、日本建築特徴でもある四間取りで、さらに六畳の奥座敷があった、周囲は屋敷林に囲まれていてそれが現在の「西原自然の森」となっている。
一般的な農家住宅ではなく、間取りからも江戸時代から続く村の名主的な役割を担った家柄であったのだろう。
同じ敷地内には、町指定文化財「旧進修館」がある、隣の百閒小学校の前身である進修学校で明治5年の学制発布で町内に建てられた四つの学校の一つです。この建物は、明治44年の建築で明治時代の学校建築の特徴が出ています。




新聞に掲載されていた企画展見学のつもりが古民家なども見学でき、古代や近世のロマンに触れる事ができた。
帰りは「西原自然の森」で緑を満喫して帰路に。


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