こんばんは。
ホームレスに関する本を読んでいます。
タイトルは、『ホームレス入門-上野のモリの紳士録-』風樹茂(著)です。
今日のホームレスは、前職が様々であり、社長もいれば、学者、サラリーマン、研究者、工事屋、フリーター等、様々です。
これはつまり、気を抜いたら誰でもなりうる可能性があるということです。
この本は、ホームレスになった経緯や、ホームレスになってからの生活や価値観についてをリアルに描いています。
民主主義、資本主義を前提とした現代において、私たちは何をどうして気をつけて生活すればいいのかを教えてくれる気もします。
私は今は大学4年次であり、来年は就職をする時期ですが、今は大学院への進学を視野に入れて動いてします。そこでの研究テーマを考案している最中なのですが、テーマがありすぎて迷っています。一応、本BLOGのテーマであるホームレス対策は社会福祉の分野でしょうが、それ以外に教育学、社会学、発達心理学等を絡めた内容で「社会から脱線しない子を育成するための教育・育成方法」についてを大項目として、研究テーマを絞ろうかなぁと考えています。
いつ何時でも、なにが起きても生きていくことができる気持ちの強い人間に育てるために必要な教育とは何かを追求したいと思っています。
権利として自由が保障される風土は、事あるごとに迷いや混沌が人々につきまといますが、いざというときには、迷うことなく決断力をもち、自己実現を諦めない人間でありたいと思います。
ホームレスに関する本を読んでいます。
タイトルは、『ホームレス入門-上野のモリの紳士録-』風樹茂(著)です。
今日のホームレスは、前職が様々であり、社長もいれば、学者、サラリーマン、研究者、工事屋、フリーター等、様々です。
これはつまり、気を抜いたら誰でもなりうる可能性があるということです。
この本は、ホームレスになった経緯や、ホームレスになってからの生活や価値観についてをリアルに描いています。
民主主義、資本主義を前提とした現代において、私たちは何をどうして気をつけて生活すればいいのかを教えてくれる気もします。
私は今は大学4年次であり、来年は就職をする時期ですが、今は大学院への進学を視野に入れて動いてします。そこでの研究テーマを考案している最中なのですが、テーマがありすぎて迷っています。一応、本BLOGのテーマであるホームレス対策は社会福祉の分野でしょうが、それ以外に教育学、社会学、発達心理学等を絡めた内容で「社会から脱線しない子を育成するための教育・育成方法」についてを大項目として、研究テーマを絞ろうかなぁと考えています。
いつ何時でも、なにが起きても生きていくことができる気持ちの強い人間に育てるために必要な教育とは何かを追求したいと思っています。
権利として自由が保障される風土は、事あるごとに迷いや混沌が人々につきまといますが、いざというときには、迷うことなく決断力をもち、自己実現を諦めない人間でありたいと思います。
こちらには昔からリンクしていただいていて感謝しておりましたが、コメントなどなかなかする機会がなく、今日まで失礼をしました。
強い人間を育てるために必要な教育とは何か、というお話がありましたので、ちょいと心がざわめいたのですが。というのも、以前にジャーナリストの木村太郎さんが新聞に書いていたことがあるのですけれども、欧米は敗者には厳しいが弱者には優しい、日本は敗者に優しくて弱者に厳しい、というようなお話で、スポーツの世界やバリアフリーの問題を書かれていました。
敗者ならばまたがんばって這い上がってくればよい、との思想が欧米にはあるようなのですが、ぼくにはホームレスはすべて弱者であるように映ります。元がどうであれ、路上に堕ちた時点で自力復活の道が閉ざされてしまうように思えるからです。欧米でのホームレス支援が日本よりはるかに進んでいるのは、ホームレスは援助すべき弱者であると認識されているからなのでしょう。
強い人間を育てる教育もむろん必要なのですが、弱くても生きてゆける社会もまた必要なのではないかと思います。ま、こんなこといいだしたらきりがねぇ。むろん、バランスの問題なのだとは思いますが……
うわ~いッ! ではまた(笑)。
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これまでに当BLOGでは、ホームレスについて”敗者や弱者”という表現の使用に躊躇してきました。
私の意識の中では、敗者は犯罪を犯した人々と生活意欲をなくしてしまった人を指し、弱者とは今日のノーマライゼーションの対象となっている人々と思っています。完全なるバリアフリーが実現するまで、弱者はいなくなりません。そのような日がくるかどうかは、疑問です。
ですから、私にとってホームレスとは完全なる敗者&弱者とは言い切れないのです。ホームレスである人々の質を考慮し、その質の中からターゲットを絞らなければ私はホームレスを語ることはできません。
ホームレスとは、社会現象であり、その社会を示す指標ともなる存在です。多種多様な人物や、それぞれが様々な目的(自由、放浪、車上生活 愛好者等)をもっている場合や、一方、アル注や病気、生活意欲の荒廃等で自暴自棄にその道に入る人もいます。定住地をわざと不要として生きたい人もいます。ほんとうに・・・多様です。
そして、ホームレスが生存できるそもそもの理由は、わが国では住所の届出をしなくても刑法違反にはならず、結果、(ほとんど)国民としての義務を履行していない(状態であることが大勢と思われます)ために、国民としての権利も行使しにくいという状況に陥るだけです。そのことは憲法や法令を読むとよくわかります。つまりは、定住所がない?わからない?でも生きていかれる社会になっているのですね。
不要に私のホームレスについての見解をお話してきましたが、各種辞書等で説明される「ホームレス」と私の解釈は少々異なります。(※1)
ですから、”失業者して家がない⇒ホームレス”という見方や、”惨めなだけのホームレス”という見方が私にはできないのです。
奥の深いテーマですね・・・。
そのうち私も、武州さんのサイトにコメントさせてくださいね。
※1
三省堂辞書;
①住む家のないさま.また,住む家のない人.特に,駅の構内などに寝泊まりする浮浪者など.
②失業などによって住む家を失い,路上や駅の構内などに寝泊まりせざるをえない人。
大辞泉辞書;
住む家をもたない人。公園や駅・地下道などに住みついている人。浮浪者。
犯罪者(不良系)であろうと意欲なき者(退却・厭世系)であろうと、自力で立ち上がるためのインフラを持たなければ、ぼくはそれは弱者であろうと思いますが。妙なたとえですが、楽天の某社長さんがTBS買収に失敗して一文無しになっても、それは単なる敗者でしょう。しかし、それによって家族が崩壊し、人間関係もズタズタのボロボロ、凄まじい金額の借金を返せる当てもなく、アルコール依存になって自殺未遂を繰り返すような状態にあれば、それはすでに弱者であろうと思います。もはや復活のためのインフラを持たず、支援なくして回復は望めないからです。
心理職やボランティアさんなど福祉に関わる人たちの間でも、近頃は「自己責任」論が幅を利かせるようになってきたみたいですね。勉強になりました。
そうですね。
私は元は民間出身の会社員で、昨年退職して医療福祉の方面に進もうとしていますが、私が今の学部に入学した時は、既にその「自己責任」と(ついでに言わせていただくと)「自己決定」の方針が定められていました。それは、福祉の対象の人々、主に障害者(身体・知的・精神)と高齢者をターゲットにしたものです。
しかし、ホームレスについては昔から自己決定ではないですか?
なぜならわが国は自己申告の社会ですから。
道端で衰弱しようが瀕死をむかえようが、役所に自ら助けを求めなければ行政は助けませんし相手にしませんね。
なぜならホームレスになった理由のほとんどは、自分の選択肢がホームレスになる原因を作っていたわけですから。
自らの人生設計における危機管理が甘かったか、生き方が下手だったからなったわけです。
努力を怠ったわけでもない、景気と時代の変化に耐えられずになった方もいるでしょう。ですから、元は普通の生活者な人が多いわけで、だからやる気のある人がいるならば、敗者復活の機会を提供し、社会保障のお世話にならず、当事者の労働から生みだす生産力で国益につなげたいと私は思っているのです。
「働かざるもの食うべからず」というスタンスがこれからは、社会福祉の中でも浸透していくのではないでしょうか。しかし、それをストレートに発言すると、いろいろとおかどが立つので言い方を変えて「生きがい作り」や「自己実現」という言葉に置き換えているのだと思います。
人口が減少し稼得世代も減り、高齢者ばかりが増加するというのに、どうして体の元気なニートやホームレスが遊んでいられるのでしょう。
そのままにしておくことは、社会の直面する危機をみすみす見逃しているようなものとしか思えません。体が元気ならば、生きがいを持もたせるべきであり、働くチャンスを与えるべきだと思います。
ですから福祉の考え方もそうした意味で、昔のような保護的な措置・対応は減ると思っています。使える機能を最大限に活かして、活用する世の中になるでしょう。