けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

絶好のチャンスをみすみす見逃す愚かさ

2012-03-22 23:46:16 | 政治
少し前になるが先日のニュースの中で、元経産省官僚の古賀茂明氏などにより構成される大阪府市エネルギー戦略会議と関西電力のやりとりが報じられた。

まず第1弾は社長等の役員報酬や、政治家のパーティ券の購入額、天下りの人数などの様々な関電が公開していない情報に対する質問を行い、その多くの不都合な質問に対して「開示は差し控えたい」と答え、如何に「本当は電力が足りるのか足りないのか?」を判断するための情報を電力会社から引き出すことが困難なのかを白日のもとにさらした。さらに、第2弾は、関西電力大飯原発を視察し、様々な防災対策の現状を確認した。その中で様々な問題点を指摘し、例えば全外部電源損失時の対応策として設けた発電機が地震で崩れる恐れのある崖の横に設置されている点など、詰めの甘さを明らかにした。もちろん関西電力は、「この崖は700ガルの地震の揺れに耐えられる計算だ」と安全性を主張するが、計算が如何に当てにならないかを1年前に目の当たりにした今、その様な議論を平気で行うあたりの説得力のなさが、これまた問題になっている。実際、阪神淡路大震災時の震度7での加速度は600〜800ガルというのだから、全然、マージンが取れていな。技術者の良心として如何なものか・・・。

結論から言えば、私は一部ではあるが原発の再稼働は避けられないのではないかと予想している。しかし、1年前の悲惨な経験をした今となっては、その失敗から多くのことを学び、2度と失敗を繰り返さないための手続きが必要であることは、多分、国民の99.9%以上の人が同意するものだと確信している。だから、一刻も早く原発を再稼働したい、ないしは一刻も早く再稼働しなければならないと感じている人たちは、せめてその99.9%の人の半数以上が2度と失敗を繰り返さないための手続きを行なったと認めてくれる何かをしなければならないと痛感すべきはずである。しかし、電力会社側の行動・言動を見る限りは、2度と失敗を繰り返さないための手続きなどあまり重要ではないという確信をもって行動しているようにしか見えない。

もし、私が関西電力の社長であるならば、3.11後の早い段階から、以下のような内容を顧客(つまり国民)に対して訴えていただろう。

「原発に対して危機感を持つ方々に是非お集まり頂き、一部のセキュリティ上お見せできない箇所を除き、地震(ないしはテロも含めて)を中心とした災害に対する対策の現状を公開しますから、心配な点、改善すべき点を是非とも列挙してください。私どもではそのご意見を踏まえて更なる対策を講じます。もちろん、大きな費用がかかる部分については電気料金の値上げを含めたご相談を将来的にはさせて頂くことになるかも知れませんが、その費用の見積もりを含めて検討結果をご報告させて頂きますので、その追加対策の優先順位などについても、後日、議論させて下さい。」・・・と。

更には、この様な内容も付け加えるだろう。
「我々の試算では、全原発が停止した状態では、夏のピーク時においては電力受給量に見合う電力供給はできなくなると考えている。『足りる』と予測する人もいるので実際のところは分からないが、原発の再稼働が認められない場合の対応について、皆さんで議論をして頂きたい。例えば、天気予報で猛暑が予想された場合には前日のうちにその予告をすることを前提に、「電力使用率99%を超えた時点で計画停電予定区域への電力供給を停止する」こともひとつの選択肢である。無計画状態での電力不足は不慮の大停電による惨事を招く恐れがあるので、当然ながらその時を見据えた準備をしておかなければならない。その責任を全て私ども電力会社に負わすのであれば、我々は原発の再稼働を求めざるを得ない。安全確保ができなければ再稼働は認めないという正論は認めるので、その代わり、安全確保のための改善提案のご協力と、電力不足時の対応策のご議論を、重ね重ねお願いするところであります。」・・・と。

つまり、ポイントは2点ある。ひとつは、最大限に安全性を確保する(ないしは、住民の安心感を最大化する)ための努力を行うこと、もうひとつは、原発が再稼働できずに電力不足になった場合に困らないための準備を明確にしておくこと、である。さらには、これらを住民と一体となって議論することである。

確かに、今の制度では電力の供給責任は電力会社にはあるのであろう。しかし、それは平時においてのルールである。今は非常時(戦時)である。電力会社に全て任せきるなら、「じゃあ、再稼働します。責任もって、安全を確保しますから・・・。」という結論を電力会社に導かれても文句は言えない。だから、原発の再稼働を認めずに「ない袖は振れない」状態にしておきながら、やはり供給不足で停電になったら「馬鹿やろー!ふざけるな!」では余りにも無責任である。安全性の確認を真の意味で徹底したら、多分、1年やそこらでは終わらない。お金も相当かかるに違いない。資金調達だけでも相当時間がかかるかも知れない。だから、今年の夏前の再稼働には間に合わなかっただろう。

だから、その場合には二つ目のポイントが重要になる。住民への計画停電を許容するのか、それとも産業界に電力削減の足枷を履かせるのか、(先日のブログに書きましたが・・・)明らかな効果が期待できるほど極端に電気料金を上げて節電を促すのか、などなど、ありとあらゆる選択肢を皆で考えながら、マスコミなどを介して国民的な議論を進めるのである。もちろん、様々な選択肢にはそれぞれリスクもあるから、議論の中ではそれらのリスクも定量的に評価しなければならない。それらのリスクを、なるべくバイアスがかかっていない(極端な反原発派でもなければ、産業界を代表する原発再稼働派でもない)人たちに評価してもらうのである。それらを全て明らかにして、電力不足時の覚悟を今から決めておく。準備だけしておいて、運が良く電力が足りたら何もしなくて済むが、その時はラッキー!とひと言いって終わりで良い。

話が少々逸れてしまったが、何を言いたいかと言えば、本来は古賀さんたちの行動は、関西電力の方々にとっては「ウザイこと」ではなく「渡りに舟」の話であるはずである。原発事故以前には、原発賛成派と反対派の議論がかみ合わず、全く生産的な前向きな安全対策が取られなかった。失礼な言い方だが、事故が起きた今は、安全対策を見直して世界最高の安全水準に原発技術を高めるチャンスですらあるかも知れない。しかし、明らかに関西電力は「臭いものには蓋」「寝た子を起こすな」というスタンスを崩さない。結果として、2度と失敗を繰り返さないための手続きに目をつむることを選択しようとしている。世界最高の安全対策に挑む努力も行なっていない。一見努力しているようにも見えるが、単に自己中心的、自己満足での対策だから、世界はそれを認めたりはしないのである。

しかし、もはや日本国民は誰もその様な手抜きの安全確保を許しはしない。結果的に関電はそれなりの権益(例えば高給であったり、天下り子会社の存在、福利厚生などの施設・資産の温存、高い料金体系など)を失うことになるかも知れないが、再度の事故が起きて第2の東電になるよりはマシである。

繰り返すが、このチャンスをみすみす見逃してはいけない。そのことに早く電力会社の幹部、ないしは原子力村の重鎮には気がついて欲しい。

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