けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

民主党案は現行年金制度よりも優れているのか?

2012-02-14 23:38:09 | 政治
民主党の年金改革案の試算が公開され、その詳細が明らかになった。昨日もTBSのお昼の番組「ひるおび」で解説していた。年金制度改革の成否を分けるのは、その緻密な制度設計と、国民感情における公平感の2点だと思っている。その2点において、民主党の提案はとてもではないが議論に耐えうるものではないと感じている。

まずは公平感について考える。生涯平均年収が260万円の人と、690万円の人で月々の掛け金が2.7倍(15000円⇒42000円)になるのに、受給金額は約10万円が約12万円になる程度の差でしかないという。非常に不公平感が強い制度だと言える。これに対して番組に出演していた大塚元厚労副大臣は、「生涯平均年収が690万円ということは、定年間際では1000万近く貰っている世帯だ。そんな裕福な世帯なんだから・・・。」と弁解していた。さらには、「これは個人、一人あたりの受給額で、各家庭では夫婦で2倍の額を受給できる。」とも言っていた。果たして、その主張はどれ程説得力があるのだろうか?

多分、定年時に1000万円の年収の人であれば、その人なりの生活水準があるはずである。高額な住宅ローンを組んでいるかも知れないし、子供だって高学歴となり大学等の学費もかさむだろう。私の周りを見ても、少子化と叫ばれる一方で、それなりの生活水準の世帯となると子供が3人以上いる家庭が昔より多くなっているような実感がある。我が家も年収はそこまで高くはないが、それでも子供は3人いる。3人目の子供が大学を卒業するのは私が65歳を過ぎてからであり、年金の受給開始前に子供の学費で自宅を除きそれまでの預金を全て掃き出して年金生活に突入することを覚悟している。これまでは、「稼いだ分、年金を納めたからその分、後が楽になる(ハズ)」と刷り込まれ、それを信じてここまで来た。多分、年収が何千万円にもなる会社役員などは例外であろうが、定年時の年収が1000万円クラスの人では「定年後は年金などに頼らずに蓄財だけで生きていける」などということにはならない。月々の支給額が12万円ということは年額で144万円であり、住宅ローンや子育ての費用が必要なくなったといっても、とてもではないが生活レベルは極端に下がることになる。少なくとも、住む家があって健康体の人でなければ、年収1000万円からの格差は絶望的なレベルとなるに違いない。詳しくは知らないが、多分、私の父は田舎の町工場の平社員であり高給取りから程遠かったが、それでも年金は総額で年収250万円ぐらいではなかろうか。あまり健康状態も良くなく、介護保険で特別養護老人ホームに入居しているが、快適な環境でありながらも(介護保険の適用もあり)月額17万円程度の費用を払い、持病でそれなりに医療費がかかっているにもかかわらず、何とか赤字にならずにやりくりできている。介護保険を適用できなければ、多分、入居一時金を相当(千数百万円?)な額払わなければ、現在の父の年金でもとても払いきれるものではない。だから、年額144万円の年金では、自力での生活が限界となり介護が必要となったら、子供世代におんぶにだっこで迷惑をかけまくって醜態を晒すことになる。何とも、長生きはしたくないものだ。

これが、年収1000万円の人の老後なのだから、誰だって年金に期待するものは何もない。仮に夫婦ふたりで倍貰えるといって、何の気休めになろうか?もちろん、相対的にはお得感のある生涯平均年収が260万円の人だって、同じように厳しいのには違いないから、別にその人たちを悪く言うつもりはない。しかし、「ああ、馬鹿馬鹿しい!」と言って年金を未納な人たちは、将来、年金をもらえないはずなのに年84万円もタダで貰えるわけだから、相当なお得感はあるだろう。これは間違いない。「セーフティ・ネットのあり方について考える」でも書いたが、「医(≠衣)」「食」「住」を担保するセーフティ・ネットを確立する方法は、現金給付である必要はないはずだ。同様の境遇の方を(比較的、土地代の安い場所に建てた)集合住宅に集め、現金給付額を1万円程度に抑える代わりに食堂で食事提供を行なったり、必要であれば医療機関を無料で受診できるなどすれば、総額的には安く抑えられるはずだ。言ってみれば、食うに困らない生活は絶対保証する代わりに、それ以上の生活がしたければ自助努力を基本とするという方針である。少なくとも、真面目に年金を払おうというモチベーションを維持できない制度であれば、どうしても長くは続くはずはない。払っていない(実際には払えないと言うべきであろうが)人のために、現行制度であればまだましな生活ができるはずの人に犠牲になれと言うのは無理がある。

さて、もう一つの視点である緻密な制度設計であるが、100年先を見越して作ったという制度であるのだから、それをひっくり返すならば自公政権で定めた現行制度よりも遥かに緻密で或ことが絶対条件である。現在の「現行年金制度では破綻する」という感覚は、年金の積立金が凄まじい勢いで消えていく状況と、現役世代がその時の高齢者を養う制度が今後の急激な高齢化に耐えられないという点から来ている。しかし、前者は基礎年金の国庫負担率を1/3から1/2に移行する前の特殊性に起因するし、後者は賦課方式そのものが破綻していることを意味している。現行制度のマクロ経済スライドなどのメカニズムは、受給額を少しづつ減らす方向の微調整をしながら、積立金の破綻を防ぐためのものであり、不十分ではあるがそれなりに考えて作ったことはうかがい知れる。現行制度の最大の問題点は、年金の運用利回りや出生率などのパラメータを、非現実的な値にしたことに問題がある。しかし、民主党がやっと公開した年金の試算では、やはり運用利回りを現行制度で利用していた4.1%などという非現実的な値を用いているのだそうだから、現行制度への反省の色は感じられない。その他の点でも、最低保証年金の導入により生活保護が不要になると説明しているが、それはまるで生活保護を5万円減額して全員に配ると言っているようで、全体的に緻密さを感じることはできない。

岡田副総理が、「民主党案に固執しないから、与野党協議にのってくれ!」と訴えた点は評価できるが、多分、その他の民主党議員はマニュフェストの最後の砦と位置づけているだろうから、与党の方から歩み寄るという姿勢は示さないだろう。私は知らないが、過去の歴史では、与野党協議を行う場合には多くの場合に与党側が折れて協議が始まるのが常識だそうだから、結果として何も進まないことになりそうな気がする。

現行制度が理想とは思わないので制度変更はやぶさかではないが、変えるのであるならば、今度こそ最低でも50年先ぐらいまでは安心と感じられる制度にしてもらわなければ、とても賛成できるものではない。

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