#559: ハンク・マーヴィン

2013-09-11 | Weblog
“パイプライン”の稿でヴェンチャーズが登場したので、大西洋を挟んだイギリスから、シャドウズに登場してもらうことにする(笑)。

元々、歌手のクリフ・リチャードのバック・バンドとして結成され、ビートルズ登場以前の1950年代後半から1960年代前半のイギリス・ポピュラー音楽シーンをリードしたバンドであった。
クリフ・リチャード・ウィズ・ザ・シャドウズとして人気を得たが、1960年にインストゥルメンタル曲として発表した『アパッチ』(Apache)が、全英ナンバーワンとなり、いわゆるエレキ・バンドのパイオニア的存在となった。
ジェリー・ローダン作曲の『アパッチ』というタイトルは、バート・ランカスターがアパッチ族の英雄を演じた異色の西部劇映画『アパッチ』(1954)から取ったものだが、すすり泣くようなギターの音色と印象的な独特のリズムが、当時としては革新的なものとして受け止められた(こちら)。

シャドウズのリード・ギターは、バディ・ホリー風の黒縁メガネをかけたハンク・マーヴィンであった。
彼のギターはエコーとヴィブラートを効かせたクリーンな音色で、シャドウズのサウンドを特徴づけていた。
かつてのエレキ・ブームの折、ハード・ドライヴのヴェンチャーズと対極にある別のエレキ・サウンドとして、多くのファンの耳に焼き付けられたものだ。
少し遅れて他のヨーロッパ各国から登場してくるエレキ・バンド、例えばスプートニクスなどのサウンドにその影響が見られると思う。

マーヴィンは、エリック・クラプトン、ピート・タウンゼント、マーク・ノップラーなど、名だたるブリティッシュ・ロック・ギタリスト達の最初のヒーローであったことはよく知られている。
このほか、ニール・ヤング(バッファロー・スプリングフィールド)、ランディ・バックマン(ゲス・フー)、カルロス・サンタナ(サンタナ)やジョン・フォガティ(クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル)らもマーヴィンから影響を受けたことを認めていて、マーヴィンのギター・サウンドが、実は世界中のロック・ギタリスト共通の必修科目だったことを示している。

シャドウズはイギリス最高の、というよりも、実力・技巧的には世界最高のヴェンチャーズと覇を争うエレクトリック・ギター・インストゥルメンタル・グループであったが、蚤助がひたすら美しいと感じ、いつも聴きほれてしまうのが『アパッチ』と並ぶ名曲『春がいっぱい』(Spring Is Nearly Here)である(こちら)。


シャドウズのメンバーであったブルース・ウェルチとブライアン・ベネットが書き、1962年のアルバム“OUT OF THE SHADOWS”に収録されていた曲だが、本国イギリスではシングル・カットされず、ヒットした記録はない。


日本では、この曲の良さを知ったレコード関係者がシングル・カットし、62年末に大ヒットした。
このころの日本の音楽関係者の嗅覚の鋭さはハンパなものじゃなかったね、ウン。

シングル・トーンでメロディを弾くだけなのにハンク・マーヴィンのギターはどうしてこうも美しいのか、彼のフェンダー・ストラトキャスターというギターはどれもこんないい音が出せるのだろうかなど、青春の入り口に立ちながら、家計の事情(要はビンボー)で、ギターを手にすることが叶わなかった少年(つまり蚤助)の興味を掻き立てたものだった。
また、サイド・ギターのブルース・ウェルチの弾くアルペジオの正確さに憧れた。
ストリングスの伴奏もついたスロー・ナンバーで、今の季節にはそぐわないが、邦題は見事に曲の雰囲気を伝えている。

ついでに言えば、1998年に亡くなった日本のギタリスト大村憲司の『春がいっぱい』は一聴に値する。
1972年に“赤い鳥”に加入、やがて渡米して武者修行、帰国後ソロとなって日本のフュージョン・シーンを切り開いた屈指の名ギタリストである。
1981年に『春がいっぱい』というアルバムを発表、ハンク・マーヴィンを敬愛した大村の愛奏曲としていつまでも忘れることはできない(こちら)。


蚤助にとって、エレキ時代の心のスタンダードといえばこの曲と、あとはやはり『ブルー・スター』かもしれないな…。

春爛漫それくらいだないいことは (蚤助)




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